6.落陽と共に過去が追いかけてくる


 一つ、真実を語る必要はない。

 一つ、引き上げた記憶から探すのはその人の望みであって、傷ではない。

 一つ、記録帳は細かく取り、自分と当事者以外の誰にも見せてはならない。


 先代ハルルワルト・グスタフの時代。占術師系の能力は不確かな部分が多かった。

 孫の二代目グスタフ、つまりハルが深層記憶の採掘技術を実証するまでは。


 ハルが生まれた頃には正当な占術師系魔術師はハルルワルト家を含めて国内に三件しか残っていなかった。「占いは元手のいらない商売だ」と手を出す非魔術師は多く、看板を掲げる偽物が後を絶たなかったという。

 その苦境を先代は嘆かなかった。

 人徳も手伝って孫に高度教育をしてやれる程度には、先代の占いは常連がついていた。先代は孫へ仕事の心得を教えていた。


 ある夏の朝、先代グスタフは一夜にして廃人と化した。

 朝食中に意識を失ったかと思えば、急に乱暴な言動になり家を飛び出す。昨日まで使っていた辞書の引き方も忘れてしまっていた。二日後にはベッドから出られなくなった。やがて死に至るその間際まで「呪われた」としか喋らなくなる。


 先代が亡くなったのはハルが満五才になる日だった。


 その記憶の書き換えは転生者の言葉で『フォーマット』と翻訳されている。相手の脳へ強引に別の記憶を擦り付け、アイデンティティを根底から破壊するものなのだろう。

 かつてはその力によって暗殺を請け負う者も居たため、『呪術師』の系統と呼ばれていた。


 先代の異常な死から六年後。

 ハルは先代の教えを破った。

 自宅倉庫に保管されていた二万ページに及ぶ記録帳を魔術学校に入ったばかりの十一才のハルは紐解いた。


 膨大な占いの記録の中から最期の一件が目に留まった。

 イシス暦七十四年、夏至祭の日。祖父に異変が起こる前日だった。


 [依頼者の名は■■ 家名はなし。

  同種に比べて色は白い。標準的な体格。店へは自分の足で歩いてきた。

  生来から心臓が弱く、自分の寿命を知りたいらしい。


  母の傍に居る限り、あなたの病は治らないと答えた。


  依頼者は激昂した。

  "この詐欺師め"

  彼女は金札を置いて帰った。]


 ハルは仮説を立てた。祖父を殺したのはこの呪術師系統の魔術ではないか。己の強い念を対象へ記憶として擦りつける。当時の占術師と同じく研究の進んでいない希少魔術師の家系だ。


 その後十六才で学位を修了し、査問官の職に就き、過去の事件記録を照会できる立場を得て、同様の事件が二、三年置きに起こっていることも知った。


 中央通りの貸家は失踪事件で立件されていた。

 新婚の若い夫婦が暮らしていたが、家賃の回収日を過ぎても音沙汰が無く、家主が合鍵で入ると臓器市で買ったであろう品が悪臭を放っていた。


 家主は「ある日酷く言い争っている声を聴いていたが、すぐに収まった」と証言し、その後夫婦は失踪したと推測される。

 聞き込みに加わっていたハルは、証言されたその妻と、祖父の記録にあった最後の依頼者の符合に気付いた。

 目の前で聞き込みをしていた家主が『フォーマット』されたのを見て、疑念は確信に変わった。


 今から二週間前に失踪した女と、十一年前の占いの依頼者。

 彼女は『ハル』と名乗っていた。


「イシスの民間人として登録されておらず、おそらくどの国にも属していない。だから、まともな治療が受けられない。疾患があるならそのために術の制御ができていない可能性もある」


