4.聞いていないルールを破って怒られる


 ローディは「代金を渋るほど落ちぶれてはいない」と言って、砥ぎ師にその束を押し付けた。昨夜初めて目にしたがこの世界の貨幣はすべて紙製だった。銀色の粒子が表面に文様を描いている。素材からしてもイシスが発行しているのだろう。自国の食料を買わせるための金券。


「今後もキュネウスの店をごひいきに」


 砥ぎ師の娘は笑顔を浮かべて言い慣れた言葉を発する。砥ぎ師本人はカウンターの奥で紙巻の煙草に火をつけて一服していた。

 これほどのんびりしていて良いのだろうか。そもそも魔物に襲われた時点で引き返し報告するべきではなかったのかと、今更ながら不安になる。ローディの独断でここまで進んでいる気がする。


 宿泊客用のベッドは二つしかなかったが、どうせ眠れないからと彼女らを寝かせ俺は外へと出ていた。荒廃していても夜に明かりがつく店もあり、ケイに渡された小銭を使って朝までそこで過ごした。一番安い飲料を無言で頼んで口もつけず、靴も履かず店の奥に陣取る俺をいぶかし気に見る目もあったが。皆、己を酒で慰めることに精一杯の様子だった。ケイの翻訳が切れたため言葉はわからなかったが、彼らの表情には一様に暗い影が落ちていた。


 二つある太陽のうち片方が昇り、明るくなってから戻ると彼女らはすでに支度を済ませていた。砥ぎ師の仕事の成果を見分した時、あの騎士の口から息が漏れていた。


 ローディが剣を携えて出発しようとした矢先、店に一人の男が入ってきた。


 男は鎧を纏っていた。それも傷だらけで一部が錆びている。その下には袖のない汚れた服を着こみ、二の腕は盛り上がった筋肉を晒していた。

 彼は俺たちを一瞥したあと、腰に下げていた鞘を外してカウンターに置いた。


「親父、これ砥いでくれ」


 その姿通りの粗野な声が店内に響く。

 店主は剣と男の顔を見比べ、おもむろにあの穏やかな笑顔を作った。


「もう店じまいだ。奉納祭の準備があってね」

「はぁ? 今さっき看板出してたとこじゃねえか。ボケてんのか」

「ああ、そうだ。すまないね」


 侮蔑をあっさりと肯定され、男が呆れている。ブーツが荒々しくカウンターを蹴った。


「ひいっ」


 声を上げたのは研ぎ師の娘だ。男はますます苛立ちを増しながら、だが怯える反応を楽しんでいるのがわかる。


「冒険者だ」

「あれが?」


 俺に耳打ちしたのは珍しくもローディだった。


「宿無しのならず者を意味する」


 彼女は簡潔に言うと、磨かれたばかりの剣に手をかけていた。


「ジジイ、いいから仕事しろって……」


 男のすぐ背後で抜き放ったローディの剣は、分厚い鎧を二つに割った。

 気配もなくあまりに自然な動きで冒険者の男どころか、見ていた俺たちですら何が起こったのかわからず、砥ぎ師の老人ですら目を見開いていた。

 火花すら散らず、超硬度の剣は欠けた様子もない。


「当たってしまった。危うく冒険者の血で汚れるところだったな」


 ローディの事実を述べただけの言葉を挑発と取ったのか、男はやがて歯を剥き出して威嚇する。


「てんめ、アマ!」


 風が彼女の髪を一房持っていった。そうとしか見えなかった。男は一喝しただけで武器を抜いた様子はない。魔術だろう。汚れた歯を剥いたまま含み笑う。


「へへ、こっちも危うく首を切っちまう所だった。魔法だから太刀筋が見えねえだろ」


 ローディは臆するはずもなく剣を振るった。


 質量のある金属は恐ろしい速度で男の周りを踊る。周囲の空間を刻みながらすべて急所の寸前で止めている。太刀筋は見えるが、その圧力は骨まで切られる覚悟がなければ止められるものではない。

