手紙に詠んだ歌


「清一郎お兄様は勉強家で、とても頭がいいの。学校の試験はいつも一番だったのよ」


 妹の八重やえが、まるで自分の自慢話かのように胸を張って清一郎の話をする。


「それは本当に、凄い方でいらっしゃいますね」


 相槌を打つ琴葉は、八重の横で丁寧に書き並べられていく文字を眺めていた。


 八重は手習いがあまり好きではないらしい。数文字書いては琴葉に色々な話題を振ってみる、という行動からも、その苦手意識は見てとれた。


「――あら、八重様。ここがひと文字、間違っておられます」

「まあ、ほんとだわ。やっぱりお話しないで、集中しないと駄目なのね」


 難しい顔をしながらも一生懸命取り組む彼女は、見ているだけで微笑ましい。


 今も昔も、家からなかなか出ない生活を送っているが、雪宮の屋敷には見たこともない書物や高価な調度品などがあり、その観察に事欠かない。こうして八重の相手をするのも、気が紛れていい。一人で工房にいた時よりも、ずっと息がしやすかった。


「琴葉様は、どうやって字を上達されたの?」


 筆を止めた八重が、こてん、と首を傾げて琴葉を見た。

 突然の質問に、琴葉は目をぱちぱちと瞬かせる。


「そう、ですね、やはり、今の八重様と同じように、何度も何度も同じ文字を書きましたよ。札に使う文字は特に、間違えてはいけませんから、たくさん練習いたしました」


 文字を書くのは好きだった。父がよく教え、よく褒めてくれたからだ。おかげで手習いを苦手だと感じたことはないが、文子はいつも嫌がっていたことを思い出す。


 琴葉は思案した。何かやる気が出る方法があれば、八重も気持ちを切り替えるかもしれない。

 できれば、八重が尊敬している人、それこそ清一郎などに、直接褒めてもらえる機会でもあれば良いのだが。

 琴葉はふと、昔自分が父としていた『ごっこ遊び』を思い出した。


「そうだ、お手紙を書いてみるのはいかがでしょう」

「お手紙?」

「はい。昔、よく出来た手習をお手紙にして渡す遊びをしたのを思い出しました。八重様の大好きなお兄様やお母様、遠方にいらっしゃるお父様や、お友達に、お手紙を書くことを目標にするのはいかがでしょう。お人に渡すもの、と思えば、字を練習するのも少し楽しみになりませんか?」


 お手紙、ともう一度呟いた八重は、少し顔を輝かせて「それなら頑張れそう」と言った。気を取り直して筆を握る八重を見ながら、琴葉の頬も緩む。

 手紙に使っても良さそうな紙を見繕おうと、琴葉はかつて札作りに使った紙の見本紙の束から、八重の喜びそうなものを探し始めた。





「それで、これは八重様から清一郎様に、と」

「ほう。あの手習いが嫌いな八重が」


 彼女の手習い嫌いは有名らしかった。

 本当は直接手渡したかったのだろうが、今日の清一郎は自室での仕事が長引いたらしく、食事も別に取った。八重は眠い目を擦りながらしばらく待っていたが、やがて限界を感じたのか、八重は琴葉に手紙を託して寝所へ引っ込んだ。


 琴葉から八重の手紙を渡すと、彼は嬉しそうに目を細めた。

 薄桃色の綺麗な紙は、八重が自分で見本の束から選んだものだ。丁寧に折りたたまれたそれを、ゆっくりと開いて目を通す。書いてあるのは、今日琴葉と一緒に手習いをしたことと、これから時々手紙を書くから読んで欲しいという短い内容だ。


「今日も八重の面倒を見てくれたんだな。すまない」

「いえ。私にもお役に立てることがあって、嬉しいのです」


 八重は素直で、助言をすればその通りに努力するため、上達が早い。やっと興味を持ってくれそうなところなので、詰め込みすぎるのは良くないが、教えがいがあるというものだ。


「ところで、きみから私へは、ないのか?」

「……へ?」


 予想外の質問が飛んできて、琴葉は見事に固まった。


「八重と一緒に過ごしていたなら、きみから私への手紙もあるかと思って」

「え、あ、それは――」

 

 清一郎はなんてことのないように、八重の手紙を元通り折りたたんでいる。


 琴葉が狼狽えたのは、「手紙の用意がなかったから」ではない。

 琴葉は思わず自分の懐を押さえた。


「どうして、ご存知なのですか……」

「きみのことなら、まあ大抵のことは知っている」


 冗談めいた表情でにやりと笑った清一郎は、早く出せと言わんばかりに右手を伸ばした。


「不出来ですから、お見せするほどのものでは」

「別に、論評しようというわけじゃない。きみから貰える物があるなら、単純に欲しいというだけだ」


 差し出された手を引っ込めてくれそうにないので、琴葉は観念してその手に自分の手紙を載せた。


 手紙、というほどのこともない、端切れの紙に書かれたそれを、彼は丹念に眺めた。

 琴葉がしたためたのは、一首の短歌である。




“雪解けの清き流れに背伸びする

八重の青葉の 愛おしきかな”




 雪解けの清らかな川の流れに、まるで背伸びをするように伸びた枝。新芽をたくさんつけたその枝が、なんとも健気で愛おしい気持ちになる。



「……あの、私は、あまり技巧的なことは出来ませんので」

 

 しばらく恥ずかしさから目を合わせないようにと俯いていたが、沈黙に耐えかねておずおずと清一郎を見た。


「あ……うん。いや。美しい歌だな、と思ったのと……こう、綺麗なものに正面から例えられると、なんだかむず痒いものだな、と」


 その顔は意外にも、羞恥に満ちて赤かった。清一郎が照れる姿を、琴葉は初めて見たのではないかと思った。

 短歌に込められた正確な意味を、清一郎は汲んでくれたのだ。汲むというほど分かりにくくしたつもりもないが、八重が清一郎に憧れている姿を、雪解けの美しい水と新芽になぞらえてみたことに、きちんと気がついてくれた。


「八重様は、他の勉学も、雪宮の名に恥じぬよう頑張っておいでです。機会がございましたら、直接お褒めの言葉をお伝えいただけたら、きっと喜ぶと思います」

「わかった。貰った手紙には返事を書こう。毎度は難しいかもしれないが、喜んでいたと伝えてくれるか」

「かしこまりました」


 彼と話す時間は心地よい。

 緊張することもあるが、それは高揚する気分の方で、居心地が悪いということは全くない。


「きみも……嫌でなければ、また短歌でも詠んで書いてくれ。きみの目に映る景色を、少し知れる気がする」


 先ほどは琴葉のことなら大抵は知っている、と言ったくせに、今度は琴葉のことを知りたいと言う。清一郎は不思議な人だ。彼は琴葉の書いた手紙も、八重のものと一緒に大切そうに仕舞い込んだ。

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