 彼女はどうやら『類感法』に走ったらしい。

 心臓を治すには同じ部位を食わなければならない。新鮮なほど効用があるとでも思ったのか、市場で買うだけでなく自分達でも調達していた。


 その後、ハルは現場検証から外された。

 祖父の事件との繋がりが判明した時から、その場の記憶粒子の影響が強く出るようになっていた。


「呪術がまだ使えるなら法廷に立たせることすらできない。今のままでは彼女を裁けないんだよ。騎士団に逮捕されていれば、仕事も与えられず永遠に投獄されていただろう」


 呪術師の『ハル』の病は治らず、衰弱死する寸前に彼女は自らを凍結させた。


「怒りではなく、救おうとしたんだ。祖父の仕事を引き継ぐのが目的だった」


「彼女の記憶を見ずして見る方法を探していた。いくつかの打消魔法と記憶へアプローチするための定理を見つけて、保険を用意したけど、幻の呪術系魔術では実験もできない。卒業後は騎士団の仕事にも慣れないといけないし」


「両親には感謝してるよ。おかげで、今の地位に付けたし」


「二人に占術の才能はなかった。祖父の客にただの香油を万能薬として高額で売りつけていた。証拠もすぐ揃った。ずっと一緒に居て気付かなかったとは、思いたくもなかったけど、立証できてしまった。僕の両親は祖父が生きていた頃から詐欺を働いてた」


「今でもあれこれ言われはするけど、調査過程を書き起こした論文は認められたよ。両親は示談を進めている間に『自死』した。偽薬の被害者たちへの賠償がまだ残っている」


「わからない。お祖父様が偽薬に気付かないはずがなかったのに、日誌にはまったく残っていない。学校で出来た友も離れてしまった。両親が何故死を選んだのかも、彼女が何故占いを信じなかったのかも、どうすれば良かったのかも、わからない」


