3.製鉄の街で女騎士が過去を語る


 緑色の空が現れる。この世界の空はこれで平常だ。

 俺たちは長い洞窟を抜けた。蛇行しながら緩やかに登っていたらしく出口は岩山の中腹にあった。崖を削った参道がつづら折りに伸びている。

 服は乾いてた。


 目的地であるアテの街は黒い岩山に囲まれていた。渓谷を崩し拓いて灰色の屋根が密集している。長い煙突から細い煙が天へと昇っていくのが見える。山端には採掘の跡があった。

 一際大きな山の表面を這う彫刻がある。高さだけでも100メートルはあるだろうか。それは身をくねらせる龍の骨格だった。


 岩山の向こうには水平線が見える。空の色を反射した翠色の海に、小さく浮かぶ物が合った。


「あれは船か」


 大きな木造船だ。魔術で空も陸も制覇しているのだから海を渡る術くらいはあるだろう。


「船だと?」


 ローディが素早く身を乗り出す。


「やはりな、密輸船だ。カナロとの条約でこの海域の航行は禁止したはず」


 彼女は崖端に足をかけ、船の進行先を睨む。カナロとはイシスと友好関係にある漁業国だとケイから聞いたことがある。あの険しい岩山を越えて積み荷を運び入れるのだろうか。


「それ報告しないとダメ? カナロの気質もあるから止めないと思うけどなあ」


 ケイがうんざりした様子でぼやいた。ローディは崖端から参道へと戻る。


「措置は王が決めることだ」

「王様も大変ね」


 彼女らは参道を降りていき、俺はその後に続く。






 街に入る前に俺の手枷は外された。ここでは無用に目立つとローディは言ったが、その心配自体が必要だったのか疑問だ。


 アテは荒廃していた。

 人の気配はなく、通りは閑散としている。真鍮色をした金属製の窓はほとんど閉め切られていた。廃墟を縫って人のいる民家がある状態で、土壁には落書きが刻んであり、読めはしないが絶望的な文言であることはケイの表情からわかった。天頂の太陽はこの地の気温を上げ続ける。周りを囲む山のために、この明るさもわずかな間だけだろう。

 中心地に行けばまだ人は居るだろうが、あまり期待はできない。遠くには加工場だろうか、数十本の黒い煙突がずらりと並んでいる。煙を吐いているのはそのうちの二、三本だけだ。


「新兵器の開発に携わっている者などはいないか。ケインベルグ」

「いきなり切り伏せたりしないなら教えるわよ」


 往来で隣国の騎士と魔術師が物騒な会話をしている。その声に顔を上げる者もいない。しばらく睨みあった後、ケイが観念して首を振る。


「居ないわよ。そんな人たち居ない。少なくとも私が読めるところでは」

「読心をブロックしている者は」

「イシスを基準に考えないように」


 明日食うものも困る状態では魔術の教育どころではないのだろう。この滅びつつある街を、警戒する理由がイシスにはあるのだろうか。

 ケイは俺の疑問に答えなかった。


 時を知らせる物はなく、今がどのくらいの時間かはわからない。

 イシスには鐘塔があった。一度に鳴らす回数で区別し、八度目の鐘でその日の仕事は終わる。間隔は不均等だ。太陽の位置でだいたいわかるとケイは言っていた。ケイは転生者の世界が六十分法と二十四時間で回っていて、四つの季節が存在することを知っていたが、時間の厳密性は限られた人間にしか必要ないらしい。


「おかえりなさい」


 大通りを進んでいると俺たちに声をかける者がいた。

 背の低い老夫は小さな店の玄関を掃いていた。浅黒い肌で、見事な総白髪を後ろで束ねている。白い半袖のシャツと淡色のズボンは綺麗にノリが利いてた。彼の顔が向いていたのはローディだった。

