3.一人と一人で怪しい市場を歩く
俺を『査問』する時、ハルはもどかしさを感じているのだろう。
「術式は定着しつつあるけど完全に道が断たれたわけじゃない。トリニエには悪いが、チャンスがあれば解くことは可能だ」
その記憶はいまだに蘇っていないが、もしもテロ関与疑惑が本当なら自宅謹慎では済まないだろう。あいつも気の毒なことだ。
「ブロックを一時的に突破する方法はあるよ、リスクも大きいから彼女の監視下ではまだ使えない」
思考を読んでハルが自嘲気味に微笑む。
「君の記憶だけで罪が確定するわけじゃないから安心してくれ。まだ物的証拠が揃ってないからね。読み取れた後も実証が重要で、そうでなければ妄想と見分けがつかない、慎重に扱うべきだ」
一度防壁を突破すれば即座に対処される。『ブロック』の防壁を解いた先が目当ての記憶なのか、ただの金庫の暗証番号なのか。それは解いてみなければわからない。その前に内心で思い出せるようになった俺が自供するとどうなるのかは考えていた。
どうやらそれも立証次第らしい。
「それがケイを査問しない理由だな」
「まあ、それもあるけど。トリニエを見るのは難しいから」
「何故だ」
「……僕が話してもいいかい?」
ハルは虚空に向かって言う。
「よし。トリニエの通信範囲が規格外に広いことは聞いてるね?」
俺は頷く。ケイから許可を得たらしい。
「彼女みたいな隔世遺伝に多いが、制御が難しいんだ。幼い頃は幾百の声が頭の中に聞こえていたのが当たり前だったと。トリニエは自身と他者の境界が極端に薄い。本人の実感が伴っているのを体験記憶と呼んでいるが、それが本当に自分の体験だったのか分からなくなることも多かったらしい」
彼女の記憶は多すぎて、膨大な時間をかけても精査しきれない可能性がある。ハルはそう言った。
「ちなみに、凍結魔法の式はトリニエが在学中に作ったものだ」
ハルの言う事が急に理解できなくなった。
「彼女自身の体質を生かして地方宗教の奇跡を解体して汎用化したんだ。魔法とは本来そういうものだけど年寄りでも忘れてる人が多くてね。彼女から教わらなかったかい?」
「いや、それも初耳だが」
一瞬苦い顔をしたかと思うと、彼は続けた。
「僕が十一の頃から四年間、普通課程をこなして辿り着いたクラスに、彼女が飛び級で編入したんだよ」
彼の声には、積み重ねられた疲労が籠っていた。
「本来、首席はトリニエのはずだったんだ。十六才が平均なのに最年少十二才での高位資格修了だよ? 通信塔じゃなくて国王側近が内定してたし。僕以外には能力を悪用することはなかったし、僕以外には上手に立ち回ってた。ラクター先生……親父さんの事件のことも、気にはしていたはずだし」
「なにをしたんだ」
「教授の髪を一本残らず抜いた」
ケイが邪悪な笑顔を浮かべてその非道をおこなう姿を想像してみると、顔を知らないはずの教授が浮かべる絶望の表情すらも見えてきた。
青い瞳は遠く一点を見つめている。
「彼女は天才だけど馬鹿だ」
彼の言葉に俺は深く納得した。
ハルがケイに怯えていた理由もようやくわかった。
大通りから分かれた路地は小さな歓楽街となっている。酒場の前でハルは立ち止まった。まだ明るいが粗暴な笑い声が洩れてくる。
木製の吊り看板は割れていて『冒険者』を意味する単語だけ読めた。
「君は外に居なさい。僕だけの方がトラブルを起こしにくい」
ハルはフードを上げた。
押された扉の隙間から少しだけ見えたのは、狭い店内で肩を寄せている男たちと、壁掛けの黒板に書かれたオッズ表だった。
二つの太陽の片割れは、半身を追いかけて西へ沈みかけている。翠の晴天は紫に焼けている。
七度、鐘が鳴る。
酒場から離れ、小さな広場のベンチに座った。数人の子供がまだ遊んでいたが、待っている間に一人また一人と帰っていった。
俺も屋敷へ帰っていいのでは。だが買い物袋はハルに預けたままだ。
老婦人が近付いてきた。腰が曲がっていて黒い杖をついている。
「あんた……上手く、聞き取れないの? ……」
念話のことだろう。ケイが強制的に送り込めるのは、彼女が特別だったからか。
俺は買い物のメモを落としていたようだ。深い皺の入った手が紙片をつまんだまま、こちらへ伸ばされる。
「すまない。気付かなくて」
もう必要なくなったメモだが、受け取る。
「思想を、喉で出すの、ひさしぶり」
婦人は自分の手のひらで喉を温める。
「あたし、も、ちょっと使える。他のこと、すっごく、不器用。この歳まで、生きちゃったわ」
ふふ、と鼻を鳴らして穏やかに笑う。
彼らにとっては異界の言語だ。片言で枯れているが、気品は失われていなかった。
「どこかに、必要としてる人は、いるのよ」
途切れ途切れに話しながら老婦人は杖をついて、大通りに背を向けて去っていった。
