幕間 女神テレジアと華麗なる者たち
神聖フィアガルド帝国の皇宮。
それは女神テレジアの住む天空の大陸に存在する。
莫大な資金と労力を投入され建造された皇宮は巨大な芸術作品のようだ。
世界最大の人類国家にふさわしい豪華絢爛な建造物。
栄華の象徴たる威容を人々に見せつける。
壁、天井、床、ピロティに至るまで最高峰の芸術家を集めて描かせた装飾。
貴金属や宝石がふんだんに使われた調度品が当たり前のように溢れている。
皇宮の広場、多くの貴族や官僚がいるなかで一人の辺境伯が訴えかける。
シュトーレン辺境伯である。
「目をお覚ましください、ジークバルト殿下。帝国貴族のモラルは地に落ち、民に重税を課し、戦争と贅沢三昧。借金を繰り返し国庫は枯渇しかけております。何より問題なのは近年の女神テレジア様の暴挙の数々に民心は離れております。このままでは帝国は滅びてしまうでしょう」
「貴様、我らの女神を愚弄するか」
帝国の皇太子ジークバルトは諫める言葉に耳を貸さず不快感をにじませる。
切れ長な瞳に怒りが宿り、整った顔立ちのせいでより一層凄みをます。
それでも辺境伯はひるまず訴える。
「見目麗しき女性を次々にえん罪にて処刑する。異教徒というだけで他国を侵略し、容赦なく虐殺する。苛烈なまでに文化と民族、宗教を弾圧する。これが慈愛の女神のすることですかっ」
辺境伯の娘もまた異端審問官に目をつけられ連れて行かれた。
そして、かえってきたのは無残になぶられ殺された娘の死体だ。
あのときから辺境伯は激しい怒りを抱え、信奉するはずの女神に不信感を持つようになった。
「魔女狩りの裏で何が行われていたのか。今、帝国はどれほどまでに腐敗しているのか。すべての証拠がここにあります。どうか殿下、これを見ていただければわかるはずです。女神ではなく国に、民に目をお向けください」
辺境伯の決死の訴えに突然泣き崩れる女神テレジア。
見目麗しき淑女の悲しむ姿に多くの者の同情が集まっていく。
「ああ、ひどいわ。私は常に人を、隣人たちを愛しているというのに。世界は危機に瀕しています。邪悪な
ジークバルトはテレジアのそばに寄り添い、慈しんで優しく抱きしめる。
「ああ、かわいそうなテレジア様。貴方はこれほど人類に尽くし、高潔で、愛に溢れたお方だというのにそれを理解しようとしない。こんな愚かな貴族が帝国にまだ存在しようとはな」
ジークバルトのそばにいた宰相の子息。
補佐官セイランがメガネを一度抑え、辺境伯の差し出す証拠書類に目を通す。
辺境伯の血のにじむような想いで積み上げた決定的な証拠すらある。
わずかに目を通すもセイランは冷めた様子だ。
「くだらない」
十分に目を通すことなく破り捨てた。
更には魔法を発動し燃やしてしまった。
辺境伯の血のにじむような時間と労力の結晶の無残な残骸となって散る。
「な、なにをするのです。あれには言い逃れの出来ない証拠も含まれていたはずだ」
セイランは侮蔑のこもった目で辺境伯を見下すし、ジークバルトに説明する。
「おそらく巧妙にねつ造された偽の証拠でしょうね。そもそも女神テレジア様は聖母の優しさを胸に秘めたお方。シュトーレン辺境伯、貴殿の先の発言だけで不敬罪に処されても文句は言えまい。ならば罪人の言葉など聞くに値しないな」
その言葉を聞いたテレジアは感極まったようにセイランにかけより抱きしめる。
「ありがとう、セイラン。信じてくれてうれしいわ」
「れ、礼には及びませんよ。当然のことをしたまでです」
頬を赤らめ、セイランはそっぽを向く。
それには黙っていられないと高身長に鍛え上げられた体の偉丈夫。軍服姿の青年が割って入る。
帝国の皇族を守護する精鋭騎士『ロイヤルガード』。
その団長の息子グレイブが得意げに語る。
「おいおい、待てよ。俺だってテレジア様のこと信じてるぜ。地上で蔓延する叡智の女神の邪教徒を一斉摘発したんだぞ」
「まあ、グレイブ、貴方もありがとう。これで地上も一層平和になるわ」
ジークバルトは神妙な顔つきで思案する。
「たしか平民以下の民に広く浸透しているという女神メティアをあがめている宗教だったな」
