5.フラグが立ちそうで立たないまま朝を迎える


 時間がどれほど経ったか。

 足音を察知して俺は瞼を開いた。鎖はまだ重くない。


 青磁色の髪。

 身を起こすと、ギシャ、と錆びた鎖が鳴った。


「ええと、ロー……」

「フェルタニル・ク・ブローディアだ。お前に渾名で呼ぶ権利はない」

「そうか」


 暗い控室に薄明るく照らされた女騎士の上半身が浮かぶ。彼女は目を合わせず俺の言葉を遮り、甲冑を鳴らさぬように歩いてくる。


「ブローディア、綺麗な花だ」

「フェルタニルの名士から継いだ由緒正しき名だ。そんな花は知らん」


 冷ややかな視線は俺を一瞥した。


「次に家名以外で呼んだら侮辱罪を適用する」


 宣言すると檻の前を通り過ぎていく。

 囚人たちはほとんどが寝ている。見回りにでも来たのだろうか。俺は体を再度横たえた。

 彼女の手にはカンテラがある。あらゆる読心魔術をブロックするとケイから聞いたが、光源も己では出せないらしい。


「騎士様の仕事は処刑もあるのですか」


 部屋の端で折り返して戻ってきた彼女に、俺は侮辱に当たらない言葉を考えてみた。


「いいや、私の所属は護衛部隊だ。普段はな。王を含めた要人を護送する際に働く」


 彼女は俺の前で足を止める。


「私に斬られたいのか」


 彼女以外の騎士に、読心を使える奴も居たのだろう。


「できれば。いかにも淡々と、後腐れなく殺してくれそうなので」

「まるで獣扱いだな」

「人よりも獣の方が貴重だと聞きました」


 カンテラの光の加減かもしれない。一瞬、彼女の口元が薄く笑ったように見えた。

 彼女がようやくこちらへ顔を向けた。


「お前を『縛った』のは我が家に伝わる剣術だ。魔術ではなく、人の感覚に作用する」

「なぜそれを伝える」

「知りたくはないのか。己を倒した手品を」


 別に興味はない。

 むしろ手の内を知ってしまっては死ねる確率が減るので、俺はなるべく多くのことに興味を持たない。


「お前を呼んだのは私だったのかも知れん」


 意外な言葉が彼女から出た。


「お前を捕縛したあの日、私は南の国パヴァティへ向かう途中だった」


 丘で俺が目覚めた時だ。考えてみれば護衛の騎士がどうして国外にいるのか不思議だった。要人を連れていたのなら、そちらの用事を優先するべきだろうし。


「イシスの数限りある友好国だ。二か月前は外交官の護衛としてだったが、先方の要求で私と数名の部下だけで来いと通達があった。北西のアテとの緊張状態にある中、国を離れるわけにはいかんのだが……」


 命令とあってはな。彼女は表情を変えず、そう続けた。


「イシスに王女は居ない。代わりに私を外交の人身御供に使う積もりだ」


 冷酷な顔は、一国を傾かせるに足りる美貌だったのだと俺は改めて気付いた。

 そしてその唇に今は紅が引かれていないことにも、ようやく。


「十年先か、あるいは明日か。いずれイシスの栄華は消え去る。その時が来るまで私は戦士として、たとえ死霊となろうともこの国に貢献する気でいた。それを否定されたと思った。あの日私の心がいつも以上に乾いていたのはそのせいだと、後になって気付いた。あのままパヴァティに着いたとして冷静な交渉が出来たか定かではない」


 俺という思想犯を拾ったことで、彼女はイシスへ引き返した。それはもしかしたら、彼女を助けたことになるのか。しかし騎士団の任務のために先延ばしになっただけだ。俺は自然と声に出していた。


「国を守るために身分と誇りを捨てて他国へ嫁ぐか、国が滅ぶまで貫き通すか、か……」

「その迷いも明日には決着がつく」


 言葉を受けて彼女がそう発した。


「王が真に求めているのは、より強く、より恐れを知らぬ、先陣を切って立つ戦士だ。次にまみえた時にわかる」


 彼女は背を向けて去っていった。





 あの女騎士はそれだけを言いたかったのだろうか。

 前後の話からして、護衛部隊である彼女も演習に参加するのか。自分を戦場に立たせろと上司に要求するつもりかもしれない。それは遠い国に人質として嫁ぐより過酷な道だ。

 裁判所に居た奴らとは正反対の感覚だ。皆が皆平和ボケしているわけではないらしい。あるいは、命のやり取りに憧れているだけか。平和な時代の護衛なら人を斬ることなどそう無いだろう。いや、ケイを襲撃した奴らがいたか。


