2.市民の義務として捜査に協力する


 彼が過去の記憶を読む時には目を合わせる。

 査問官として俺の記憶を精査する時、目を合わせることを指示してくる。そうすることでリンクを構築しやすくなるらしい。

 物体には手に触れるか注視することで、彼は物体に染みついた残滓をより鮮烈に読み取れる。

 残滓とは、やはり物体に染みついた記憶粒子であり、強い念であるほど人体や精神に影響を及ぼすと言われている。

 死者の断末魔が代表格だ。


「中の物には手を触れず、一通り見てきてくれ」


 査問官のハルルワルト・グスタフは俺に頼んだ。

 別に協力しなくてもよかったのだが、呪いにも似た体質のためにどうしても断れなかった。店で買った物は預けてある。


 玄関は脇に空の靴箱があるだけ。内壁は外壁と同じ石材に白いペンキが塗ってあった。

 灯りで充分な視界を確保できた。カンテラ型ではなく親指大の石に鎖が付いたペンダントだ。これなら両手が空き、魔術由来のため熱も持たない。

 扉の外れたバスルームにも特に異常はない。階段の横を抜けて、奥の部屋に入る。

 正面に北向きの大きな窓がある。閉め切った厚手のカーテンはほとんど光を通さない。

 光沢が揺れる。

 床を覆うなめらかな敷布、大きなダイニングテーブル。西側は食器棚があり、天井に明かり取りがある。二十畳程度か、意外に広い。


 隣の台所へ移動する。壁には、多様な形の刃物や三又の串が整然と並んでいる。

 竈にはいくつもの手鍋が重ねられていた。道具は良く磨かれている。


 見た目から分かる異常は特にない。なさ過ぎた。

 特に台所からダイニングまでが、あまりにも生活感がない。簡易食糧庫はまっさらで開け放たれたままだった。


 おそらく大型の『食材』を運ぶために導線を広く取っていて、匂いや血の付きやすい物を置くのを避けている。

 大型獣がここで何度も解体されている。

 あるいは人間か。


 これまでに見た拷問部屋と比べれば綺麗なものだ。あるいは偏執的かもしれない。


 気配。


 俺は竜頭のダイアルを回し、灯りの光量を極限まで下げた。ローブの中に入れるとほとんど見えなくなる。

 廊下に出て、二階へと上がる。

 壁と一体となった石の階段を、音を立てず歩くのは容易だった。


 ここは貸家だ。そして、この部屋を使う者はしばらく現れないはずだ。


 経験則から灯りを消したが意味は無いかもしれない。潜んでいる存在に少しでも魔術師の血が混じっていれば、俺が見ている物を含めて、思考は相手に筒抜けになっているからだ。

