この胸の温もりは

 神社の娘は普通、五つになる頃から巫女としての修行として、怪異を祓ったり場を清めたりする修練を積む。神社の血筋でなくても、素質があれば氏神の元で手解きを受ける娘も多い。


 近頃は、女学校にもその科目を学ばせるところが出てきているという。


 巫女の力は嫁ぎ先でも尊ばれ、一族繁栄のためにその力を望まれる。


「私は、ならなかったのではなく、なれないのです。私には、札を扱う力――神力が備わっていません。札を書くことはできるのですが、いくら祝詞のりとを唱えても、札の力を引き出せたことが無いのです。ただの、一度も」


 清一郎がはっと目を見開いた、気がした。

 琴葉は自分の両手を帯の上で重ねて、そっと握った。


「本当は、母のような巫女になることで、いつか誰かのお役に立つことが夢でした。けれど私は、怪異を祓う札はもちろんのこと、持ち歩く為に作られた護符の、本来の力を引き出すことさえできません。術士の皆様なら、祝詞を唱えることで、護りの力をより強化することができます。けれど、それも出来ない。ただ、『持っている』だけの状態になってしまうのです」


 神域にいる時や、日の高い日中ならばまだいい。けれど昨夜のように、怪異が蠢きやすい時間帯に護符も持たず一人で出歩いてしまうのは、本当は自殺行為に等しかった。


「それでよく無事だったな、昨晩は」


 清一郎は眉間に皺を寄せた。


「冬見様のおかげ、です。昨夜は仕事の打ち合わせが長引いてしまい、気がついた時には夜半だったのです。しまった、とは思ったのですが、帰らないわけにもいかず」

「よっぽど集中していたんだな」

「……お恥ずかしながら、一つ気になることが見つかると周りが見えなくなる性分で。札作りが、好きなものですから」


 琴葉の返事に、清一郎はふっ、と小さく息を吐くように笑った。琴葉は腹の底からじわじわと湧き上がってきた羞恥に耐えきれなくなり、俯く。本来近づきがたいほど美しい彼の顔は、笑うと少しあどけなく見えることを知った。

 さて、と身支度を整えた彼は、「そろそろお暇しよう」と立ち上がる。


「急に上がり込んだりして、申し訳なかった。きみに伝えたかっただけなんだ、本当に。いつも私たちを護ってくれて、ありがとう、と」


 今度こそ、琴葉は自分が耳まで真っ赤になってしまったことを自覚する。誰かに面と向かって、そんなことを言われたのは初めてだ。琴葉は普段、札を扱う術者と直接やり取りをしたりしない。それは琴葉を数多の害意から守るための策でもあったが、だからこんな、体の内側が燃えるような嬉しさは、今まで感じたことがない。


「こちらこそ、大切にしていただいて……ありがとう、ございます」


 それだけ言うのが精一杯だった。

 清一郎はひとつ頷いた。


「もらったこの札は、帰ったら早速使わせてもらおう。よく眠れそうだ」

「あ、あの、もしご使用くださるなら、ぜひ今度は感想を……」

「それは、もう一度私がここに尋ねてきても良い、という許しということでいいかな」


 言われて琴葉ははっとした。そうだ、連絡手段などないのだから、自ら誘ってしまったことになる。

 琴葉があわあわしていると、清一郎は目を細めてまた笑った。


「必ず来るよ。きみに会いに」


 その後、彼をどう見送ったのか、琴葉はあまり記憶がない。


 覚えているのは彼が最後に残していった一言と、幼く見える柔和な笑顔だけだった。

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