 初めは威勢を保っていた冒険者も徐々に静かになり、やがて壁に追い込まれ、ずるりと座り込んだ。ローディにその気があれば十回は死んでいただろう。


「……なんなんだよ、お前」

「名乗る必要があるのか?」


 聞いたことのある台詞と共に彼女は剣を収めた。男は身体が動くようになると、自分の装備品を手に慌てて店の外へと出ていった。外でなにやら喚いていたが、ケイが翻訳しなかったため聞き取ることはできない。見ると男が座り込んでいた床が少し濡れていた。

 攻撃魔法が退化しているという実例を見ることができた。小手先の手品で、本気で鍛錬を積む騎士に勝てるはずがないわけだ。ケイは白けた顔でローディの剣技を見物していた。おそらく俺も同じ顔をしている。 


「すまないな、店主。店を汚した」


 騎士の無表情はどこか誇らしげにすら見えた。

 だが。


「出てってくれ」


 老人は鋭い眼でローディを睨んでいた。


「別に床くらい拭きゃいい。砥いだ刃物を、外でどう使おうが知ったこっちゃない。だが店の中で人間に刃を向ける奴は許せん。どんな理由があろうと、どんなクズが相手だろうとな」


 それがこの店のルールだ、と。店主はどこまでも穏やかに、しかし怒りをにじませて告げた。ローディはそちらへ顔を向けないまま黙って聞いた。


「二度とウチの敷居を跨ぐな」


 老人は店の奥へと下がった。取り残された彼の娘と、ローディと、ケイ、そして俺は、ただ沈黙するだけだった。


「わかった」


 ローディは呟き、出口へと歩いていく。

 その時も彼女の表情は動かなかった。






 アテの王城は、灰色の石と黒い金属で造られたごく小規模の質素なものだった。

 敷地を堀が囲っているがその石積みの色が変化した部分を見るかぎり、本来の水位からはだいぶ目減りしている。五匹の龍を象った石像で飾られた入口が見え、そこへ至る跳ね橋が今は降りている。長槍を携えた見張りの兵士は入口の左右に二人居るだけだ。


「偉い人の前って緊張するから」


 ケイは城の外で待機するらしい。ならば彼女の持ち物である俺も外に居るべきだろうか。そう考えていたがローディは万力のような力で俺の手首を掴んでいる。


「おかしな動きをしたら容赦はするな」


 俺は腕を引かれて金属製の跳ね橋に足をかける。洞窟の時は出来うる限り保護すると言っていたはずだが、気が変わったのか。最終通告の内容がどんなものかは知らないが。

 場合よっては、宣戦布告の証として彼女に斬られるかもしれない。単なる俺の妄想だが。


「お前もだ、ケインベルグ」

「だから攻撃なんてできないってば」

「意識の攪乱くらいはできるだろう。そしてお前を守れる者はいない。細心の注意を払え」


 ケイは心から嫌そうに目を細める。


「はーい」


 気のない返事を聴いて騎士は歩き出す。

 先ほどの店での一件は無かったことになっているのか、ローディはただただ自分の仕事を遂行する。

 跳ね橋を硬い足鎧で鳴らし、アテの兵士は彼女の顔を一瞥するだけで、進路を遮ることはなかった。


「お待ちしておりました」


 入口から案内役が付いてくる。ローディは気にすることなく歩き続ける。

 日がわずかに入る薄暗い通路を抜け、さらに薄暗く広い部屋へ出た。謁見の間だ。

 兵士と従者に囲まれ質素な玉座に座るのは、痩せた顔の、灰色の髪と同じ色の口髭を蓄えた、まだ若い王だった。四十代くらいだろうが、やつれているため見立てよりさらに若いかもしれない。

 玉座の背後には色ガラスを組み合わせた龍が、おそらく建国者の肖像か、禿頭の威厳ある姿を守るように取り巻いている。それはまだ片割れしか登っていない朝日によってぼんやりと光る。