 あるいはこれが彼の言う残滓なのだろうか。


 最上段に足をかける。


 突然、右足首が切り裂かれた。


「……ッ!」


 鋼ではない。物理なら気付いている。魔術か。

 足首が引かれる。受け身を取る前に、近くの半壊した扉に叩きつけられる。

 扉の残骸は『なおも抵抗し』俺を跳ね返した。

 頬が廊下を擦る。左腕で階段の端に縋ろうとすると、急に手首が跳ね上がった。こちらも掴まれた。そのまま雑巾でも絞るように全身がねじられる。


「がっ!」


 息が漏れる。


 術者はすでに見えていた。

 廊下の突き当りに潜んでいたらしい。鍵の周りだけ割られた窓は翠色の空を映し、黒い細身の影を浮かび上がらせる。

 右足と左手で吊るされたまま天井に叩きつけられる。

 影は左に避けた。牙のように鋭く割れた分厚いガラスが見える。


 見えない錨によって足が持ち上げられた。切り取られた空へ向かって、凄まじい速度で俺の体は運ばれる。


 叫ぶ気はなかった。幾度も体験した。どんな臨死状況でも意識が途切れることはないとわかっていた。

 かつて空気の層と衝突した時を思い出す。

 奴の術の効果範囲によっては、成層圏までこの身を引き上げられるのだろうか。いや、そんな回りくどい方法を取らなくとも二度三度石畳に叩きつければ十分だ。

 しかし攻撃魔術が衰退したこの世界で、奴はかなり使い慣れている。


 ――だがもっと異常で、殺人を呼吸のように行使する奴を、つい最近……――


 俺の右腕は、そいつの首を捕らえていた。

 肘が残ったガラスを粉々に砕いた。


 慣性に引かれるまま、二人は外れた窓枠ごと外へと飛び出していた。





 大きな布に受け止められる。巻かれて転がりながら、念入りに男の首を極める。

 男の抵抗がなくなったのを確認すると俺はようやく起き上がった。

 まだら模様の毛布をめくると胃弱そうな顔が覗いた。術者が気を失ったためか拘束はすでに解けていた。

 査問官が探しているのはこいつだろうか。犯人は現場に戻る、というのは、どの世界で聞いた格言だっただろう。

 それにしては、あっけなさすぎる。


 鐘の音が聞こえる。六度。建物の隙間からイシス城が見えた。


 どうやら隣家の屋上に落ちたらしい。

 空き家から飛び出した大の男二人が暴れているのに、住人は出てこない。留守だったか。

 不審な俺は不審な男を脇にかかえ、元来た窓へ飛び移った。


 廊下がところどころ光っている。

 目を凝らすと無数のガラス片が床に突き刺さっている。ふとローブの袖を手繰る。俺の腕は皮膚が滅茶苦茶に裂け、引っ張りまわされた足首は肉が爆ぜている。自覚すると熱さと痛みを感じた。割れた窓と、この廊下で付いた傷だ。

 思えば、毛布の模様は俺の血かもしれない。


 これ以上靴を傷つけないようガラス片を避けて進む。

 一つの半壊した扉に目が留まった。俺が叩きつけられても抵抗した物体だ。

 手で押してみる。糊で固まったようにびくともしない。叩いてみても音が響かなかった。

 依頼主に「触れるな」と言われていることを思い出して、俺は探索を打ち切った。


 階段を降り、玄関を出た。

 査問官は顔を引きつらせていた。食料品が入った紙袋を胸に抱きしめている。


「グッスン」

「……君までそう呼ぶのか。やめてくれ」


 石畳の上に抱えていた男を降ろす。


「何も触るなと言われたが、襲ってきたからな」


 それを聞くと査問官はすぐに落ち着きを取り戻す。薄手の白手袋を両手に嵌めていた。気絶している男の瞼をめくる。


「何かわかるか、……」

「グッスン以外ならなんでもいい」

「ハル」

「これはただの夜盗だ。関係なさそうだね」


 気絶していては表層的なことしか分からないがと呟き、査問官……ハルは立ち上がった。俺は借りていた灯りを返した。

 改めて俺の全身を眺めて、彼は苦い顔をした。


「そこに座って」


 縁石に腰を下ろす。

 爆ぜていた足首の肉が盛り上がり、傷は見る間に塞がっていく。代謝が促されていく様子は見ていて少し気持ち悪い。


 俺は死にたいと常に願っているが、約束を果たさないまま死ぬと次の転生先で酷く後悔することもわかっていた。

 ハルに治療されながら室内の様子をなるべく詳細に思い返す。記憶の選別で無駄に消耗させる必要はない。


「君が触った扉は時空間凍結魔法を施してある」


 ハルは即答した。まさか相手は時間操作が使えるのか。


「いや、現場保存のためだ。調査は一通り済んでいるけど規定上まだ解かれていない。術書が出回ってるから知識がなくても使えるよ。たぶん窓も封鎖してあったはずだが、どうにか解除して入り込んだのだろう。失礼」


 喋りながら俺の髪を掻き分ける。その時になって額が切れていたことに気付いた。

 その間も俺は気絶した夜盗からは目を離さなかった。


「時空間凍結魔法を鑑識で使う時はすべて口述と定められてる。生命活動中の生物には使えない。なぜなら術者の固有時と……って、説明してもわからないか。当時は複合魔術で老化予防を試していたけど、無駄だったらしい」