「地下に拠点を作り、細々と活動するからなかなか撲滅できねえんだけどな」
「嘆かわしい」
セイランが困ったものだという。
これまでのジークバルトたちの会話を聞き、辺境伯は大きな失望と悲壮な思いに駆られていく。
「ここまで、ここまで腐っていたか。皇帝陛下も暴君に成り果てた。皇太子までこれとは。もはや、これまで。先々代の陛下に申し訳が立たぬ。帝国貴族として命にかえても災いの元を絶ちきってくれるわ」
辺境伯は隠し持っていた暗殺用の魔導短剣を手にテレジアとジークバルトに襲いかかろうとすると不意に動きが封じられる。
「なっ、上級魔法をも扱う私が簡単に魔法で。完全に動きを抑え込まれているだと!?」
辺境伯の体に封じの光が無数に巻き付き、
「本性を現したか。邪悪の手先め」
聖なる鎧に身を包む勇者ダリルが駆けつけ聖剣を抜くと一瞬の間に辺境伯を切り捨てた。
――――――
――――
――
辺境伯が死んで大きな騒ぎとなったためその場にいた貴族らを解散。
奥の応接の間でジークバルトたちは改めて集まった。
「女神テレジア様、お怪我はありませんでしたか」
イケメンで爽やかな笑顔を振りまき、勇者ダリルはテレジアに膝を折った。
「おかげさまでかすり傷一つ無かったわ。ありがとう、私の勇者ダリル」
「あ、いえ。お役に立てたのなら光栄です。テレジア様の治療のおかげで命を取り留めました。こちらこそ感謝いたします」
初々しく照れてうつむく勇者ダリル。
少年らしいうぶな一面が垣間見える。
「意識不明の重体で運び込まれた時は本当に心配したんだからね」
テレジアに手を握られ、美しい女神のぬくもりにダリルは一気に沸騰したような顔になる。
「ええ、敵は強敵でした。なにせあの『青い悪魔』でしたので」
「なっ」
「マジかよ。よく無事だったな」
ジークバルトが驚愕し、その後グレイブがダリルの背中をたたいて生還をねぎらった。
なにせ正義の異教徒征伐に幾度となく介入し、苦しめられた憎き宿敵。
スラユルという緩い名前とはうって変わってその被害は魔神のなすがごとし。
生きて戻ってきただけで奇蹟というべき相手。
だというのにダリルの口からさらに信じがたい報告が飛び出した。
「お喜びください。その青い悪魔ですがどうやら死んだようです」
「「「なんだと」」」
「まあ」
皇太子は思わず立ち尽くし、テレジアも感嘆の声を上げる。
「それは本当なのですか、勇者ダリル」
「確かだ」
セイランの問いに間違いないと頷く。
「俺は青い悪魔と無能の反逆者結城を追う追撃艦隊に同行し戦闘になった。青い悪魔に俺のユニークスキル『ルインスレイブ』をかけてどうにか相打ちにできた。俺は戦闘不能になったが撤退途中、青い悪魔にかけた封印の効力がきれる前に自然消滅したのを感知した。つまり、スキルをかけた相手が死んだ事に他ならない」
「でしたら残りは反逆者結城だけなのですね」
「ええ、彼は現地の兵に保護されたそうですが瀕死の重傷を負っていたそうです」
「……死んだのか?」
ジークバルトが前のめりになってダリルに問う。
「可能性は十分にあるでしょう。回復薬をもつ青い悪魔の格納スキルは封じていましたし、文明の遅れた野蛮な大和皇国に優れた回復薬があるとは思えませんしね」
話を聞いていたテレジアはしかし、体を震わせ不安な顔を覗かせる。
「でも相手は運だけはいい狡猾な結城です。本当は生きていて野放しになって……今度はどんな恐ろしい事態を引き起こすことでしょうか。それによって苦しむのはきっと罪もない善良な民に違いありません」
手を組んで民を案じる健気な姿にジークバルトたちは心を打たれた。
「心配いらない。すぐに増援を送り込んで生死を確かめる。生きていようが確実に奴を追い詰めるさ。君も守るべき民も傷つけさせやしない。だからそんな不安そうな顔をしないでおくれ。愛しいテレジア」
「ああ、ジークバルト。ありがとう。私は本当に幸せ者ね。こんなにも正義感と優しさに溢れた英雄たちに支えられているのだから」
和やかな雰囲気で躱される会話。
その中でひっそりとうつむき、女神テレジアが口角をつり上げる。
皇太子たちの裏で慈愛の女神とは言い難い卑しい笑みを浮かべていた。
