4.怪物と戦い無意味な勝利を得る


 丸腰の俺よりもローディのほうが勝機がある。しかし手をかけた端から俺の胴体にも絡みついてくる。

 剝がそうともがくほどに絡まり、無数の吸盤で身体を吊り下げられる。


「顔を守れ!」


 ローディは鎧の金具を外して脱出しようとしたが別の触腕が素の足首を掴んでいた。

 両腕で呼吸の隙間だけは守る。しかしこのままでは食われるのを待つだけだ。


 不意に触腕が脱力した。ローディの脚を掴んでいたものが毒にあたったかのように痙攣している。


 特異体質。

 この怪物は魔力が動力源か。


 彼女も気付いたのか、鎧を素早く外していった。中に着ていた服も。

 裸になった彼女は拘束を抜け出して漁具の一つを掴んだ。

 2メートルを越える銛を手にする。しかし触腕の束に弾かれた。


「くッ」


 毒餌として認識した彼女を排除しようと怪物は暴れている。意識がそちらへ向かっているおかげか、捕食されるまでの時間が稼げた。

 俺は腕に絡みついた触腕を力任せに千切り取った。


「投げろ!」

「……!」


 彼女は怪物の隙をついて、銛をこちらへ投げよこした。

 両手に掴んで、怪物の頭めがけて振りかぶる。


 ずいぶん古い記憶だ。おそらくは、魂が異世界へ飛ぶようになるより前の記憶。

 家族の記憶。

 父が蛸を釣りあげた。当時の俺は恐ろしくて遠巻きに見ることしかできなかった。

 よく見ておけよ。

 父はナイフを手に取って、言った。

 その場所をよく覚えておけば、一人で対処できるようになる。


 額。

 怪物の額。

 怪物の退化した両目を確認し、俺はその間に銛を突き入れる。

 皮がよれて狙いが逸れた。


「っらぁ!」


 しかしあきらめず、俺は渾身の力で銛の石突を殴った。


 身体を縛る触腕が一瞬固くなり、内臓が潰されるかと思った。次の瞬間には脱力して俺は床へ落ちて行った。触腕が衝撃をやわらげ、身体を石畳に打ち付けることはなかった。


 あのレリーフは太陽などではない。単に、この大蛸の住処を示していただけだ。






「井戸じゃなくて生簀だったな」

「なんだそれは。いや、いい。地上の店にある奴だな」


 蛸の粘液をこそぎ落しながらローディが歩いて来た。

 俺のシャツを投げよこしたが、叩き落とされてしまった。


「着替えくらいあるだろう。探してみる」


 漁具の箱を漁りにいくらしい。


「答えは出たのか」


 なんの答えだ。


「アテは仕方ないとしてもだ。この世界を、助けたいと」

「俺にはできない」

「答えになっていない」


 ローディは箱から、鱗の残ったなめし皮を見つけ出した。透き通ったそれを身体に重ねて巻きつける。


「できるかどうかではない。無駄かすら関係ない。自身の感情くらい、私にもわかる。お前はわからないのか?」


 俺には答えられなかった。


「求められたままお前を斬るのはたやすい。何も考えなくていいからだ。この世界で『求められるまま振る舞う』行為が、いかに、浅ましく、卑しく、自他の意志を踏みにじる行為か、私は嫌と言うほど知ってしまった。……だから私は、この世界を作った神に抗っている」


 蛸が浮かぶ水面に目を向ける。気絶から目覚める前に離れなければ。

 そう思った矢先に泡が噴き出していた。俺は近くにあったハンマーを取り身構える。


 巨大なカプセルが浮かび上がった。


「………おい」

「脱出するぞ。来い」


 ローディが歩み寄って来た。俺は引き起こそうとした腕を振り払う。

 カプセルは破損が酷く、かろうじて残っていた天井部に泡が入って浮かんできたのだろう。


「鍵を見つけた」

「あれは、あれは何だ?」

「おそらくここは養殖場だ。カナロ信者は、神の使いを摂取することでその生命力を授かると聞いたことがある。ただの妄言だと思っていたが……」

「蛸のことじゃない。あれ、あのカプセルは」

「知らない。気になるというならお前だけで調べろ」


 俺は立ち上がった。ローディの後をついて往く。


 幾度か振り返った。蛸が動き出すのを警戒しながら、カプセルを見ていた。

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