幕間 『動き出す帝国東伐艦隊』
大和皇国の皇都上空近郊に二十隻の飛空艇艦隊が待機している。
他国の軍が首都の喉元に駐留する、それは本来異常な事である。
これが現在の帝国と皇国の力関係を示している。
当初、大和皇国は飛空艇艦隊を持つ帝国軍を見てパニックを起こした。
傍若無人な帝国に対して大和皇国は浮き足立ち、満足な対応が出来ずにいる。
理由の一つは幕府の弱体化。
もう一つは朝廷の中央集権体制の脆弱さが露呈したのである。
初期には各地の空中騎乗戦力を持たない弱小大名たちから次々に敗北してしまった。
この窮状に何できない朝廷と幕府は求心力を失い、皇国の大名はまとまることが出来ずにいる。
大和皇国第二東伐艦隊司令シューキュリム准将。
帝国上級貴族の侯爵でもある彼の乗る旗艦バルバロス。
広大な飛空艇の中には彼の権限で様々な娯楽施設が作られている。
その中でも特にこだわり抜いた施設がコンサートホールである。
シューキュリムはVIPルームで優雅にクラシック音楽を楽しんでいた。
一流の音楽家たちがコンサートピットで演奏する様を時折眺めながら、ゆったりと紅茶をたしなみ読書をする。
そして、VIPルームに二人の貴人がやってくる。
「シューキュリム侯爵。邪魔をするぞ」
「これはギルバート殿下」
「かしこまった挨拶はいらぬ。いきなり押しかけたのはこちらだからな」
立ち上がろうとするシューキュリムにギルバートは手で制する。
神聖フィアガルド帝国第三皇子ギルバード。
大和皇国東伐艦隊総司令にして上級大将の肩書きをもつ。
長身細身ながら体幹がしっかりしている青年。皇子ながら軍人としてもしっかりと鍛え上げられている上、金髪碧眼の甘いマスクは天使のよう。
ギルバートの登場に気がついた客室にいる貴族のご婦人方からは色めきだった声が漏れ聞こえてくる。
「ふむ、騒がせてしまったか?」
「ご心配なく」
シューキュリムが立ち上がり、身振りするだけで客席は静まりかえる。
客席の貴族はシューキュリムの凍えるような冷たい視線にすっと静まりかえる。恐怖で萎縮した婦人たちは慌てて目をそらしていった。
「さすがの統率力だな。冷徹美侯のシューキュリム」
シューキュリムはギルバートの隣に目を配ると赤髪の青年は敬礼で返す。
彼はギルバート側近のイフリス准将。
下級貴族でありながらギルバードに重用され、二〇才には准将まで上り詰めている。
真っ赤に燃えるような色の髪と瞳。
苛烈な色の印象とは裏腹に情に厚い。
軍や民からも広く人望がある。
ギルバートは席に着き、イフリスは執事のようにそばで付き従った。
皇子はシューキュリムが持っている立派な装丁の本に興味を持つ。
「それはもしや貴族で流行っているという啓発本か」
「はい。貴族とはかくあるべきという教科書のような書籍ですね。本国では貴族のバイブルとまで謳われ知れ渡る人気書籍です」
「興味深い。どのような事がかかれているのか」
「簡単に申し上げれば貴族がお金を貯め込めば経済が停滞する。故に積極的に使って経済の循環を図るは貴族のつとめ、といったところです。貴族の贅沢は無駄ではない。民に、国家にお金を還元する愛国行為だと」
「もしや軍艦にこのホールを作ったのもその本の影響か?」
「そのとおりであります」
ギルバードは少し思案し、なるほどと納得する。
「経済の循環か。なるほど納得だな。その本の著者は素晴らしい賢者だな」
「はい、著者名はギユウ・ユイシロというのですが一度あってみたいものです」
話を聞いていたイフリスはわずかに眉をひそめた。
ここ二年で帝国の国庫は急速に目減りしている。
遠征の事があったとしても支出があまりにも増えすぎていた。
その原因の一つに貴族の贅沢や遊興費用がある。
帝国の財務を司る官僚たちが頭を抱えていることを思い出していた。
(まさか、帝国の財政を圧迫している問題と関係が?)