 ハルは説明を切り上げる。施錠目的の魔術は幾つか種類があるとケイから聞いていたが、この世界では時空間凍結もその一つらしい。


「終わったよ。応急処置だから後で医者に診てもらった方がいい」


 ふと、ハルが『魔法』と『魔術』の両方の語を使い分けていることに気付いた。


「魔法は一項の式。いくつかの魔法を行使する必要がある場合、あるいは式を物質に封じた場合、それは魔技術、転じて魔術と呼ばれる。転生者の言葉に翻訳する時にも明確に分けるべき。まあ気にするのは試験前の学生だけなんだけど、癖になっててね」


 治療が終わり、腕は白いミミズ腫れがいくつか残るだけになった。夜盗は目を覚まさない。

 ハルがもう一度そちらへ歩み寄る。

 白い幅広の袖を手繰ると、腰ベルトに鞘に収まったナイフと小さな鞄が下がっていた。灯りの鎖を流し込むと、交代に四つ折りになった紙を取り出す。


「生物には使えないが、それ以外には最強の固定になる」


 広げると二十センチ四方の紙に呪文が敷き詰められていた。気絶した男の手首に巻き付け隅をちぎり取る。瞬間、紙は吸い付いて固定された。


「この陣を使うと同時に騎士団本部へ通報したことになる。傷害と殺人未遂の現行犯だ」


 彼の言う通り、薄い紙は硬く男の手首を固定していた。ハルは手帳を取り出し魔法陣の一部をページに貼って何かを書き付けた。鍵に使われるのだろう。


「誰を捜している。あの部屋を借りていた奴か」

「詳細は言わないでほしい」


 ハルが手の甲で自分の口をおさえた。彼が吐き気を迎え討つまで待つ。

 この世界においては魔法も技術であり、道具に封じれば素質が無くとも使える。問題があるとするならそれを動かす魔力の源が、一部の素質ある者からしか得られない点か。

 殺人現場を根城にしていた夜盗は目覚める気配がない。一応、手加減はしたはずだが。こいつが死んでいたら俺が過剰防衛で罪を重ねることになるのだろうか。


 考えている矢先にうめきが聞こえた。夜盗がもぞもぞと体をゆすり、顔を持ち上げる。

 男は俺に気付き、なにか言おうとしたが、半端な表情で固まった。


「……しまった」


 つぶやいたのはハルだ。

 男の表情が虚ろになり、焦点は宙を彷徨い始める。

 ハルが屈み込む。しばらく呼びかけながら男の肩をゆすっていたが、男のだらしなく開いた口から涎が流れていた。


「すでに遭っていたのか」


 男が自分の意志で動くことは、二度となかった。










 歩きながら、俺はもう一度質問した。


「誰を捜している」


 ハルは首を横に振る。


「教えることはできない」


 情報がなくては協力のしようがない。


「君に教えると機密を漏らしてしまう。目を貸してくれたのは感謝している。その程度の記憶なら頻繁に思い出さない限り標的にならないだろう」

「囮捜査は」


 俺の提案に、ハルはまた首を横に振る。


「効果が表れる時間がわからない。距離も。『フォーマット』は、気付けない」


 ハルは視線を逸らしたまま言葉を選ぶ。

 夜盗は廃人と化していた。自身で立ち上がることもできず、呼びかけても言葉すら理解できない様子だった。人形のように騎士に担がれて連行されていった。

 その男に起こった現象をハルは『フォーマット』と表現した。俺にはケイの『ブロック』が施されているが、それとは違う。


 『フォーマット』が俺には人為的な現象かどうかすらもわからなかったが、彼の態度と表情が雄弁に語っている。俺からそう見えただけだが。


 だがそれほど危険な案件なら、彼は自分と同じ魔術師と組むのが筋だろう。出来ない理由があるのか。これは独断先行だろうか。

 どうもこの世界では独断決行する奴ばかりに遭う。

 ハルが冷めた目で俺を見た。


「君やトリニエと同類に思われたくないのだけど」


 彼の言い分もわかる。

 俺もあのケイと同じと思われているのは嫌だ。


「じゃあ、がんばってくれ」


 持たせていた紙袋を奪うと、彼の説教が始まった。


 内容はほとんど聞いていられなかったが「まだ君が安全だとは限らない」「捜査は一人でする」そして「布団の弁償は経費では落ちない」と言われたのは覚えている。


「市民の義務は果たさなければならないだろ?」


 わかってはいたが、この査問官は根に持つ性格らしい。

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