 ローディが無視して通り過ぎようとしたのを、ケイがマントを掴んで止める。


「ん? はは、すまん嬢ちゃん。知り合いと間違えちまった」


 彼はようやく勘違いに気付いたようだ。

 皺が刻まれた顔が笑う。前歯が一本抜けているが、穏やかな表情だった。


「王への謁見だ」

「おや、まあ。騎士様ですかい」


 彼が腰を曲げて頭を下げる。老人の言葉遣いは改まったが、どこかとぼけた調子のままだった。

 大仰な礼をローディはただ見下ろしていた。


「失礼しました。いやはや無礼のお詫びといっちゃなんですが、よかったらウチで砥いでいきませんか」


 顔を上げた老人の瞳は黒い。その視線はローディの腰に下がった剣に向いていた。

 店の看板をよく見ると、剣と包丁が交差した図案が描かれていた。二振りの大きさは揃えられている。

 彼女は冷酷な眼差しのまま、一応は逡巡らしい。


「自分でやる」

「まあまあ。ごめんなさい。この騎士様こういう人だから」


 ケイが場を収めようと口を挟む。だが、男は穏やかな表情のまま快活に笑った。


「いいから入んな。魔物の匂いが濃いからよう。そんなんで城に入っちゃダメだよ」


 何気ない言葉は、男の年齢と経験を語っていた。





 水は緑のガラス瓶に入って出された。拭き切れなかった埃が表面に残っている。研ぎ師の娘か、五十代くらいの婦人が栓抜きを使い目の前で開封する。

 瓶を掴んだケイは中身を覗いたり臭いをかいだりしている。露骨すぎる。つい先ほど湧き水で何度もうがいをしていたというのに、気分の問題だろうか。

 おもむろにこちらへ差し出した。


「毒見はできない」


 素直に俺は答えた。異世界の人間とこちらの人間、構造は似ても体質が同じだとは限らない。彼女らが平気な物質も俺には猛毒かも知れず、その逆もある。俺が食事をしなくなった理由はそれでもあった。

 婦人は小さな鉄のコップを取り出して自ら毒見した。警戒されるのも慣れた様子だった。


「私たちはこの水で暮らしてます。瘴気が気になるようなら魔光を焚きますので」


 低姿勢のまま、テーブルの中心にある台へ手をかざした。


「いいわ、自分でやるから。ありがとう」


 ケイは笑顔を引きつらせて言うと、婦人は隣の部屋へと去っていった。

 利用客の宿も兼ねた砥ぎ師の店は外と同じかそれ以上の熱が籠っていた。待合室はうす暗く、壁には多種多様な刃物が飾られている。掃除は徹底しているのか埃はかぶっていない。それぞれが壁に撃たれた曲釘で固定されていたが、それが防犯に繋がるかは定かではない。販売もしているのか小さな値札が結わえ付けられている。一つだけある窓はわずかに開き、焼け石に水だが、一応熱気を逃がしている。植物を模した鉄格子が嵌り、その間を渡るガラスにはとりどりの色がついている。ステンドグラスに似ていた。ケイの眼鏡よりは質が良い。割れたレンズも修理してくれるそうで、今彼女は裸眼で席についている。

 ケイの手はテーブルをわずかに探ったあと台へ到達し、やがて小さな光が現れる。彼女の髪と同じ朱色。

 室内は金属と香油が熱せられた独特の香りで満たされていた。これが魔物の臭いを消してくれるのだろうか。


「私は国と私自身の未来を優先しているだけだ」


 その言葉を発したのはローディだった。俺たちの間に流れる空気を悟ったのか、それを断ち切るかのように無慈悲な台詞を放つ。

 ケイは窓を眺めて返答する。外の荒廃した景色は装飾に隠れている。


「こっちには、とても攻め入る余力なんてなさそうだけど」

「弱った国が牙をむくこともある。このアテは立地として他国への亡命も難しい。王室への忠誠心は高い傾向にあるが、ここ数年で強化されつつある。人口が下降に向かっている今アテが攻める機会はいくつも残っていない。今すぐに懐柔するか、でなければ叩いておくべきだ」