――――――
――――
――
その後、神殿に帰っていったテレジアを見送ったジークバルトたち。
ジークバルトとセイランは執務室にて政務を始めていた。
テレジアといたときの柔和な雰囲気はもうない。
「クリスは?」
皇太子の質問にセイランが応じる。
「第三世代飛空艇の最終飛行試験に入っているよ」
「もうそこまで進んでいるのか。ついこの間空飛ぶ木造船に度肝を抜かれたばかりだというのに。文明の進んだ世界からきた勇者の能力はすごいものだな」
「今度は船体がほぼ金属製。飛行も推進機関というものが主流となるらしい。これが量産された暁には西方大陸諸国の戦況も有利に動くだろう」
「それは助かるな。南や東南方面の大陸では順調に邪悪な異教徒たちを倒して人々を解放出来ている。だがノルマン王国やブリターニュ王国ら新教徒が結託して頑強に抵抗を続けている」
「そこも頭の痛い問題ですね。あの国々のせいで流通、侵攻ルートが遮られ大きく迂回せざるを得ない。占領地からの交易品の仕入れ値が高くなり、利益が少なくなるのですから」
「飛空艇の技術を帝国が導入してすぐに奴らも投入してきた。情報流出を疑うべきだな。調査の方はどうだ」
「怪しい者は何人か捕らえましたが撲滅出来たとは言い難いですね」
「第三世代型の機密には細心の注意を払うようにしてくれ」
「対処済みだ。人員も厳選し、今度はネズミ一匹逃さない体制だよ」
ジークバルトはセイランから警備体制の計画書に目を通し納得した。
「シュトーレン辺境伯の話ではないが確かに帝国の資金も潤沢とは言い難い。早い内に安全で最短の航路を確保して戦費を捻出しないと戦線が維持できなくなる」
「幸いなことにこのたびの辺境伯の反逆の責を追求し、彼ら一族の財産を没収。戦費を捻出できる。爵位も剥奪。一族関係者すべて国外追放で手打ちといったところですか」
「……任せる」
少し考え込む仕草にセイランが気遣う。
「なにか気がかりでも?」
「いや、ふと、元婚約者の事を思いだしね」
「ああ、没落したレスター公爵家の」
「もともと亡き先々代の皇帝陛下が結んだ政略結婚だった」
「希少な亜人『スノーラビット』の血を引くレスター公爵家のお姫様。外見だけは妃にふさわしかったかもしれませんね」
「なあにテレジア様には及ばない。しかし、聡明で淑女として尊敬できると昔は思っていたのだがね」
「実際は多くの男性をたぶらかし、世を乱すために暗躍していた魔女でした。テレジア様の悪評を訴え、女神を貶めようとした大罪人です」
皇太子は残忍で感情のこもらない鉄面皮で言い放つ。
「ああ、そのような邪悪な女は国母にはふさわしくない。だから追放した」
「いまだにかの令嬢を密かに慕っているものもいるらしいですがね」
「あいつは魔女だぞ? 何を馬鹿な」
執務の机をたたいて激高するジークバルト。
セイランはその怒りに賛同する。
「私もそう思います。ですがテレジア様こそが悪女であり、スノウ元公爵令嬢こそがこの国の良心だったというものがいるのです」
「そいつらは善悪の区別すらつかぬ節穴だな。テレジア様の耳に届かぬよう一層取り締まれ」
「わかっていますよ」
苛立ちが収まらない。彼は天板を何度も指で叩きこう主張した。
「スノウはあの反逆者結城と行動をともにしていた。そのことからも魔女であることは明白だろうに」
「殿下、落ち着いてください。あの魔女も人の子。公爵家の一族の命をちらつかせればこちらの要求に応じる良心もひとかけらほどにはあったのですから」
「そんなこともあったな」
彼にとってはもはやどうでもいい過去の話だ。
そのことで元婚約者は追い込まれ死ぬに至ったというのに。
「こちらは反逆者どもの首と引き換えにレスター公爵家の安全を提示する慈悲を示した。だというのに自殺して逃げたのだから無責任な女だ」
「なのに殿下はお優しい。公爵家の者たちをこのたびのシュトーレン家と同じ処分で許したのですから」
「政略結婚とはいえ元婚約者としての温情だよ」
そして、なんとも傲慢に満ちたような笑顔でいった。
「俺にはテレジア様がいる。人間の婚約者など不要だ」
□ □ □
「あーははははははっ」
