4.心を覗き込む前から因縁に巻き込まれる


 あの部屋の空気について考えていた。ある世界で寺院に寝泊まりした時の、偏執的な情念とも言うべき気配と似ている気がした。


「現場検証で一番つらいのは強い感情と向き合うことだよ。残滓になったそれが自分の中から沸き起こるように錯覚する。僕は酔いやすいほうだから」


 俺が考えていたことにハルは答える。疑問は解かずにいられないという、彼の癖なのだろう。


「すみませーん、そこの騎士団員様」

「お尋ねしたいことがあるのですが」


 三人組のグループだった。男達は軽装の防具を身に着け、一人は短剣を腰に差し、もう一人は先を藁の鞘で包んだ槍を抱えていた。


「こいつの財布、知りませんかね」


 中心の男が指したのは禿頭の大男だった。


「いや、見てない。協力できなくてすまない」


 ハルが身を翻そうとすると、低い嘲笑が連鎖した。


「白ローブなのに」


 ハルの動きが止まった。


「届け出するにも時間がかかるでしょう。困ってるんですよ。今日の宿も取れないって」

「仕事の報酬が入った直後でして、十万ちょっと入ってたはずなんですけどねぇ」


 察するに、ハルに払えと言ってる。

 こいつらの財布など本当に盗られているかも疑わしい。ハルもわかっているはずだ。


「行くぞ、ハル」

「なら騎士団の拘置所で一晩過ごしたらいい」


 ハルが半眼になって低い声で言った。

 男達は笑顔を浮かべたまま、固まった。


「違法な冒険業で稼いだ金など恥ずかしくて使えやしないんじゃないか?」

「はい?」

「違法な金など、恥ずかしくて、使えやしないだろと言ったんだ。僕は君たちに染みついた残滓(におい)が苦手だ。あまり近付かないでほしい」


 男の一人が聞き返すとハルは吐き捨てた。よりにもよって最悪の挑発をする。

 俺は彼の腕を引こうとした。避けられる。


「冒険業禁止法は知っているな。魔物の居なくなった今は犯罪の温床となっている。あれだけ公知したからすっかり口癖になってしまってるよ」

「そりゃないですよ騎士団員様。俺たちが犯罪者だって言うんですか?」


 男が首をすくめて尋ねた。顔は笑っている。


「そうだ」


 ハルの身体が飛んだ。


「お召し物にゴミがついてました」


 一番前にいた男がハルを殴っていた。

 倒れる前に別の男がハルの身体を抱える。ハルは抵抗したが、暗い路地に引きずられていく。






 脳裏にこちらを見る炎色の瞳が浮かんでいた。

 声は届かないが、おそらく彼女からの警告だ。範囲を出ようとしている。


「染みついた臭いが苦手だぁ? 冒険者は時間も水代も惜しんで働いてんだよ」

「いいご身分だことで、お抱えの白ローブ魔術師さんは、よっ」


 白いローブの背中が汚れた靴で踏みつけられる。禿頭の男は俺を監視しているのか、身動きひとつしない。

 ハルは首を掴まれた。舗装路と隙間を開けて、勢いをつけて踏まれる。黒い血が飛んだ。


 警告は消えない。


 確かにここで査問官が死ねば、知られてはいけない悪事が暴かれることもなくなるのだろう。

 俺にとってはただ最近知り合っただけの相手だ。ケイにとっては元クラスメイトだが。ケイが情に厚いという評価も『この世界では』の注釈付きなのかも知れない。


 脳裏の炎色の瞳が少し揺れた。


「おらよっ」


 白いローブに短剣が付きたてられた。


 脳裏の炎色の瞳が歪み、閉じた。


「おい、   」

「ヘヘッ」

「    だって言ってんだよ  、治癒    治癒だよ」

「白ローブだから自分でできるだろ。   が。な?」


 足がハルを蹴り続ける。

 俺は、一人が両肩に渡していた槍を掴んだ。


「あぁ? 何だ   」


 言葉を終える前に掌底で殴る。

 男の意識が落ちた。


「聴こえて   ー? 白ローブの    さんー?」


 獲物を蹴るのに夢中だったもう一人は後ろから股の間を蹴り上げた。


「ギッ」


 妙な悲鳴を上げて男が飛ぶ。

 振り返り切る前に、震えながら動かなくなった。


 残った禿頭の男。俺が構えると、彼は即座に頭を抱えてうずくまった。


「おで、おれ   だけでいい、言ばれで    ……!」


 滑舌も悪く翻訳無しでは聞き取るのがやっとだが、だいたい解る。

 一番体格は良かったが戦える人間ではないらしい。

 俺は構えを解いた。


「ハル」


 ハルの傍に駆け寄る。白い布地に血がにじんでいた。

 汚れたローブをめくる。

 血で濁った眼が裏返って白目を晒していた。曲がった鼻と半開きの口に手をかざす。呼吸がない。

 死んだのだろうか。