 考えを巡らせながら気付いた。

 彼女に斬られる可能性があると、俺は喜んでいる。


 なにせ彼女は、この俺を幾百年ぶりに気絶させたのだ。熟睡までした。これは、期待ができるのではないか。

 彼女に斬首されたなら、今度こそ異世界に生まれ変わることなく逝けるだろう。機械仕掛けの女神だ。暗闇に目が慣れた頃、俺は根拠のない妄想によって心を満たしていた。


 だが、珍客は彼女だけではなかった。


 通路に放置されていた割れた鎖に躓き、数人の死刑囚に睨まれながらやかましく入ってきたのはローブに身を包んだ若い男だ。光源は持っていないがおそらく魔術師だろう。

 一つ一つの檻を覗いては野次られ、どうにか俺の顔を確認すると名乗りもせず喋り始めた。


「僕は『深い所』まで読むのが得意なんだ」


 その声には聞き覚えがあったが、特徴が薄いこともあって思い出せない。


「死ぬ前に教えたかった。本当は死にたくないのに、そう思い込んでいる人が、沢山居たんだ。この国には」


 震えているのは周囲の死刑囚に怯えているせいか。落ち着きなく捲し立てる。

 遠くから檻を殴る音。男の肩が跳ねる。恐怖に耐えながら彼は続ける。


「まだイシスが素晴らしい国だった時の話さ。魔王が倒されて、建国された時から。どの国もやっとこれからだと希望に満ちていた。けれどそんな平和も十年程度の短い間だ。人は互いを疑うようになって、人の不満は人に向かうようになったんだ。『君の世界』がそうなんだろう」


 俺の世界。

 最初の『深い所』が何を表すのか、ようやくわかった。


「これまで幾人も見てきた僕には分かる。あなたは、死にたいわけじゃない」


 こいつは記憶の底が覗けるのだ。


「誰かに必要とされたいんだ。でも傷つきたくないから……」

「言うことはそれだけか」


 怯えた声がつまる。


「帰ってくれ」

「僕は、き、君を救おうと」

「偽善だ」


 フードに隠れた目は見えない。しかし、その向こうに透ける本性は手に取るようにわかる。魔術などなくとも。


「お前はお前の苦しみを解消したいだけだ」


 男は何も言わず、また暗闇に足を取られながら引き返していった。






 檻から出された俺は、鎖の最後尾に繋げられた。

 最初のグループは手枷を付けられたまま円形の演習場へ配置される。砂地は刻まれた溝によって四つに区切られ、それぞれの場所で、囚人と騎士が相対する。


 一人が騎士に襲い掛かった。あっけなく斬り伏せられる。

 うずくまった囚人を起点に血の溜まりが広がる。手当されることもなく、騎士が剣を掲げ別の騎士と交代する。観覧席から厳かな拍手が届いた。

 騎士を圧倒すれば次の演習まで生き延びられると檻の中では噂されていた。しかも晩餐が僅かばかり良い物になる。死に向かう彼らの楽しみは数えるほど残っていない。その恩赦も興味がないのか、うつろに空を見つめる者も少なくはない。俺はそちらの類だった。

 看守役は新たな死刑囚を連れていき、絶命した囚人の体を片付ける。


 休日の日差しは、二つの太陽が真上に重なっている炎天下だ。観覧席は疎らで、酒を口に運ぶ者、眠りこけている者もいる。熱狂も起こらず、まるで草野球でも見に来たかのように処刑を眺めている。

 最も高い場所に貴族と、魔術師の側近に囲まれたあの老人が見える。イシスの国王。その表情もまたうつろで、何を考えているのかわからない。


 観覧席の最前列に小さな黒点が見えた。黒いローブを頭からかぶっている。しばらく見ていて、フードの陰に赤い髪の房を認めた。

 ケイか。

 俺は余計なことをするなと念を送った。


 俺はこの世界では、今日死んだ囚人の末席に並ぶのだろう。

 また違う世界に転生しても、もう一度死に方を探せばいい。


 騎士を殴り倒した囚人は雄叫びをあげ、再度鎖に繋がれる。演習は騎士団の優勢で進み、ようやく俺の番が訪れた。看守役が重い鎖を引く。


 そこに立っているのは、彼女だ。


「参る」


 フルフェイスの兜の隙間から、あの冷えた声が届いた。

 ローディはしばらく剣を抜かなかった。抵抗しない相手を斬る気はないのだろう。本来なら、いや、彼女にとっては今も神聖な演習なのだから。

 俺は死ぬために、手枷で繋がれた両腕を前に差し出した。

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