「イシス騎士団第一部隊、フェルタニール・ク・ブローディア。ただいま参上した」


 彼女の声に反応して王はその落ちくぼんだ瞼を見開いた。ローディを真っ直ぐに見据えたかと思うと、弱弱しい声を響かせた。


「ブローディア……、なるほど」

「私の先祖は関係ない。現イシス国王より通告を預かっている。これが最後になる」


 そういうと彼女は鎧の下から書状を取り出す。丸めた厚手の紙を広げて見せ、すぐそばにいた従者が構えた盆に乗せた。

 王は運ばれてきたそれを手にも取らず、ため息を漏らした。従者がかすかな声で読み上げる。


「以前は第二十部隊の隊長としてお会いしたはずですが、どうかなされましたか」


 従者の声が終わると、アテの王は敬語を使いローディへ直接言葉を投げかけた。こちらの王は身分差で語る相手を選ぶことはないらしい。だが低姿勢過ぎて、卑屈にすら見える。


「事情があった」


 ローディはそれだけ言った。王は俺の存在をあまり気にしていないらしい。こちらを見ることもなく、やがてまた大きなため息をついた。


「気に障ったのであれば謝ります。ですが今更取り繕ってなんになりましょうか。どうせ腹の内を全て読まれるのであれば、本音で話した方がよい」

「私は魔術が使えない」


 ケイは外に居る。心が読めたとしても、ローディに伝えるには俺を通す必要がある。我ながら鈍過ぎたが、ようやく俺がここにいる理由に気付いた。

 外から城の人間全ての心を読んでいるはずのケイからは、まだなんの連絡もない。


「なおのこと、すべて、お話ししますよ。もう私は疲れてしまった」


 アテの王は途切れ途切れながらも、事の顛末を語り始めた。


「度重なる輸送事故。原因は不明で、確かに我々の意思ではなかった。三日前に初めて一人生き残りが現れ、ようやくわかったことは、絶えたはずの魔物がまだあの山に潜んでいることでした」


 以前ケイから聞いた。そもそも関係悪化の発端は十六年前の交易問題だった。あの洞窟が輸送経路なら、俺たちはその魔物に出会っている。

 俺は戦闘に発展したと聞いたはずだが、はたしてそれは真実だったのか。


「では十六年前、イシス騎士団の護衛隊を一人残らず駆逐したのは魔物であると?」

「信じていただけるとは思いません。魔物もあの山を越える全てを必ず襲うわけでは、ないようなのです。その事故から一年後の『交易はもう行わない』という通告は、確かに届いておりました」

「十五年前の交易一時停止か。その隊も戻って来なかったと記憶している」

「そうでしたか。ならば誤解されても仕方がない」


 洞窟という暗闇で何が起こったのか、イシス国は疑心から戦闘と解釈しただけだったのか。ケイが語ったのは、イシスの情報部が創作した筋書きだったのかもしれない。

 魔物が居たのは事実として知っている。イシスという国そのものが異常であることも。だが、本当にこの王の言葉をそのまま信じてもいいのだろうか。目の前のやつれた姿のために同情を煽られるが、真実はまだはっきりと見えていない。


「私も人々を代表し交渉する者として、最低限の術を覚えている。ですが、このような荒唐無稽の話を外交に持ち出すなど考えられましょうか。そう今はただ、あなたが深読みしてくれるのを祈っている」


 アテ王は見透かしたように予防線を張る。

 ここで俺たちが「魔物を殺した」と報告すれば、彼はどうするだろうか。生き証人に喜び手熱い護衛をつけてイシスへの報告と向かわせるか。だが、それでは緊張状態のイシスは攻め込んできたと考えるかも知れない。

 それに彼の言葉が嘘で、魔物とは関係なくイシスの人間を襲っていたとしたら。相手が邪悪だった場合、有利になるカードを与えることになる。

 もう一つ悪い想像が浮かぶ。あの一匹が最後の魔物でなかったとしたら。


「これも呪いでしょう」


 アテ王はそう言うと、ふと顔をこわばらせた。頭痛に耐えるため額に指を当てる。ローディの冷えた視線は微動だにせず、王の観察を続けている。


「あなたは魔王の呪いが、魔物を生かしていると」

「いいえ、そうじゃない」


 彼はやがて恐ろしげな声で、その歴史を切り出し始める。


「騎士ローディの英雄譚はご存知でしょう」


 その名が指すは彼女ではなく、九十年前の偉人で、彼女の祖先だ。


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