俺が目隠しを外すと洞窟に連れてこられている

1.俺が目隠しを外すと洞窟に連れてこられている


 目隠しをはずされた。

 俺と、ケインベルグ・ニュー・トリニエことケイは洞窟の入口に転がされている。


「ところで、魔術で飛べるんじゃないのか」

「手続きが必要なのよ。無許可で飛んでると落とされるわ」


 ケイが地面に突っ伏したまま答える。分厚いレンズの眼鏡は落とされた衝撃で彼女の頭にかかっていた。炎のような朱色の髪の毛は荷台から落とされた状態のまま、クワガタの角のような形で穂先を地面に流していた。彼女の両手は背中側で荒縄に縛られているが、俺は鉄板の手枷をはめられ、両足も硬い鎖によって拘束されている。


「あとね、わりと簡単に死ぬから。安全確保や状況確認に複数の技術を行使する必要があるし、どれだけ訓練しても術師二人以上は必要よ。同じ1キーロル移動するなら陸路の方がマシ」


 確認した所、単位『キーロル』はおよそ5キロメートルの距離に相当するとわかった。大陸の面積は200万平方キーロル、つまり1000万平方キロメートルということになる。俺が生まれた世界で言えばヨーロッパ大陸程度の大きさだ。

 その土地の五分の一ほどを占める大国がイシス共和国だった。瘴気浸食される前はもっと広かったという。そのほとんどは農場で中心の城下街でも1000平方キロメートルに満たない。ケイが住み俺が『保管』されている屋敷はイシスの城下街から少し北にある。屋敷へ騎士団が訪れ、問答無用で魔術駆動車に乗せられたのは一時間前のことだった。


 今俺たちがいるのはイシスの外縁北側を渡る山脈。そこを通る洞窟だ。

 俺たちを乗せていた車が遠ざかっていく。数人分の甲冑の足が俺の周りを取り囲んだ。冷たい金属の爪先で蹴られる。


「ここからは自分の足で歩け」


 人間味の薄い冷徹な声が聞こえる。見上げると、フルフェイスの兜の隙間から陶器人形のように恐ろしく整った目元が見下ろしていた。

 女騎士フェルタニル・ク・ブローディアことローディは、その渾名で呼ばれることを嫌う。






 九十年前に魔王が勇者によって倒された時、その亡骸は『呪い』を撒いて海の底に沈んだ。

 瘴気は土中奥深くにしみ込み、植物を侵し生物を痩せさせる。地上の生態系をゆるやかに破壊する呪いだった。

 勇者の仲間だった魔術師の結界は『呪い』からイシスの前身である村々を守った。だが周囲の土地にしみ込んだ瘴気の浸食は止められない。全世界の食料を握ったイシスは周辺国との外交軋轢の末、読心魔術により国民とそこに潜む諜報活動の監視を選択した。


 俺こと石澄暁は、その呪われた世界に訪れた『転生者』であり、すでに生き疲れていた。

 その「死にたがり」が現在のイシスでは重罪にあたり、俺は転生早々に騎士団に逮捕されたり裁判にかけられたりと面倒な目に遭い、紆余曲折を経て、一時は生きる気力を取り戻しかけた。だが、そう簡単にねじ曲がった内面が治るはずもなく、今も早く死にたいと願っている。

 多くを調べて世界を把握してしまえば死ぬ確率が下がると思っていたが、今は考えを改めて、ケイに手伝ってもらいながらこの世界の情報を集めている時期だった。確実に死ぬために。


 今俺たちが居る洞窟と、それが通る山脈も瘴気に汚染されている。山脈が汚染されるとそこから流れる水が問題だ。瘴気は微量だが水に溶け込む性質があり、現在イシスに流れ込む川には魔術による浄水施設が設置され作物を守っているという。瘴気には魔術の威力を増幅する性質があり、水の近くで魔術を使うことで水分中の瘴気量が下がるという。ケイの勤め先である通信塔の地下にも貯水地があると聞いた。

 ならば地中も、隅々に魔術師を張り巡らせれば除染できるのではと俺は考えたが、それはすでに実行されているらしく、彼女は「今のペースで半世紀続けたら、終わるかもね」とシンプルに答えるだけだった。