シューキュリムは誇らしげに趣向を凝らしたコンサートホールのことを説明する。
「このコンサートホールとて私心でわざわざ飛空艇に取り入れたわけではないのですよ」
「ほう、というと?」
「たとえばこの演奏会には皇国の貴族を招待しています。ですが善意ではありません。皇国に突きつけているのです。貴様ら蛮族と偉大な帝国では文化レベルからして圧倒的開きがあるということを、ね。明快に文化で上下関係を見せつける、これが外交というものです」
しばらくゆったりと雅な音楽が流れ、シューキュリムは静かに聞き入っている。
シューキュリムが頃合いを見て身振りすると演奏がおどろおどろしくも迫力のある曲調に変更された。
引き込まれるような演奏に、客席の聴衆は目の前に釘付けとなり、VIP席に聞き耳を立てる物もいない。
「さて、 ギルバート殿下。本題を伺いましょうか」
「ふむ。些か性急だが本国より勅令が降った。反逆者結城義友の生死を確認し、生きているようならば生け捕れ。出来ぬなら確実に息の根を止めろ」
「反逆者結城義友ですか。テレジア様に召喚されるという栄誉に預かりながら愚かにも反逆した恩知らずですね。それにしても生け捕りとは面妖な指示ですな。殺せばいいものをなぜ生かすのか」
テレジアの嗜虐的な趣味故の生け捕りの命令。
シューキュリムたちは知らない方が幸せなのかもしれない。
「本国が何を考えているかはわからんよ。だが勅は降ったのだ。やるしかあるまい」
「しかし、動くにもいささか戦力を割くことに不安がありますな」
シューキュリムは大和皇国に強大な軍事力を持つ大大名が複数いることを知っている。特に最強の空戦騎兵力を誇る武田家は侮りがたい。
武田家は1万8千騎もの空戦用騎獣部隊を保有する。
まともに戦えばこの東伐艦隊でも危うい。
シューキュリムたちが皇国を攻め落とせない事情がここにある。
戦力を分散させれば好機とばかりに一気に上洛してくるのではと危惧していた。
「間もなくわが直属にと建造していた最新鋭の飛空艇艦隊が本国より到着する。それを待ってシューキュリム准将は東伐第二艦隊を率いて北上せよ。そして大和皇国本島北端に位置する津軽藩を攻め落とすがよい。奴が生きているとしたらそこだ」
「勝手に軍事行動を起こして滅ぼしてもよろしいので?」
さすがに大和皇国の朝廷が黙っていないのでは、と暗に目配せするがギルバートは薄ら笑いで応える。
「津軽藩は反逆者をかくまった。滅ぼすには十分な理由だ。未だに皇国の皇族が反対しているようだが公家の根回しは十分だ。事後報告でいい。皇国の皇族に何が出来ようか」
「警戒すべきは武田や上杉――北条、今川、尾張の織田、毛利家辺りが厄介だが所詮は対岸の火事ですますだろうさ。そちらも根回しは終わっているので心配するな」
「さすがは殿下。それでは……」
シューキュリムが勢いよく立ち上がり、両手で身振りするとさらに演奏はクライマックスへと入っていく。
そして、舞台の奥の幕があがると、解放されたアイアンメイデンに縛られている者たちが現れる。
「シューキュリム准将、あれはなんだ?」
「あの者たちはこの国に落ち延びたアイゼンブルグの残党と王族の生き残りの処理に失敗した者たちです。特に中央の男は天秤騎士であります。皇帝陛下からレギオンマジックウェポンをたまわりながらも敗北した愚か者。見せしめによいと思いましてね」
「見せしめだと?」
「無能や刃向かう者の末路はこうなるのだと示すのです」
シューキュリムは指揮者のように身振りして締めると演奏もフィナーレを迎える。
最後は背筋が寒くなるような大音響と処刑される者の断末魔で締めくくられた。
そのあまりの光景に招待された皇国の公家は青い顔をして沈黙し、帝国の貴族たちは反対に熱狂し拍手する。
帝国の貴族のスタンディングオベーションに皇国の人間は戸惑いを隠せない。
「すばらしい」
シューキュリムは体をプルプルと震わせ、感動していた。
「命のかき消える断末魔とオーケストラの迫真に迫る演奏が人の心を震わせる。これぞ正に芸術なり。ああ、なんと美しきかな」
「……頼もしい限りだ。その調子で津軽藩の逆賊どもも殲滅せよ」
「お任せください、殿下」
敵や無能には一切容赦しない冷徹で何事にも美を追究する侯爵。これが彼の二つ名のゆえんだ。
酔いしれるように礼をするシューキュリムにイフリスは不快感が湧き上がるの隠しきることが出来なかった。
――――――
――――
――
自身の乗艦船の私室に戻ったギルバードはソファに座ると重い息を吐く。
「上位貴族の相手は疲れるな。どいつもこいつも癖が強く、腐っている。帝国の貴族は末期だ。あれを同胞だと思うと虫唾が走りそうだ」