 そう思った瞬間、彼が動いた。


 首が傾いて、固まった血と共に、ベリッ、と引き剥がされる。

 気絶したままハルは自ら起き上がった。

 片膝をついた状態で観察していると、血で濁った瞳がこちらを見た。パクパクと口を動かしてから。


「ああ、生命保険」


 俺を見下ろして、曲がった鼻を無理やり戻しながらハルは言った。


「なんだ、それは」

「説明してなかった?」


 彼の顔半分を覆っていた血も、急速に風化して剥がれ落ちていく。

 転生者の言葉でハルが続ける。


「蘇生魔術を体に仕込んでもらうんだよ。転生者にはマニュアル上……聞き流してたね?」


 記憶の底を探す。初日に長々と彼から説明を受けた中に、その言葉があったかも知れない。


「……そうだな」

「今後はちゃんと聞くように」


 どこかの世界で見た死霊術かと疑った。反射的にハルの頭部を破壊するところだった。


 倒れている男のうち一人が唸った。会陰を強く蹴り過ぎたせいか、泡を吹いている。

 ハルはしばらく自身の頬を撫でていたが、彼の横に屈む。


「見回りを呼んできたらよかったのに」


 自分を踏み続けていた男を治療しながらハルは言った。






「だからこの地域は治安が悪い。残滓で吐きそうになる。区画掃除をしてもらわないと」

「残滓じゃなくて酒気じゃないのか?」


 ハルが振り向いた。固まった血が鼻の下に少し残っている。


「あ、そうか」


 まるで思い当たらなかった様子で彼は言う。


「飲みたがる感情を理解できないからかと」

「他人の心をいくら覗こうが、同じような傷を受けてない奴には理解できない」


 ハルは片眉を上げて少し思案したようだ。

 無意識に口から出た言葉。俺の心を読もうとして、断念する。査問の時に何度も見ている流れだ。


「確かに彼らと僕の境遇は違うよ、だけど、……まあいいか。起きたかね」


 冒険者たちから、たずね人の情報を得よう。


「ひっ、こ、これは白ローブの旦那」

「さっきの事は不問にするから。この男に心当たりは?」

「ええっ……」


 男たちはハルの態度に面食らっていたが、掲げられた写真を見て目を凝らす。

 意識がある時の夜盗の顔をハルが魔術で念写した物だ。

 通りに引きずり出して来たためケイの翻訳魔術も戻っている。


「お前たちの仲間か?」

「牽引師は表の各業種で需要がある。冒険業に入るのは少ないはずだ」


 俺の詰め寄りをハルが制する。


「アンタの言う通りだ、俺達の仲間じゃない。顔も見たことねえな」


 男の一人がおずおずと話し始めた。


「そうかい? この辺りで育っているはずだけどな」


 ハルが質問を続ける。


「この男の記憶からさっきの酒場が見えた。看板が割れている状態で」


 牽引師の夜盗から引き出した、消える間際に見た映像記憶をハルが辿る。

 冒険者の一人が首を傾げる。


「あそこが『竜の宿』から『冒険者の楽園』になったのは五年前だよ」

「アンタ査問官かよ。どおりで」


 ハルが目を見開いた。冒険者たちは顔を逸らす。


「看板が割れた時期は」

「ああ? それは、いつだったか、馬鹿が暴れてぶった切ったのをほったらかしてんだと。いつだっけ?」

「わからねえ。モノ壊す奴なんて珍しくねえし」

「に、二週前の、夏至祭」


 禿頭の男が答えた。


「そいつに、引っ張られかけた。ぶった切ったんじゃない。おれが掴んで割った」


 太い指が写真を指す。


「『車椅子』の邪魔だって、言われた」

「行こう」


 抑えていた肩から手を放し、ハルを追う。





「『車椅子』か!」


 速足で駆けながらハルが話し始める。


「視点が低かったんだ。子供の頃の記憶だと思ったが違う。僕が観たのは牽引師自身の記憶ではなく擦りつけられた『彼女』の記憶だったんだ。もう歩ける状態じゃないのか?」


 勝手に推理を進めるハルに俺は聴いた。


「酒場が建った時期も調べてないのは杜撰じゃないのか」

「うるさいな」


 ハルは苛立ちを抑えている。


「場合によっては間に合わないかも知れない」

「目星はついたか」

「………」


 ハルは沈黙で肯定した。


「捜索令状は」

「なんだい、それ」


 当然期待はしてなかった。

 俺は全容を何も知らされず、ただ付いていくだけだ。

 彼が豪胆なのか繊細なのか、この世界の常識を俺がまだ知らないだけなのか。

 そして彼が心得ている護身術とはなんだったのか。


「うるさいって」


 俺にはよくわからないままだった。

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