 なんの説明もないまま隊列は湿った空間を進む。俺たちの前を四名の騎士が先導し、殿(しんがり)の女騎士が背後から睨みを利かせている。

 俺の足を拘束する鎖は彼らへどうにか着いていけるくらいの長さだった。連行された時に脱がされたため靴はなく、裸足で冷たい岩肌の上を歩く。


「ローディ」


 俺の呼びかけは案の定無視される。

 ケイが歩幅を狭め、女騎士の隣へ並び立った。


「集団行動において必要なので、我々が略称で呼ぶことを許可してくださいます?」

「致し方ない」


 ローディは足を止めた。兜に隠れて表情は見えないが、見えたところでその素顔も眉一つ動かしていないことは容易にわかる。


「ありがとうローディ。あと行動制限になるから縄をほどいて。アキのも」


 彼女が背中を向けてひらひらと指を動かして見せる。


「調子に乗るな」

「いいじゃない別に。魔物が出ても助けてあげないわよ」

「必要ない」


 ケイは口を尖らせて不満を表す。魔物は絶滅したのではなかったか。


「この洞窟にはまだ生き残ってるって噂なのよ。ワクワクするわね」


 俺の心を読んでケイは答えた。鼻を鳴らし興奮している。研究者の血が騒ぐか。

 彼女は『転生者』を代々身請けし研究していた魔術師の後裔であり、イシスの通信部、つまり検閲官の仕事に就いている。半径500キロメートルはあるというケイの読心術効果範囲に城下街の大きさは収まっていた。自慢する様子は全くなかったが「そんな逸材は滅多にいない」と彼女を訪れた魔術師が嘆いているのを聞いたことがある。侮辱罪で謹慎を食らうなど、なんて馬鹿なことをしたのかと。

 俺が思い出している映像も見たのか、ケイは上司に叱られた時そのままの酸っぱい表情になった。


「くだらない噂だ」


 ローディが無感動に呟く。俺は彼女に疑問をぶつけてみる。


「ローディ、ここへ連れて来られた理由を俺は聞いていない。国外追放か」

「まさか」


 その言葉こそ軽いが、心は籠っていない。


「これからアテへ最後通告に向かう。ケインベルグは取引により、謹慎期間の短縮を条件に協力させる」

「俺は」

「ケインベルグの所有物として特別に許可した。荷物持ちにでも使っていいとな」


 ケイを見る。彼女は悪びれる様子もなく視線をそらした。


「なるほど、相手の出方によっては囮にして見殺しにもできるしな」


 俺は第三の使い道を提案してみる。思わず声に自嘲が乗っていた。

 ローディは視線を伏せて首を振った。


「見殺しにはできない」

「何?」

「お前はケインベルグの余罪糾明のための重要参考物でもある」


 鎖が引かれる。会話をどう聞いているのか、先を行く騎士たちは魔光で洞窟の壁を照らし無言で進んでいく。

 ローディだけ、魔力を蓄えて光るカンテラが右腰に下がっている。彼女は自分で魔術を使えない代わりに、自らの心も決して人には読まれない。そうした体質だ。


「それに、私の剣技は魔王と渡り合うために高祖父が成した技だ。お前が魔王だというならこの技に本懐を遂げさせてやりたいところだが、勇者と呼ばれているそうだな」


 イシスの農民たちが言っていた。転生者はみな勇者だと。

 何もただの迷信ではない。先達が魔王を倒した事実が、この世界には歴史として存在している。

 高祖父、ということは彼女の四代前の先祖は魔王と渡り合ったのか。


  勇者の仲間の一人である騎士。彼女はそう呼ばれたくないみたいだけど。


 ケイが念話で補足した。


「騎士団は国民の意見を鑑みて、転生者の命を出来うる限り保護すべきだと議会で決定した」


 それは建前だ。


「お前自身はどう思うんだ」


 道が二股に分かれており、先導隊が地図を確認するために止まった。後方への合図として魔光を振る。ローディは黙っている。

 しばらくして答えが返ってきた。


「高祖父は勇者にそそのかされ、魔王に叩き潰された。勇者は家の仇だ。……だが、それも私には関係ない。お前自身を見極めるまでは何も言えはしない」


 騎士たちは左の道を選び、俺たちの縄と鎖を引いた。

 ローディは『仇』の言葉にも怨嗟すら込めることはなく、俺たちの歩みを急かす。






 俺たちは袋小路に入った。


「通路が崩れてるみたい」


 ケイが説明する。彼らは特にうろたえる様子もなく、一人がペンを取り出して地図に書き込みをしている。迷路のような全体図から彼らは新たなルートを探している。

 俺たちは腰を下ろし、しばしの休息を取った。

 崩れたという部分は大きな一枚岩が遮断している。洞窟の天井と壁はアーチ状になり、硬い岩石を掘り進んで作られたもののようだ。ここまでの道中には外の光が入る窓があったり、魔光を灯す台が刺さっていたりと一定間隔で目印があり、そこまでの息苦しさは感じられなかった。ここも三方を囲まれているが、わずかに外気が入ってきている。

 ふと、ローディの腰に下がっている鞘が違うことに俺は気付いた。瀟洒な飾りはなくシンプルな黒革の色を晒している。


「その剣は」

「家の蔵で眠っていたものだ。王に戴いた剣はお前に折られたからな」

「ああ、そうか……」

「皮肉ではない。折れるべくして折れた。私も負けるべくして負けた」


 彼女は携帯食料を口に含む。

 よく見れば甲冑も、最初に会った時の白い金属ではなく銀色のものに代わっている。他の騎士たちと同階級に落ちたということか。謝るべきかと考えたが、彼女の様子ではなにを謝罪すればいいのかもわからない。下手を言えば『彼女に斬り殺される』という俺の望みなど、断じて応えようと思わなくなるかも知れない。