「わかってはいけない気がする」


「真実を語る必要はないって、このことだったのかな」


 彼の告解は終わった。






 あの時。

 襲撃の時、査問官の『ハル』は呪術師の『ハル』と視線が遭ったという。

 不本意にも彼女の上に覆いかぶさる形で、数秒間見つめ続けてから、彼女は瞼を閉じた。


「仕掛けられたか?」

「話しかけて来ただけだ」


 彼はつぶやく。


「ただ『ごめんなさい』って」


 今は落ち着いている。

 淡々と告解を続けていた彼の言葉は、途中から子供のようになっていた。


 通報で衛生局の魔術師が来て、俺はこの騎士団本部併設の病院まで運ばれた。魔術師三人がかりでの施術の最中に意識が戻り、あの気味の悪い感覚でのたうち回った。

 俺はまた死にそびれた。

 大腿と胴がめくれたはずだが影も形もない。消耗した体力も少し横になっただけで回復した。愛想のない医者は門が施錠される時間だけを教えて去った。


 無機質な魔術光が病室を照らしている。

 ベッド脇の椅子に腰かけた彼は、開け放された窓から夕焼けを睨みつけている。


 呪術師の母親は、酒場の前で話しかけてきたあの老婦人だった。

 それよりも前に図書館の大階段で俺たちは彼女に道を譲っていた。


 あの杖の細さならわずかなしなりも影響する。実体ある弾ならすぐ詰まる。もっと考えて行動するべきだった。

 俺が殺したようなものだ。


「老いても歴戦の暗殺者だ。確実にこちらを始末するつもりでいたよ」

「ただ娘を守ろうとしただけだ」

「気にしなくていい……いや、違うよね」


 その遺体は今や誰でもない。彼女を知るものが居ても、死んだことすら公表されない。

 このイシスに『居ない』はずの者たちだからだ。

 俺達にも聴取などはない。


 彼の右手の手袋だけが無かった。現場で落としたのだろう。


「……グッスン」

「ハルで良い」

「ハル、あの呪術師の女は」


 もう一人の『ハル』が運ばれる所を俺は見ていなかった。


「あの二人は加害者であり被害者だ。不幸にも死んでしまったが存在を認めてやらないといけない。報告書が受理されなかったら母校の研究会にでも持っていくよ」


 衛生局員が確認した時にはふたりともこと切れていたらしい。


「祖父の当時の見立てが正しいなら、彼女は治るはずの病で死んだ」


 治るはずの病で死ぬ。

 俺はこれまでに会った人々の顔を思い起こす。

 彼らに染み付いた諦めは本当に健康的だっただろうか。


「希少な魔術師の権利を回復する使命が、僕にはある。それがたとえ祖父の仇でも。彼女は……『ハル』は運が悪かった」

「同族だけか」

「どういう意味だい?」


 その言葉が意外だったらしい。ハルはいぶかし気に顔をゆがめた。


「他も救おうとは思わないのか。たとえば、冒険者とか」

「彼らは他の職にも就けるのに進んで冒険業を選んだんだ。関係ないだろ? それより彼女たちが怪しい信仰に傾倒したのも、元を辿れば……」


 ため息が出る。


「後継者不足か」


 ハルは俺を見据えたまま愛想笑いを作った。


「僕たち魔術師の血と技術はこれからの時代に必要なものだ」

「わかっている」

「魔術師の血を継続させる研究も十年前から進められている。君たちの言語だとクローン、あるいはホムンクルスに近い、ね」

「実現してないんだな。いやいい、金も学もない人間には関係ない」


 ハルは口角を下げた。


「お前はまだ若いし、すぐ解雇されることもないだろう。今回みたいに暴走すると解ればお前を制御する奴の席が出来るかもしれない。希少魔術師の白ローブ仲間だ」

「……僕が単独行動する理由はなくなったし、君が言うほどうまくはいかない」

「そうだ。うまくいくはずがない」


 睨まれたが、言葉は出てくる。


「器以上の仕事をして、いいように利用され、特権意識をこじらせて。それでも高慢に人を救おうとしている。四方から呪いをかけられながら磨り減るだけだ」


 すでに失敗しているとしか思えない。選択肢に恵まれてることにも気付かず。

 傷のあった場所が痛む。


「………」


 ハルが口を開く。

 俺へ反論をするつもりで、息だけが洩れていく。


「……っいいかい、人間は、社会があって生きていける」

「わかっている」


 だから俺は社会から離れようとしている。


「だろうね。それから、他者との協調は、社会の基本だ。正直に言って僕はそれが苦手だ。だけど例外はある」


 彼が何を言おうとしているのか、俺にはまだわからない。おそらく彼自身もわかっていない。解を探すために言葉が組み立てられていく。

 瞳の揺らぎが落ち着いてくる。


「たとえば勇者が活躍する英雄譚を好む人は、多い。それは現状を変えたい欲求を勇者の存在に委託しているんだ。それに、勇者とは……」


 一瞬言い淀み、彼の瞳がこちらを見た。


「……異物だ」


 ハルはあえてその言葉を使った。


「転生者に限らず、異物が定期的に表出するのは、社会が腐敗するのを防ぐ役割があるとも考えられている。僕が異物でいるのは、今の職を続けるのは、魔術師たちのためでも、社会のためでもある。だから」

