訪問客と大きな嘘
それから五日の間、琴葉は何をするでもなく、本当に雪宮家の「客人」として扱われた。数日安静にさせられたのち、流石に暇を持て余した琴葉が、食事の手伝いや掃除の手伝いは少しさせてもらっているが、その程度だ。
退魔科に出勤するのを取りやめて家にいることにした清一郎を目掛け、雪宮家にはさまざまな客が訪れた。
いの一番にやってきた墨島正は、頭を畳に擦り付けて平身低頭し、清一郎に礼を述べた。清一郎は始終穏やかな笑みを浮かべていたが、どことなく心底からの笑顔ではないような気がして、琴葉は少々不安になった。
弓弦家は怒鳴り込んできたらしい。らしい、というのは琴葉自身は遭遇しておらず、玄関先で激しく食ってかかる
淡々と言い返す清一郎に折れて、最後は悪態をついて帰って行った。「捨て台詞は穢れになるのに」とぼやきながら、清一郎自ら玄関先に塩を撒いていたのは記憶に新しい。
他にも、退魔科の清一郎の知り合いや、琴葉でも知るような大実業家の当主など、訪問客はひっきりなしだった。きく曰く、「こんなに人が尋ねてくるのはお正月でもあった試しがない」とのこと。琴葉はほとんどの場合、「火事の心労でまだ床についている」ことになっていた。墨島家の訪問だけは、清一郎に同席する事を許されたが、あとは与えられた自室に引きこもっている。
「お兄様は我慢強いお方だわ。こーんなにも愛らしい琴葉様を、見せびらかさずにいられるなんて」
琴葉の部屋でこんぺいとうを摘むのは、彼の妹、
「いえ、違うわね! 琴葉様が愛らしいから、他の人に見せたくないのだわ。これが噂に聞く独占欲、というやつかしら。ふふっ、お兄様も愛する方の前ではただの殿方というわけね」
一人で喋って一人でうんうんと頷く八重を見ながら、琴葉は困って眉を下げた。
どちらかといえば、名家に嫁ぐような気品も所作も持ち合わせていない琴葉を、人の前に出せないだけだと思う。けれども、齢十三の、女学校に通い始めたばかりのませた少女に、事実を話しても聞き入れてもらえない。結局琴葉は口をつぐんでしまうのだ。
どうやら彼はこの唐突な結婚を、「自分の一目惚れ」として他人に吹聴しているらしかった。
曰く、任務中に助けた琴葉が忘れられずにずっと探していたところ、偶然再会した、と。そして親しくなったころ、他家の縁談が持ち上がっていると聞いて矢も楯もたまらず求婚し、琴葉も白藤の家も頷いてくれた、と。
多少正しいところもある上、嘘の部分は琴葉を悪意から庇う為のものなので、自分が大声で否定するわけにもいかない。
あの生真面目な青年が、どんな顔をしてそんな大嘘をさらりとついているのか気になるが、琴葉はその顔を確認する術がない。
八重がそれを信じ込んでしまったのは大きな誤算だが、彼女が琴葉を嫌わずに慕ってくれたのが、唯一の救いだった。
彼が来客の応対をしている間、学校や習い事から帰った八重が、なにかと世間話をしにやってくる。客がいない時でも自室で仕事をしているらしき清一郎とは、夕方以降しか言葉を交わさないので、日中はもっぱら彼女と話している時間の方が長い。
きくや八重と話すようになって、分かったことはいくつかある。
まず、雪宮清一郎は本物の退魔科の軍人だった。結局彼が偽っていたのは「冬見」という苗字だけのことで、若くして退魔科の一部隊の隊長を任されているという事実も判明した。
雪宮家は由緒正しき旧家だが、使用人は清一郎の運転手ときくの二人だけ。きくが、ほとんどの家事を取り仕切っている。
清一郎の歳は、琴葉より四つ上の二十三歳だ。
清一郎の母は、長いこと病を患っているらしい。離れにいるらしいが、普段はきくが世話をしているようだ。時期がくれば会わせたい、と言われていた。何の病なのかは気になるところではあるが、そこに踏み込めるほど、琴葉はまだ清一郎たちと親しくはない。
清一郎は普段、あまり実家に帰らずに退魔科の寮で寝起きすることが多いと言っていた。ここのところは連日家に彼がいるので、八重は大層喜んでいる。
八重は清一郎と違って、ぬばたまのような真っ黒な美しい瞳をしている。
清一郎の瑠璃のような青い瞳について聞けば、「よく分からないけれど、きっと神力が多いからじゃないかしら」とのことだった。いつから青いかは、判然としないらしい。
琴葉は物珍しくてまじまじと見てしまうが、八重にとっては、これが兄の普通なのだろう。光の具合によって時々深い青が覗く程度なので、意外と気が付いていない人間が多いのかも知れない。
琴葉はといえば、札作りはまだ再開していない。琴葉の仕事用に、とわざわざ部屋まで用意してもらったので、『筆鳴らし』だけは欠かさずやっているが、そもそも琴葉の書く退魔用の札は、印刷所に卸しているものがほとんどだ。急ぎの仕事など、あるはずもなかった。
「ねえ琴葉様。琴葉様は、字がとってもお綺麗だって聞いたわ。今日は手習いの課題を持ってきたのだけど、みていてくださる?」
紙と硯、それから小筆を見せた八重は、女学校の課題を見てもらうつもりのようだった。琴葉は頷いて、茶菓子を片づけて机の上を整えた。
「わかりました。一緒にやりましょう? 私も筆を持ってきます」
難しい字や、歪になりやすい文字は、実際に書いて見せるほうが上達も早い。琴葉は使い慣れた小筆を出して、八重の向かいに座る。
昔は文子の課題も、よく見せてもらったものだ。自分は女学校に通っているわけではなかったが、墨島家にはよく出入りしていたため、時々机を並べて書きものをすることはあった。勝気な文子は琴葉が並んで何かをしていると集中力を発揮するらしく、正からはよく感謝されていた。あの日々が懐かしく思い出される。
文子はどうしているだろう、と琴葉は思いを馳せた。
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