 それらの状況を招いたのはイシスの横暴だろうが、わかっているはずのケイは頬杖をついたまま黙っていた。

 ローディは続ける。


「たとえ勝利しても戦争は資源を消費する。民を維持する百年の糧が一夜にして灰となることもある。我が国が生き残るために、切り捨てるべきものは捨てねばならない」


 ケイが鼻の頭に皺を寄せる。露骨な嫌悪だ。


「密閉して見殺しか、取り入れて自国の労働力になれとね。でも賢明な君主は死なばもろともなんて思わないわ」

「世に居るすべてが賢明な君主だと思い込むのは愚者の考えだろう」


 大きなため息が、小さな魔術師の口から洩れた。

 ローディの言葉をそのままイシス王に当てはめてやろうか。念話は届かなかったが、彼女ならそう考えるだろう。


「じゃあ私がアテ王の心を読んで、戦争なんてする気がないってわかったらイシス王に証言してあげる」

「無駄だな。あの国王が信じるはずがない」


 ローディは一転して仕える主を揶揄した。拍子抜けしたケイの顔がずり落ちる。

 これがあるから彼女の思考は読めない。

 平行線の議論を諦めて、ケイは話題を変えた。


「回収できなかったわね、魔物の死体。死んだら蒸気化して消えるとは聞いていたけど、まさか本当に溶けてなくなっちゃうなんて」


 ローディは、ほんのわずかだが、顔を俯かせた。琥珀色のガラスを通した陽の光が彼女の肌に色を付ける。


「祖父の技術に比べれば、私など完成には満たない紛いの術だ。祖父も創始に対して同じことを言っていたがな」

「別に責めてないわよ」

「知っている。責められる謂われもない」


 この女騎士は余計な一言が多い。


「魔物は首を縛っても五年は生き続けると聞く。それまで技が続くならいいが、今の私には無理だ」

「英雄並のレベルなんて誰も求めてないわ」

「私が求めている」


 ローディはその言葉も単調に発した。だが、声に硬質の決意が滲んでいるのは俺にもわかった。


「騎士団候補へは特別編入だった。兄が入隊を拒否したその代わりかもしれんが、単純に能力を買われたのだと信じている」


 整いすぎた顔はガラス瓶に口をつけ、その舌を潤した。


「私が生まれてすぐ両親は死んだ。兄弟共々、祖父の下で暮らしていた。私は五歳から毎日家庭教師に習い、十四歳で基本課程を終えた。一年ほどギムナジウムに入っていたこともあったが、同クラスの男が私のペンを借りたまま返さなかったので腕を折ったら、退学になった」


 当時は年端もいかない男児だったであろうその不運な存在に、彼女はなんの感情も向けていなかった。異常だが彼女の中では筋が通った報復だと言うように平然としている。


「祖父は私が『孤独な心のままでしか』生きられないと悟っていた。だから自分の代で途絶えさせるつもりだった剣術を教えたのだろう。家庭教師の授業が終わると必ず剣術の修行が待っていた。鍛錬は厳しいものだった」


 彼女はそこで言葉を区切る。


「おかげで私は祖父を心から憎めるようになった」


 耳を疑った。俺が考える間もなくローディは続ける。


「祖父は老衰で死んだ。一度として勝ったことはない。私が生きるためには、忌まわしく偉大な祖先たちの影から出るには、この術を磨き続けなければならない」


 ケイは視線を伏せたまま黙って聞いていた。


 厳しさは孫娘のため。そうしたよくある美談だと途中まで思い込み始めていた。だが、それはローディの物語では恐ろしい存在との戦いの記憶でしかない。

 今日彼女が携えてきた剣は、彼女の祖父、そして先々代である高祖父から受け継がれた物だ。それを蔵にしまっていた理由は、怨恨からだと彼女は言うのか。


 ローディは無表情のまま息を吐く。その仕草は疲れてみえた。きっとこれまでも過去を語るたび、俺が考えていたような『美談のテンプレート』に嵌めて片付けられ続けたのだろう。知りえない彼女の祖父を、浅はかな想像で補い、善意に酔うまま、その記憶を変質させようとする言葉を何度も聞いただろう。自分の閉じた心から憎悪を抉り出さなければ気が済まないほどに。