酒場から無事に戻ったハルは首を左右に振る。
「収穫はなかったよ。あいかわらず最悪の場所だった」
大通りの様子が変わっていた。
市場に明かりが灯っている。
「ああ、店が入れ代わってるね」
ハルがなんでもないことのようにつぶやく。
野菜が赤く見えるのはライトの暖色のせいだろうかと思っていたが、近付いてみてようやくわかった。
百合の蕾のように吊り下げられているのは太ももだ。膝から先は下の籠に入っている。脛骨から小指の第一関節まで細かなパーツに分類されている。
筋線維を晒すつがいのトルソーは瑞々しさを失わず、魔動力の展示台で背中合わせになって回転している。女性のそれは乳房をそぎ落とされている。すぐ隣の店には男女の胸部が並んでいた。その中に彼女の持ち物があるのだろうか。
ある店には指ばかりが置いてある。ここは解体作業を店先でおこなっていた。魔術式を陽気に唄いながら店主は慣れた手つきで誰かの指を刻み、くず入れの袋に指輪も爪も投げ捨てていく。
内臓の専門店は小腸を蔓草のように飾り布製のメジャーで測り売りしている。青紫色の心臓は大静脈と大動脈を綺麗に繋いでいて今にも動き出しそうだった。
髪の毛の房を客が物色している。店員に勧められて、引き抜いた一本を長い舌に乗せた。
どのパーツより目を引くのは頭の専門店だ。全ての顔は表皮を剥がれ、骨がヤスリですりつぶされている。個人を特定させないために。棚奥では脳髄単独が網籠に入れられて並んでいる。
臭気はしない。ほとんどの品は時間凍結術によって鮮度を保たれている。解除の札は針金を通して商品に括りつけてある。唱えればたちまち腐敗へ進んでいくのだろう。
見える商品は、全て人体の一部だ。
「僕たちの祖先が違う生物の混血種だったのではないかとも言われている。無作為に五百人のサンプルから調べた結果、少なくとも三種類が混ざった痕跡があるらしい」
隣から声が聞こえた。
「よくわからないけど、求めているみたいだから教えたよ」
赤い光を反射して彼の目の網膜が見える。ハルの瞳孔は菱形に広がっていた。
「イシスに国家宗教はない。移民を受け入れる上で戒律と宗教を別ける必要があった。新興宗教の乱立と臓器市の発生はほぼ同時期だったらしい」
ハルの顔がわずかに俯く。
「恩師の研究課題だ」
ハルと俺は無臭の臓器市を歩く。吐き気は込み上げなかったが、殺人鬼の部屋に居た時よりも俺は緊張していただろう。
全ての店先には、槍と斧が一体になった武器が立てられていた。金属の刃元と柄に飾り布が巻かれ、のぼり旗のように揺れている。
ハルが人頭屋の前に止まった。籠の一つから手のひらに収まるほどの球体を手に取る。
「これは人由来じゃない」
よく見ればそれはクルミに似ていた。
隣に置いてある脳味噌の数倍の値段を彼は払い、店主と小声でしばらく話した。
木の実一個を手に、ハルと俺は市場を出た。
あの市場で俺はどういう言葉を求めたのだろうか。
わからない。
「病に侵されている部分と似た形の食物を口にすることで病が治る。多くの宗教に存在する概念だけど、いつからか『他人の新鮮な臓器を食べれば自分も健康になる』と変化していった。療術師の処方より効きが良いとか、資源の有効活用などと主張する者も居てね。僕が居たゼミでは『類感法』と名付けた」
ハルは語り続ける。
預かりものの紙袋を抱えたまま、ナイフを器用に使ってハルは木の実の殻を割る。中から複雑な形状の可食部が姿を現した。その形状は脳に似ている。
「正直言って怪しいものだよ。だけど縋る人はいる。その末にできたのがあの市場さ。自慢できない場所だけど情報収集には利用させてもらう」
「その木の実は」
「別に、頭の病気じゃないし」
ハルは決まりが悪そうに俺の顔を見た。相手が嘲笑っていないか気にしている目だ。元に戻っている。
その時に気付いた。
どうやら俺の目は、市場に居た彼を表情の読めない他生物として映していたらしい。
「うっかり魔族の都に渡って来たのかと思った」
「ああ、あれを見た流民は必ずそう言うね。そして逃げ出す」
「だろうな」
「それから異世界人は彼らの需要にないよ。外の世界の物質なんて不安だろう」
俺が水以外口にしないことを彼は知っている。ハルは正面を向いて木の実のかけらを口に放り込み、何度かかみ砕いてから飲み込む。
「昼間より盛況していただろ。遺体譲渡は遺言あるいは『残滓』によって本人の意志を確認の上事件性のない死体に限っているが、あの市場の全てがクリアしてるとは思えない」
俺の顔色を見て、ハルは慣れたようにローブの下から防水袋を差し出した。俺は無言で首を振る。
この気分は胃液を吐いたところで消えそうにない。
「騎士団内でも誰かが問題提起しては潰されるを繰り返していてね。たぶん賄賂だろう。戦斧型の認可証は十年前から導入された。魔王が携えていた不浄の象徴なんて、九十年も経てば誰も覚えてない。結果は見た通りだ。この悪法もたぶん団内の癒着した一派が……」
「葬儀は?」
「上流階級がやる継承の儀のことか。それが?」
ハルが怪訝な様子で首をかしげる。冗談で言ったわけではないらしい。
「仕方ない。君の故郷ではこんな光景はなかったんだろう」
防水袋を仕舞い、ハルが訪ねた。
「……いや。バンクがあった。臓器や骨髄、血は、正規では金にはできなかった」
「へえ」
俺は遠い記憶を辿る。
「食うためじゃなくて、悪くなった臓器と入れ替えるためだ。だけど免疫……肉体の型が近い者同士でないと、拒絶反応が起こる。肉体が異物と判断するから交換できない。共食いは、正気なら忌避する」
説明しながらも考えていた。何が正気で何が狂っているのか。いくつもの異世界を渡ってきた俺にはわからない。
何かが違っていれば、俺の生まれた場所でもあの市が往来で開かれ、自分が並んでいたかもしれない。
「ここ以外で人類が堂々と共食いをしている世界は、俺が見た限り九つだけだ」
「全体数がわからないけど、意外に少ないんだね」
ハルの反応は薄かった。
頭の中で考えている疑問は彼に伝わっている。隠す意味はない。
次は俺が質問する番だ。
「この国では人命が軽いのか」
「常々思っていたが、君たちの言語で命を軽い重いと表現するのが不思議だ」
ハルはなんでもないことのように答えた。
「今年に入って殺人は五件。でも、人口が最も多かったイシス暦十年は年に約百件あがったと聞いている。騎士団が知らない事件も含めればもっと多いだろう。そこら中に餓死者が転がってる時代もあったらしい」
彼は感情を交えず数を述べるだけだ。その数がどのような状態を示すのか、俺には想像がつかない。
「畑と家畜を失った人々が各地から押し寄せていたからね。その頃に食糧難と就職難を解決する保障制度がはじまった。郊外作業場だ。君もケイの管轄区域で見ただろう」
以前ケイの屋敷を直しに来た農夫たちを俺は思い出した。
「現在は環境も改善されて賃金だって発生するし転職支援もある。退職後に自ら進んで入る人も、作業場で生まれてそのまま生涯の仕事にする人もいるよ。監督役の魔術師は週に一度以上の視察と、農作計画が変更された時に伝えることになってる、ちょうど先日通達があったばかりだ。申請すれば作業場に向けて日雇いの仕事を出せる。監督役は交代制だけどトリニエは特例。あの通信範囲を持っているし。謹慎中でも代わりになる魔術師が足りないからそのままなんだよ」
北側を嫌がる人も多いからね、とハルはため息をつく。
「念話範囲を広げるため各地に建てられたのが浄水を兼ねた通信塔。いつの間にか国民全体の監視も行われるようになったけど、それはあくまで副産物だ。思想罪で食い止めているのもあって殺人件数は減少している。でも、人間が自死するなんていうのは九年前まで誰も思わなかった」
ハルが俯き、しばらく言葉が途切れた。
「……あの自死事件で終わりじゃなかったのも、このイシスでは衝撃だった。と聞いている。生物とは自分が生き残ることが最優先じゃないのか、と僕の師匠はね。君たちの言語で表すなら命とは、それを持つ者にとって一番『重く』それ以外の人間には重要度の低い『軽い』ものでしかない」
ハルは俯かせていた顔を上げると、俺の顔を見据えた。
査問室で俺を見ている時の顔と声色だ。薄く笑った、なだめすかす声だ。
「でも、昔もあったんだろう。魔王を倒し消えた『伝説の彼』のような存在が。記録に記されず、誰の記憶にも残らなかっただけで、自分の意志で決死の覚悟をした人が居たはずだ。だから君がおかしい訳じゃないんだよ」
マニュアル文だ。
彼の本心は、声色を変える直前の言葉のほうが近いはずだ。
彼はおそらく、非情ではなく、狂っているわけでもない。この国の常識に入る範囲だろう。
俺が生まれた世界の方が、むしろ自死に関しては深く研究が進んでいたと記憶している。それだけ死を望んだ人間が存在し追究されていた。
もしも俺が読心魔術を体得していたとしても、この世界で育った彼らの心を理解はできないだろう。
姿こそ似ていても、彼らと俺は、全く別の存在だ。
これまでの異世界でも度々考えていた。俺の希死は生まれ育った文化に起因しているのだろうか。
「君の思考はまるでトリニエみたいだね」
ハルが面倒くさそうに頷いた。
「頭が痛くなるから嫌いだ」
彼は愛想笑いを仕舞い、捜査を続けるために立ち上がった。
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