「殿下、あまりそういうことは……、どこに目と耳があるかわかりません」
とがめるイフリスにギルバードは砕けた態度で接する。
「そういうな。いつも張り詰めていてはどこかで折れる。それにここのセキュリティは万全だ。なにせお前が手配し目を光らせている」
「信頼していただけるのはうれしいのですが……」
ギルバードはイフリスの頬に手を当てて友を案じる。
「それよりもお前、さっきは心情が顔に出ていたぞ」
「シューキュリム閣下のあの処刑はあまりに冒涜的だと感じました」
「安心しろ。俺も同感だ。しかし、お前は優しすぎるな」
グラスにワインを注ぎギルバードは一気に飲み干す。
「それとイフリス。お前なにか気にかかる事でもあったか。らしくないぞ」
「近頃の帝国貴族の腐敗は目に余り、不自然なほどに侵食が早いと感じておりました。女神テレジア様のおっしゃる災厄の暗躍も考えましたがそれだけではないのかもしれません」
「どういうことだ?」
「あの啓発本です」
イフリスはあくまで推測ですが……と前置きする。
「貴族が散財し、商人にお金が巡る。確かに経済が回るという意味では間違いではありません。ですが度が過ぎています。支出が多すぎて戦争の補給物資に影響が出るほどです。今は遠征で攻め取った国からの賠償金などでどうにかなっていますがどうにもこの現状に違和感を感じていました」
ギルバードもイフリスのいいたいことを徐々に理解し、心胆が凍える面持ちになってくる。
「勝ち続けている間はいいが負ければ一気に戦線が崩壊する。危うい財政運用だとお前は危惧していたな。まさかこれが意図して引き起こされていると?」
「その通りです。私は疑問に思っていました。帝国に敵対するノルマン王国やブリターニュ王国がどんなに挑発し、隙を見せても堅く防戦に徹しています。まるで何かを待っているかのように。そして、私は先ほど啓発本の話を聞いて嫌な線が結びつき、ある推論にたどり着きました」
冷や汗が玉となって頬を伝い、恐る恐るイフリスは告げる。
「帝国は知らぬ間に経済への攻撃を仕掛けられている可能性があります。それも我が国の貴族の意識を誘導する事によって水面下で間接的に」
「馬鹿な。戦争とはいかに強い兵器を、兵を集めて運用し戦うことにある。経済を責める戦いなど聞いたことがないぞ」
「戦争はお金がかかります。武器を買うお金がなくなり、兵を食べさせる食料も買えなくなれば軍は機能しなくなります……。これは敗北することと同義です」
「それが本当ならばすぐにあの本を禁書にするべきだな」
イフリスは自分で話していて考えが明瞭になっていくのを自覚した。特に禁書の言葉がでて初めてこの見えない敵がおぼろげに見えてきた。敵の仕掛けた計略の真の恐ろしさが輪郭を帯びていく度に震えが止まらない。
どう止めるか。
それを考えたときに敵の策の悪辣さと手のつけられなさが理解できてしまう。
「……駄目です。出来ません。少なくとも、あの啓発本が害悪だという明確な証拠が必要です。いえ、きっとそれだけでは終わらない」
「なぜだ」
「あの啓発本は貴族の免罪符です。贅沢、悪徳も貴族の義務や必要悪などもっともらしい耳障りのいい一方の側面だけの真実を語り、悪魔のような甘言で貴族を堕落させたのです。禁書にすれば貴族の反発を招き、証拠を提示しても享楽を知ってしまった人間が簡単に改められるはずもない」
帝国の貴族に浸透してしまったこの毒はもはや容易ではないと知ったギルバートは戦慄した。
「この本を作り広めたのは新教徒の連中か?」
頭を抑えて悩むギルバートにイフリスは軽々に結論は出せない。
確かに新教徒たちの間ではすぐにその啓発本は規制されている。
そして、情勢を見れば疑わしい。だが断定は危険だ。
これほどの嫌らしい策を巡らす者である。
迂闊に動けば逆手にとってくる危険もあり得た。
ただ、自分の推論はおそらく被害妄想ではないとイフリスの中では確信が強まっている。
「ギルバード様、この一連の問題は詳細に調査し対策すべきだと具申します」
「そうだな。許可する。対策を取りたいが今は情報が足りない。すぐに取りかかってほしい」
「はっ」
イフリスは早速部下に差配するために部屋を退出する。
「この策を考えた敵の悪辣さは悪魔の呼称すら生ぬるい。帝国は知らぬ間に恐ろしい知恵者と敵対していたようだ。気を引き締めねばなるまい」
その本を書いた男が、実はすでに親友のスライムとともに、卑劣極まりない邪道な戦略策を、幾重にも実行していたことを知るのはもう少し後の話である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます