第6話 『帝国天秤騎士の暗躍』


 アイゼンブルグの王女シャルロッテはこの残酷で希望のない世界に絶望していた。

 祖国を捨てて逃げなければならなかった。

 ――なぜなの。

 彼女は現在に至るまで頻繁に自問する日々が続を続けている。



 信じていた女神の裏切り。

 愛すべき隣人と信じてた人間の裏切り。

 民を守れず、国を失い、それでも付き従う者の先頭に立ってきた。

 苦難の末にたどり着いた先でも安寧は訪れなかった。

 女神テレジアの使徒が執拗なまでに私たちを追い詰めるのだ。

 国が滅びても付き従い心に寄り添ってくれたメイドが、

 王女の盾となり忠節を尽くす騎士が、

 目の前で殺されたのだ。

 ――わたくしからすべてを奪わないで、と女神を呪った。

 家族のような愛するものの喪失。

 それは心の支えの喪失でもあった。

 か弱い彼女が生きていくにはあまりに残酷な現実。

 もはや王女としての仮面すら外れ、年相応に泣き崩れる少女の姿があった。


「ひっぐ、アリシア、リーン……」


 友であり、姉ようでもあった親しい者との突然の別れ。

 無慈悲に刈り取られた命。

 奇襲をかけた人間たちは笑いながら奪っていった。

 もう帰ってこない。

 失った命は決して返ってこないのだ。

 シャルロッテは失意のあまり泣きじゃくることしかできなかった。

 惨めにも捕らわれ、大きな麻袋に入れられ運ばれる今このときも。


「「きゅぅ~~ん」」


 そんなシャルロッテに寄り添ってくれる可愛らしい子グマがいる。同じく誘拐された二頭の子グマだ。

 一方は銀色の角に真っ白の毛に包まれ、もう一方は漆黒の一角に赤い体毛に覆われた子たち。

 この子たちも仲間を殺され、悲しんでいるかもしれない。

 なのにシャルロッテを気遣ってくれている。

 澄んだ瞳の白い子が優しげに寄り添い、気が強そうな赤い子が気丈にも振る舞っているように見える。


「くま~~っ」


 勇ましい声を本人が上げているつもりだがなんとも愛らしい熊姿にシャルロッテは少しだけ心が軽くなった気がした。


「わたくしはこのまま殺されてしまうのでしょうか。毛皮にされるのでしょうか。いえ、悪い帝国貴族に売られてしまうのですわ」


 襲ってきた連中はハンターのようだったがシャルロッテは違和感を感じている。雇い主らしき騎士の姿もあった。その騎士がとにかく強かった。護衛でもあったメイドのアリシアが簡単に殺されてしまった。

 古傷のせいで不自由があっても強かったエルフ騎士のリーンが一方的になぶり殺された。

 到底信じられない光景が頭に焼き付いてシャルロッテは怯えきってしまっている。

 だが後になって気がつく。騎士は祖国を滅ぼした天秤騎士だ。あの悪魔が隠れ里を襲ったのだと確信する。

 祖国を滅ぼした天秤騎士の強さは目に焼き付いてる。到底人間とは思えない力を持った者たちだ。特にシングルナンバーズと呼ばれる天秤騎士はもう神の領域に届くような化け物たちだ。

 そんな天秤騎士に捕らわれてしまった。もう逃げられない。

 絶望感に囚われ生気を失っている。

 抵抗する気概も失っているシャルロッテに誘拐犯が袋を空ける。


「おい、見てみろ。お前らのおかげでやっかいな英雄種の兎人族らと森の主クラスのブラッディベアが潰し合ってるぜ」


 手足を縛られたシャルロッテと子グマ2頭は袋から放り出される。そして、離れた丘の上から見える凄惨な戦いに衝撃を受けていた。

 丘の下では兎人の英雄に率いられた兎たちと森でも最強クラスのブラッディベアたちが激しい殺し合いを繰り広げている。


 一方は里を奇襲され仲間を殺された。なにより大事な姫を奪われたため怒りに突き動かされている。

 もう一方は、群れのボスの子供と大事な神獣をさらわれた怒りで荒れ狂う。

 どちらも誘拐犯たちが偽装した両者を潰し合わせるための謀略だ。

 両陣営とも誤解したまま黒幕に踊らされている。

 歯止めの利かない怒りにまかせて互いにぶつかり合う。命と命が削れ合うすさまじい戦いだ。


「あはははっ、殺し合え。つぶし合え。綺麗に共倒れしてくれりゃあ大もうけだぜ」


 人間たちと別格の装備をした騎士が戦いを見て笑っている。

 シャルロッテはこの人間たちの浅ましさに髪の毛が逆立つような感情が渦巻く。

 ――どうしてこんなひどいことが出来るの。笑っていられるの。


「もうやめくださいーーーーーーっ」


 必死に声を上げる。

 この声が届いて、と。

 この戦いを止めなければ。

 シャルロッテの必死の願いこもった叫びは、

 たった一人の少女の叫びは、

 戦場の命を削る喧噪にむなしくかき消えていく。

 そんな皮肉が滑稽だと人間たちはシャルロッテをあざ笑う。


「はっはっはっはっはっ、ムダムダ。聞こえやしねえよ」

「一度始まっちまえば止まらねえ。それが戦争さ」


 天秤騎士がワインボトルを取り出し飲みながらシャルロッテを見下してくる。


「ド辺境で任務を命じられた時はとんだ貧乏くじだと思ったが、こいつらを売り払えば金になる。アイゼンブルグの王族、それも黄金より遙かに美しく価値のあるとされる『ゴールドキングラビット』が手に入るとな」


 騎士は上機嫌だ。


「シューキュリム准将もお喜びになるだろうさ。あの方は美しいものには目がないからなあ。それに加えて希少な魔物素材で大もうけだ。俺の評価も二重に高まるというものだ。まさに一石二鳥だな」


 お金のため。出世のため。

 その言葉にシャルロッテは悔しさで涙がこぼれる。

 国が滅びた時もそうだ。こんなくだらない理由で祖国は狙われた。

 彼らはアイゼンブルグの民をお金としか見ていない。

 そして今回も。


 かつて両親も周りもシャルロッテに戦いは向かないと言った。

 優しすぎると。それに姫なのだから戦う力は必要ないとも。

 それでもシャルロッテは思うのだ。

 力が、戦う才能が無い自分が嫌いだと。

 役に立たない姫である自分が情けなくて悔しすぎると。

 だから強く願った。

 戦う力が欲しいと。この悲しい戦いを止めてみんなを助けたいと。

 強い思いは奇蹟を生んだ。


「うああああああああああーーーーー-っ」


 シャルロッテの体が黄金の光で包まれると一角ウサギから人間の少女の形態に初めて進化できた。磨かれた黄金のように美しいうさ耳と尻尾の毛並み。絹のようにしっとりした髪が腰まで伸び、少女とは思えないメリハリのある肢体ながら清楚で整った顔立ちは聖母をのような包容力が溢れる。

 人化と同時にシャルロッテは戦闘用の服をオーラによって形成する。

 武器はない。彼女にとってはしなやかでモデルのように長い足が武器だ。だからこそ動きやすい武闘服が形作られた。

 

「へえ、人化出来たとはな。それも極上の女になったじゃないか。こいつはいい」


 騎士がシャルロッテに嫌らしい視線を向けてくる。それが気持ち悪くて鳥肌が立ちそうになる。それでも。


「今、わたくしが出来ることは……」


 子グマを抱えて逃げること。脚力を生かして逃げ延びて、下で戦う魔物たちの戦いを止めることだ。


「させねえよ」


 魔道具で身体強化された騎士は反応が出来ないほどの速度でシャルロッテに追いつくと中段蹴りで吹き飛ばした。


「あぐっ」


 子グマをかばいながら受けた蹴りにシャルロッテはうずくまり苦しんだ。痛みのあまり地面に倒れ込む。


「馬鹿が、子グマを抱えて逃げ切れると思ったのか。それでなくとも俺はただの騎士じゃねえ。これでもの末席なんだぜ」


 シャルロッテは目を見開く。

 天秤騎士は特別な装備を持っていると聞く。


【レギオンマギウスアーマー】

 

 魔石と術式が組み込まれた特別な鎧である。帝国本国にいる常駐の大勢の魔法使いたちから転送される身体強化魔法と防御障壁魔法が他国の騎士とは隔絶した戦力差を生み出し、最強の名をほしいままにする魔導鎧だ。

 加えて女神テレジアの加護を受けて別格の強さを誇る天秤教会の精鋭騎士の証。

 それを纏い戦う選ばれた騎士が天秤騎士という。

 天秤騎士であれば一番下の階級でも一人で他国の中隊規模の兵を殲滅してしまう。他国にとってみれば、まさに武力と恐怖の象徴。

 シャルロッテの祖国もわずか数人の上級天秤騎士が投入されただけで主力部隊が食い破られ滅亡に追い込まれた。あの日の悪夢が想起され、シャルロッテは恐怖にすくんでしまう。


「天秤騎士。人を人と思わない最悪の虐殺者だわ……」

「俺たちの恐ろしさを知ってるみたいだな。絶望しろ。その気になれば俺一人で丘の下で戦っている連中も皆殺しに出来るんだよ。残念だったな。ふははははっ」


 フォルケたちに知らせれば戦いを止められる。この人間たちをなんとか出来る。その希望すら打ち砕かれてシャルロッテは崩れ落ちる。

 

(こんな、こんなのってないよぉ。テレジア様。それほどまでにわたくしたちが憎いのですか。滅ぼすほど嫌いなのですか)

 

 かつて亜人の国でも信仰されていた天秤教。皮肉にも信仰していたはずの天秤騎士の手で滅びた。逃げても逃げても追いかけてくる。絶望と失望がシャルロッテに容赦なく襲いかかってくる。

 それでももう何かに祈るしかシャルロッテには出来ないもどかしさ。


(助けて、誰でもいい。女神様も助けてくれない。誰にすがればいいかもわからない。それでもどうか――――)


「――――誰かたすけて。……助けてください――――――」

「応っ!!」


 どうにか絞り出した声に応える声があった。

 思いも寄らんかった返事にシャルロッテは顔を上げた。


「えっ!!」

「なにぃ?」


 シャルロッテの声と天秤騎士の声が重なった。

 直後、空間に無数の突風が吹き荒れていく。何かが高速で走り抜けていく。

 そして、小さな筒が無数に投げ込まれると耳を劈くような破壊音と衝撃をまき散らし、次々にハンターたちが吹き飛ばされていく。


「なんだこれは。オーラを感じねえ。なのになんで爆裂の魔法攻撃を受けてる!?」

「皇国の新型魔法か。感知できねえ」

「こんなのきいてねえぞ」


 天秤騎士は驚き、何が起きているのかわからず困惑している。

 彼らより冷静だったシャルロッテはいち早く爆発の正体に気がついた。


(魔法じゃないわ。多分投げ込まれている金属製の筒のようなものね。あれが爆発しているのだわ。見たこともない魔導具だけれども……)


 彼らとて様々な魔物狩りをする強者たちのはず。だというのに未知の攻撃に対処できない。なすすべなく一方的に蹂躙されていく。

 そして、あちこちに吹き飛ばされて負傷し、陣形も何もあったものではないハンターたちは次々に何者かにとどめを刺して昏倒させている。

 シャルロッテも高速で動き回り、ハンターたちを攻撃するものをはっきりと捉えることが出来ないでいた。あまりにもはやすぎる。まるで風を目で追おうとするがごとく視線を向けてもすり抜けるように過ぎ抜けていく。

