2.魔術師の異常の定義にツッコむ


 地上で出迎えたのは甲冑に全身を包んだ警備兵の隊列だった。


「お前か。ケインベルグ」


 隊列を割って頭目が現れる。兜で顔は隠れているが声に聞き覚えがあった。俺を捉えた女騎士だ。


「よほど異世界に興味がおありの様だ。研究熱心であることは構わん。だがこうもすぐに連れ去られては困る」


 ケイは歩み出た。


「おつかれさま、ローディ。すでに承諾は得ているから、あなたの誇りに傷は付かないわよ」


 ケイが話している間に、女騎士……ローディの背後に走り寄ってきた兵士がなにやら耳打ちをしはじめた。


「念話か。魔術と言う奴は気に食わん」

「あなたたち騎士団も使っているでしょう。魔術がどれほど戦線に貢献しているのか、ご存知だと思いますけど」


 皮肉じみた言葉を返すケイ。隊員の間で緊張が走るのを感じた。

 わずかな沈黙の後、合図らしきものもないまま隊列は剣を収めて下がっていった。


「あまり手荒に扱うなよ」






「革命団体ではなかったのか」

「アドバイザーよ」

「本来の所属は違うな」

「本来というか、職場はイシス国魔術協会付き通信部……要するに検閲官ね。あなたの世界でいうと」


 俺の頭から情報を引き出し彼女は翻訳してみせる。この世界では読心魔術が普通に使われているのか。


「ええ、ちょっと魔術の心得がある者なら。目の前の人間が、今、何を考えてるか。そのくらい読めるわよ。でも市民が日常的に使うのはイシスくらいじゃないかしらね。私はせいぜい100キロ圏内は読めるから適職ってわけ」


 ケイは俺の心の声に返事をし、説明を加えた。魔術教育を受けていない層もいるのだろう。だが気になるのはそこではない。


「何が目的だ」


 俺以外にも居たのだ。異世界から来た者が。

 それを幾度も脱獄させ、彼女は研究材料として引き取っていることになる。しかも革命団員と国の検閲官を兼ねる怪しい存在だ。何のために。


「さあね」


 微笑みを返しただけで、ケイは答えなかった。

 広い田園は稲穂に似た植物に一面を覆われ、風に揺れる加減で黄金に輝いて見える。市場に並ぶ野菜も瑞々しい色をしていた。城の敷地を出たあと、俺たちは堂々と市街地の真ん中を歩いてきた。人々の活気にあふれる市場は、これまでに聴かされたこの国のイメージとは大きなギャップがあった。

 農民に出会い、老人と孫らしき若い男がにこやかに挨拶した。しばらくケイと立ち話をしていたが、彼らの言葉は俺にはわからなかった。収穫機の付いた魔術動力の車両に乗って去っていく彼らをケイは手を振って見送った。

 農地の間を縫って敷かれた石畳をしばらく歩き、辿り着いたのは中心街から離れた屋敷だった。黒いレンガ造りの壁には色とりどりのツタが這い、門をくぐった前庭は複数種類の植物が互いを食い合うように群生している。周囲の田園も数メートルの距離を開けてここを避けている。いかにも魔女の屋敷然とした様相だ。


「親の趣味よ」


 ケイはむくれて、象が通れそうな玄関扉に手を付いた。それ以上力を入れることはなく、少し間をおいて、手を離すとひとりでに扉が開きはじめる。物質的な鍵は使っていないが魔術で代用しているようだった。古びた蝶番が軋む音が聞こえる。

 靴を脱ぐ習慣はないらしい。広い玄関は正面に大階段があり二階の回廊へと繋がっている。外観もだが欧州の様式に近いシンメトリーの作りだ。

 一階には左右に扉が一枚ずつ。片方は開け放しでキッチンにつながっている。扉の間隔からそれぞれの部屋もそれなりに広いのだろう。埃っぽい空気はあまり掃除されていないことを示していた。


「食事はどう?」

「必要ない」


 腹が空く感覚などもう何年もない。キッチンの汚れた様子が見えたこともあったが、彼女の目的を聞くほうが先決だ。

 大階段の裏に回り込む。物置になっていたが、本棚を除けると年季の入った鉄製の開き戸が床についていた。一部が窪み、ここは南京錠が掛けられていた。ケイは服の中からネックレスでぶら下げていた鍵を引き上げる。