テレジアは自身の神殿に引きこもると狂ったように笑い、踊り出す。
調度品の数々をコツンと倒して遊んで浮ついていた。
「あの低俗なスライムもようやく死んだのね。いい気味だわ」
空に舞い上がると空中でくるくるとドレスを翻す。
魔導具の光球を無数に浮かべて空中を踊らせる。
「スノウも追い詰め殺した。あのスライムもいない。癒やしの聖女ら仲間たちと新教徒の国々とも切り離した。あいつはもう丸裸よ」
るんるんスキップを踏んで上機嫌に歌まで口ずさむ。
「厄介な魔剣も英雄狂いの神々がとち狂ってたたき折った。愚かにも足をひぱったの。これで結城はもう何も出来ないわ。私は優しいからあなたの生存を今だけは願ってあげる。だってあいつが大事にしていたスノウがどうして死んだのか聞かせてやりたい。絶望した顔が見たいんだもの。ああ、あとでジークにいっとかなきゃ。結城が生きていたら生け捕りにして連れてきてくれるように。きゃは☆ 私ってやっさしーー」
上機嫌なテレジアに水を差すように何者かが空間を破り這い出てくる。
暗い暗黒の正気を体に纏う背の低い老婆のような姿。
魔女を思わせる漆黒のローブに身を包み、帽子を深々とかぶっているため人相はうかがえない。
それでもテレジアは相手が誰かわかっているように応じた。
「何の用かしら。私今すごく気分がよかったんだけど。もう台無しよ」
「イッヒッヒッヒ。相変わらず裏表の激しい娘だねえ」
少し嗄れた老婆のような声が神殿によく通る。
「ちょっと忠告に来てやったのさ」
「忠告。なによそれ」
「仲間も、魔剣も失ってあの男がもう何も出来ない? バカいうんじゃないよ。あの男はね、旧き神すら封印するしかなかった疫病の災厄王を倒したんだ」
「だからなに、あれを倒したからといってなんだっていうのよ。召喚されてまともなスキルも手に入れられない無能召喚者よ。どうせ仲間の英雄たちから手柄を奪って吹聴したのでしょうね」
老婆は頭を振り、呆れたように話す。
「まだそんな認識なのかい。災厄王の一柱をマグレでも倒せる男が無能な訳あるかい。それこそ英雄狂いの神や戦女神らがとち狂うほどの逸材だったのさ。結城を手放したあんたの失態は大きいよ」
「ああ~~、説教は聞きたくないんだけど。あいつの覇気は特殊だから使いこなせる魔導具なんてあのファフニルぐらいでしょ。だから無能なのよ。心配するだけムダムダ」
手をひらひら振ってあっち行けと身振りするテレジア。
しかし、老婆から無視できない情報が耳に入りテレジアは動きを止める。
「あの男がいまいる場所の近くには何があると思う。それすら忘れちまったとはいわせないよ」
「まさか、霊山にある神剣のことをいっているの。あり得ないわ」
「お前さんがいうような運だけはいい男だよ。どうしてそう言い切れるんだい」
「それは……」
老婆はクツクツと笑いながら消えていく。
「忠告はしたよ。精々逆襲されないことを祈っているさね」
老婆は暗い瘴気に包まれると忽然と姿を消していた。
「ちっ、せっかくの気分が台無しだわ。仕方ないわね」
パンパンと手をたたくとテレジアの召喚陣が床に浮かびあがり、清楚な聖女の衣をまとった少女が現れる。
ただし、聖女というには妖艶さが隠しきれていない怪しい色気を隠し持つ少女ではあるのだが。
赤みがかったブロンドの長い髪をまっすぐ下ろした少女はその場で膝を折りテレジアの言葉を待った。
「聖女序列第3位モニカよ。貴方に命じます。大和皇国に赴き、神剣を確保しなさい。また反逆者結城の生死確認。処理なさい。可能なら生け捕りにすること」
「謹んで承りましたわ。ご期待に応えて見せましょう」
「艦隊旗艦用に建造された新型飛空艇がロールアウトされていたわね。それを使いなさい。それと例の蜘蛛の持ち出しも許可します」
「感謝いたします」
モニカは礼をするとまた召喚陣の光に包まれ転送されていった。
「これで十分でしょ。さあ、今日のデザートはなにかしら♡」
見送ったテレジアは憂いが去ったと既に結城への興味を失っていた。
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