 爆発で舞い上がった砂煙も捕らえられない要因だろう。


「ぐぎゃっ」

「ひでびゅっ」

「な、なんなんだよぉーー」

「た、たすけっ」

「ひいぃ、何かがいる。どこだ、どこ……ぎゃばっ」


 その圧倒的な暴威の風はシャルロッテに牙を向けることはない。

 優しく包み込むような見えない安心感に包まれているようだ。


「……すごい」

「「きゅぅ~~ん」」


 子グマたちが興奮したように謎の参戦者を応援している。

 シャルロッテは夢を見ているような心地で嵐のような戦いを見守っていた。


「あの天秤騎士が翻弄されている。こんなのって一体誰なの……」


 人型に進化した統率種の優れた動体視力でもっても動きは追いきれない。

 吹き荒れる強風が次々にハンターたちの体を浮き上がらせ、打撃音とともになぎ倒していく。防具ごと叩き潰す圧倒的な攻撃で複雑な骨の破壊音が遅れて響く。ハンターたちは死なずとももはや再起不能の損傷を負っていく。

 そして、天秤騎士だけを残して嵐のように動き回った人物が姿を見せた。小さな愛らしい1匹の兎である。

 ――ええぇっ!?

 こんな小さなウサギがこの惨状を生み出したのかという衝撃。それよりもなにより、その姿にシャルロッテが息をのむ。

 新雪のような白銀色の美しい毛皮。何より水晶のような神々しい輝きを放つ額の角。

 それは滅んだと噂されていた伝説の一角ウサギの特徴と一致する。


「う、うそ。スノーラビット種」


 突然のことに警戒していた騎士は頼経の姿をみて目を細める。


「しんじられん。まさか絶滅したはずのスノーラビット種と出会おうとは」

「お前たち天秤騎士は相変わらず性根が腐ってるんだな。トップの女神からしてクズだし仕方ないね」

「貴様、我らの神を侮辱するか」

「それに与し易い」

「なお、侮るか。よほど死にたいようだな」


 頼経の挑発に怒りをみなぎらせていく騎士。荒々しい威圧にシャルロッテは震え上がる。そんなシャルロッテに頼経がかばいながら背中で語る。


「問題ない。俺に任せろ」


 その言葉だけでシャルロッテの震えはピタリとやんだ。

 同時に胸の鼓動がドキドキと高鳴っているのを感じた。


「はい」


 さっきまでのおびえの色は消え去っていた。


「粋がりやがってぶっ潰してやる」


 天秤騎士は一気に踏み込んで斬りかかろうとすると突然つるりと足を取られて盛大にこけた。


「ええーーーーっ!?」


 そんなことってあるの、とシャルロッテは天秤騎士のずっこけに唯々驚く。


「あ~~あ、足下おろそかにするからこんな古典的な罠にかかるんだよ。鍛錬がたりてないね」


 白銀の一角ウサギはあおるように言った。

 シャルロッテは何が起こったのかわからずに地面を見るといつの間にやら天秤騎士の足元一帯にヌルヌルの液体がばらまかれていた。

 更には転んだ拍子にすっぽ抜けた剣の柄が回転しつつ落下してちょうど騎士の後頭部に直撃する。

 もうコントかと言いたくなるような見事なコンボである。


「ぬおおおおっ」


 猛烈に痛がる騎士にシャルロッテは思わず吹き出し笑いそうになる。

 一方で子グマたちは遠慮無く笑ってうれしそうに騎士を指さしはね踊っている。

 これには天秤騎士の男が怒り心頭、真っ赤な顔で憤った。


「おのれ、ここまでこけにしておいて生きて帰れると思うなよ」

「いや、最後のそれ、お前が間抜けなだけだろ」

「――プフッ」


 今度こそシャルロッテは吹き出し笑いだしてしまう。

 悲しいことがあった。絶望があったばかり。

 なのに不思議とすべてが消し飛んでいく不思議な感覚と変革の予感。

 シャルロッテは彼を見たとき全身に落雷を受けたようなすさまじい精神的衝撃を受けていた。

 この人は。

 この方はきっとわたくしの運命の番だと。

 そして、迫害された自分たちを導き救世主だと。

 ――そう予言めいた確信をしたのだ。

 そして、彼女の直感は正しかった。

 この戦いの後、忠誠を捧げるに足るをシャルロッテは目の当たりにする。

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