「社会じゃない、お前自身のことを聴いてる」

「僕はただ」

「本当に社会正義のためだけにあいつらを嗅ぎまわったのか?」

「………」


 深い青に動揺が見えた。


「向いていないな」

「君に蔑まれる理由はない!」


 掠れた叫び声だった。

 自分の喉から出た言葉に驚いたのか。ハルは自分の口を手の甲で抑える。


「僕は……」


 それから、小さな嗚咽が零れた。


「僕には、見えていなかった」


 泣いているのはわかっていたが、見ないでおいた。

 鼻をすする音が病室に響いている。








 病院を出る頃にはすっかり二つの陽が落ちていた。街灯が帰路を照らしている。


「ハル、という音は、この世界でどういう意味なんだ」

「それを聴くのか」


 手の甲で目の周りを抑えたまま、ハルは振り返らず答える。


「死んだ人が行く場所。君たちの言葉で言う『地獄』だ。ハルルワルトは『地獄を覗き見る者』という意味になる」


 薄明りの中。彼の横顔は硬く、今はあの愛想笑いはしていない。


「そこまで良い意味じゃない、けど、僕は好きだ」


 ハルはこちらを見た。


「すまなかったね、今日のお礼はいつかする」

「社交辞令はいい」

「……トリニエの調査はまだ残っている。これからも顔は出すように」

「わかった」


 預けていた買い物袋が差し出された。長い寄り道だった。

 袋を受け取った後、俺はなんとなくそうしてやりたくなり、彼に握手を求めた。


「なんだい?」


 知らない風習だったらしい。


「互いの手を預けることで信頼を示す」


 ハルは少し困った笑顔を浮かべて、素肌の右手を出した。


 瞬間。


 彼は硬直した。

 指先が俺の手の腹に触れた状態のまま。見開かれた両眼だけが小刻みに振動している。


 鈍重な金属を殴る音が、八度。

 一日の終わりを知らせる鐘が鳴り始めた。


 八度目の反響が消える前に、ハルは正気を取り戻した。


「じゃあ、また」


 笑いながら右手を引き戻し、去っていく。

 彼の思考は届いていた。


  これは、なんだ?


 暗緑色の空気の中を歩く。

 俺の手に触れて、何が見えたのだろうか。俺が渡った遠い世界の記憶か。

 それとも。






 屋敷に戻ると、ケイは夕食に手を付けず待っていた。


「臓器市に行ったんでしょ」


 ケイはこれまでで最大の嫌悪を顔に表していた。机に袋を置く。

 彼女は調味料、香料の樹皮を取り出す。油は瓶口が割れて半分ほどになっていた。それ以外は無事揃っているのを確認すると、樹皮の包み紙を取って波刃のナイフで削る。涼し気な香りが立つ木片は茶葉が浮かぶポットへ飛び込んでいく。


「ようするにリテラシーで優劣を選別しているだけよ。詐欺に縋って病で死んでいく。この国の悪い癖。全てが畑感覚なの」

「知らないままでいる幸福もある」


 湯を注いでからわずかな時間で、蒸らしたポットから二杯のカップへ紅茶が注がれる。

 俺はいつもの席に座っていた。朝だけは彼女の食事に付き合う、という契約だが少し話したいこともある。

 紅茶を俺の前に置く。いつもより複雑な香りがした。香りを嗅ぐ分には異常はない。


「そんなものを、幸福なんて認めたくないわ」


 炎色の瞳がこちらを見た。

 無言の警告を思い出す。


「その通りだ」

「試さないで。私の周りの人たちは、絶対そんな場所に行かせないから」


 俺には、この世界が平和で緩慢に見えていた。

 彼女の目からはどうだったのか。これまで考えようともしなかった。


「母親が帰って来たことを教えたのも、お前か?」


 俺はあの母親の気配を察知できていなかった。


「偶然気付いてよかったわね。ボロ家だからって人ん家に勝手に入ったら、二人とも保険が尽きるまで撃たれるわよ、そりゃ」


 ケイははぐらかす。

 彼女にはあの老婦人の思考が聞こえていたのではないのか。

 そして、凍結されていた『ハル』の思考も。


「この世界でお前だけが正気に見える」

「いや、変わり者よ。私は」

「苦労しているんだな」


 気付くと、ティーカップの取っ手に指が触れていた。

 その日に至っては食事が美味そうに見えた。あの市場に並ぶ品と比べれば。


 ケイは自分の席へ移動せず、その場で穀物のスープをついだ。差し出された皿は黄色くもったりとした液体で満たされ、甘い匂いがした。


「そうだ、おつかいありがとね」


 匙をおそるおそる口に運ぶ俺を見て、ケイが笑っていた。




 終

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