 これまでの誰よりも遠い世界の人類に見える。だが同時に、彼女の冷徹な性質に共感している自分がいた。

 孤独なままでしか生きられないのだ。すべてを拒絶した結果、憎むことでしか関われない。


「お前の兄貴は今なにをしているんだ」

「興味がない」


 ローディはバッサリと言い切った。


「兄は私が十九才になった日にどこかへと逃げ出した。それ以来会っていないし、会う気もない」


 彼女は瓶をあおり、水を飲み干した。








 席を外した俺は、後ろ手に待合室の扉を閉める。

 そして、熱気の発生源へ引き寄せられるかのようにその足を運んでいた。

 作業場はカウンターの奥にあった。小さな砥ぎ師は低い椅子に腰をかけ、水桶に視線を下ろしている。細腕が使い込まれたやっとこを掴んでいた。

 窯には白い炎が焚かれ、そこだけが天獄の門のように輝いていた。作業場は熱気に満ちている。


「眼鏡は仕上がってるよ。あの魔法使いの子に渡してやんな」


 彼が指さした先には質素な作業台があり、ケイの眼鏡が置いてあった。前よりもレンズの波打ちが改善されている。俺はいつのまにか軽く頭を垂れて礼をしていた。

 前歯の抜けた笑顔で老人が笑う。


「娘の仕事だ。こっちも見物していくかい」


 剣は刀身だけになり水桶に浸かっていた。


「随分傷んでたから焼き直したんだ。もったいないがね。明日までかかるから、泊まるか先に謁見を済ませていくか決めてくれ」


 引き上げると冷却水が滴り落ち、黒色に変化した刃の表面を滑っていく。煤色に染まった指がまだ熱気を帯びている剣を摘み、老人の細い目は金属の状態を見分する。


「あんた転生者だろ」

「ああ」


 彼は俺を勇者とは呼ばなかった。俺は正直に肯定した。


「剣を持ってないから、ただの転生者だろ。そりゃそうだ、魔王なんてもういねえんだから。看板、背負う必要ねえよ」


 老人は焼けた剣を片手に移動する。

 作業場の一角に砥ぎ台があった。丸い車輪型の砥石が無骨な鉄の箱に刺さっている。老人がその前に腰を下ろすと砥石がひとりでに回転を始めた。魔力によって動くらしい。

 箱の中には水が貯められているのか、石の表面はなめらかに輝いている。


「あの子は覚えていないだろうな。こんっなに小さな頃だったから」


 彼は空いている左手で、記憶に残る少女の頭をなでる。

 おかえりなさい。

 彼が最初に掛けた言葉は、決して勘違いからではなかったのだ。


「あの子のじいちゃんも、そのじいちゃんも、先代からのお得意様だった。遠くからこっそり、剣を磨きに来たもんさ。ニ年に一度だったかなあ。いつしかぱったり来なくなるまでさ。ウチは妥協しないんで持ちが良いんだ。おかげで儲からねえ」


 回転が安定した砥石に、刃が当たる。炭化した金属の表面が削れていく。その音は心地よい。


「あの子が来たのは二回だけ。だけども、じっと俺の手元を見つめていたんだよ。ちょうど今のあんたみたいに。まあ、見た目はそんなにむさ苦しくなかったけどな」


 その横顔は冗談めかして笑った。快活に。しかし目は鋭く、砥石に触れる刃を見つめたままだった。


「平和だし、モノは溢れてっし、包丁だって切れなくなったら即捨てちまう。剣も使い捨てさ。あんたらが来たイシスじゃあ、屑鉄を拾って魔法で溶かして新品にしちまう。てか、魔法で切っちまうか。まあ俺もこうして世話になってるんだし、魔法が悪いなんて言わねえよ。原始的鉱物でできる限界の切れ味なんてものは、今の時代じゃあたかが知れてるんだ。そう、時代だよな」


 刃を砥石からはなし、手を止めて老人はこちらを振り向く。微動だにしない俺から何を悟ったのか、皮肉じみて片頬を上げた。


「わかってたさ。あの子は、今となっちゃあ俺たちを苦しめるイシスのお抱えだ。あんな上等な鎧つけてる奴この辺りにいねえよ」


 老人は穏やかに、笑いを含んだまま白状した。

 彼はそのまま天井を見た。指の腹で砥いだ表面を確認している。


「生まれ育ったアテも大事だがね。彼女の邪魔はしねえさ。あの子の大爺様には返しきれない恩がある。なにより俺の仕事を見てくれてたんだから」


 目尻の皺が、ふと深くなり、彼は顔を俯かせた。


「立派な騎士様になれたなあ。嬢ちゃん」


 熟練した経験がその小さな身に染みついている。俺はケイが様子を見に来るまで、彼の仕事に魅入っていた。



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