 騎士団は念話によって統率を取っている。この世界の魔術の才能は体質によるところが大きい。ようするに、血の濃さで決まるとケイから聞いた。ただし現代の九割の人間は少なからずその血が混ざっており、魔術を使えない人間の方が弱い立場にあるとも。ローディはその体質にかかわらず要人護衛の隊に居たというのだから、一目置かれる存在であることは確かだろう。あるいは目を離してはいけない存在だったのか。


 そういえば、ケイがある事を守秘するために俺の記憶をブロックしていると聞いた。それはつまり、俺の思考が読まれるのも防いでいることにならないのか。


「私がブロックしているのは一部だけよ」


 ケイがこちらを見ていた。退屈していたのか解説者モードに入った彼女の口からは滞りなく言葉が流れ出す。


「鍵になる言葉とイメージを察知して弾くように術式してあるわ。アキは思い出せないでしょうけど、忘れてはいないのよ。私たち魔術師が『秘密の箱』と呼んでいる部分、つまり記憶が貯蔵される場所が脳の中にはあって、その箱から記憶が意識層へ上ると、記憶粒子が発生するの」


 記憶粒子。その説明と同時にイメージが感覚となって現れる。自分の頭蓋からフワリと煙のようなものが発散し、外へと漏れ出る感覚。念話は言葉にはないイメージも伝える。


「『読心術』とはその粒子を掴むこと。『ブロック』は任意の人間周辺、あるいは特定地域の一帯に張ったフィルターであり、それによって鍵を含む粒子を消滅させて読めなくしているの。それで充分なのよね。記憶粒子はちょっと心得があればパッと読めるけど、意識層に引き出されてない記憶をどうこうするのは特異な才能とめんどくさい段階が必要だし、一生分の中から閲覧していたら一人じゃ追いつかないわよ。そういうのは占術系魔術師のお仕事」

「己があの集団と繋がっていることを認めているのか、ケインベルグ」

「家の金庫の場所と暗証番号をうっかり見られちゃったからなー」


 ローディの指摘とケイの詭弁は洞窟の壁を反響し、闇へ吸い込まれていった。時空間が狂ったあの屋敷で金庫の場所を知られたとしても、あの中へ入る盗賊にはまず命を失う覚悟が必要だろう。

 査問官はケイが革命団との繋がりがあると疑っていた。それは侮辱罪よりも重い罪になるはずだ。俺は彼女の口からその名を聞いたはずだが、その時を思い出そうとする端から『消えて』いく。


「ええ、慣れていない間は思考中に消えていって気持ち悪いでしょうけど、そのうち脳に耐性ができるわ」


 証拠が不十分であれば騎士団も余罪を追及できない。俺は聴取として何度か査問官に記憶を読まれている。だが記憶を読んでもそれはわずかな部分だけで、彼の証言だけではまだ弱いということか。


 魔術も万能ではない。彼女と初めて会った時の言葉を思い出す。


「それにしても、別にそれ以外ブロックしている気はないんだけどなあ。アキの行動が思考する前に起こることが多いからかしら。ああ、別に珍しいことじゃないわよ」

「無我の境地という奴だ」


 ローディが視線をこちらに向けている。彼女の冷めた目が熱を帯びた気がした。もちろん色っぽい意味などではなく、戦士の対抗心だ。


「私たちは魔がさしたと呼んでるわ」


 ケイが水を差す。


「人間のやること全部が全部、今からやるぞーって思って起こるなら、私たちの犯罪抑止も建前以上のものになってるはずなんだけど」

「建前以上ではないのか?」

「本気で言ってるの?」


 二人の議論は刺々しいが、悪い雰囲気ではない。騎士と魔術師のはぐれもの同士、こうした応酬もいつものことなのだろう。


 心が読めれば闘いにおいても最強だと、そんなことを考えていた日が昔はあった気がする。立ち合い前の読み合いの深さで全てが決まると言われたこともある。だが培われた技術は心を介さぬ体の反射となり、時として思いもよらぬ偶然によって場は作られる。心すら人間のわずかな一部分でしかないのかもしれない。

 しかし考えただけで捕まって処刑だとしたら、それは種の多様性を狭めてしまわないだろうか。

 赤い髪が跳ね、ケイは俺の思考に反論する。


「別に違法行為を考えたら即処刑ってわけじゃないわ。周囲の支援とカウンセリングによるストレス調整が基本よ。対象が密室に籠っていても私たち通信部が対応する」

「稀にそれが切っ掛けで爆発する奴も居るがな。転生者は皆そうだ。作られた愛情は偽りらしい。愚かな奴らばかりだ」


 ケイが歯を剥いて不服を露わにする。急にローディの顔が険しくなり、赤毛の魔術師は表情を戻した。

 討論を遮ったのは異常な気配だ。


 通路を塞いでいたのは巨大な獣だった。




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