「じゃあ、まずあなたのお仲間に会わせるわね」


 よく磨かれた鍵は音もなく回り、錠だけがパチンと鳴って開いた。


 石造りの階段は地下へと続いていた。ケイが進むたびに壁に並ぶランタンが独りでに灯されていく。らせん状の階段は途中から骨組みと踏み板だけになっていた。広い空間がある。

 ケイの靴が踏み板を鳴らすと、奥の空間が白い光によって照らされた。


 広い空間にぎっしりと並んでいたのは、液体に満たされた透明な柱だった。

 その一つ一つの内部に浮かんでいるのは年齢も性別も様々だが、すべて人体だった。


 俺は反射的に飛び退る。素早く階段を駆け上がり部屋を出た。


「待って、待って。私が殺したわけじゃないから!」


 玄関の扉にタックルしていた俺はケイの叫び声で我にかえった。魔術オートロックは結界の役目も果たしているのか頑丈だ。

 よく考えれば俺は死ぬために行動しているのだ。ついていった先がマッドサイエンティストの家だろうが、生きたまま解剖されようが構わないはずだ。


「生きたままはしないわよ。みんな勝手に死んでいったんだから」


 ケイは呆れて扉から俺を引きはがすと、再度地下へと降りていった。







「タイヨウ系世界チキュウ・ニッポン言語と便宜的に呼んでるけど、同じ言葉を話すのはあなたで千五百一人目」


 次に多かったのは同アメリカ言語、と言う途中でケイは埃を擦って咳込んだ。要するに英語のことらしい。

 床の標本や資料の隙間を押しのけて置かれた小さな丸椅子に俺は座らされていた。彼女は必要な資料を探して歩き回っている。

 周囲には透明な棺桶が隙間なく並んでいる。

 死体たちの表情はさまざまで、苦痛に満ちた壮年の男もいれば安らかに眠っている少女もいた。こちらの死装束だろうか、全員が黒いワンピースを着ている。切り花が浮かんでいる棺桶もあった。すべて、この世界へ流れ着いた転生者だった。

 俺は、この世界で特別な存在ではない。


「心を読まれる習慣に適応できず、精神を病んだのが全体の一割」


 歩き回ったままケイは語り始める。金具でまとめただけの分厚い紙束を手にすると親指ではじいて高速でめくり、脇に抱える。


「そのうち自殺したのは四十一人。残りは他殺か事故か処刑。ああ、ジョージョーシャクリョーなんてモノはこの国にはないわ。で、えーと、引き取った後に再犯で処刑されたのが全体の四割。回収が間に合わなくて行き倒れていたのが三割。事故ないし病気が二割。その他の理由、寿命は三人。全部で十万人くらい」


 ケイは自分の頭から記憶を振るい出すように頭を左に右に傾げている。


「あー、名簿がどうしても出てこなくてね。身体が残っている人たちは全部ここに収容してある。

 他の国に転生者が現れた記録はないの。ここを『始まりの地』とする伝承に関係していると言われているけど」


「そうか」


 透明な棺は偏光率が低く、どこまでも見通せる。部屋の中心は白い光に照らされているが、遠くなるほど黄色に、そして赤い光に変わっているようだった。


「魔光は使う術者によって色が違うのよ」


 十万人もの他人を彼女一人で見ていたはずもなく、この家系はある時点から代々俺たち転生者を収集し、時には世話をして来たのだろう。広い屋敷は埃にまみれ生活の気配がほとんどなかった。彼女の家族が今どうしているのか、おそらく自分から話すことはないだろう。ケイは研究内容を意気揚々と話す。


「この世界は危機に瀕しているわ」


 俺はため息を吐く。


「やっぱり驚かないわね」

「どこでもそうだった」

「あなたには百万回目だとしても私たちの世界では一大事なのよ。アテとの最初の戦争は十六年前。交易交渉の破綻から、国境の山岳で商隊を巻き込んだ戦闘に発展したわ」


 何を考えているか分かるのだとしたら、俺の辿ってきた生涯も見えるのか。あるいは言葉として聞こえているのか。定かではないが俺の状況を彼女は悟っているようで、質問はせず一方的に話し続ける。


「その頃は地味に不作が続いて居たのもあったんでしょうね。上級品とはいえ、ただの調理器具とまともな食料では見合わないってこと」

「まともな食料とは?」

「聞き流してたみたいだからもう一度話すけど、現在全世界で農牧ができるのはこの地だけよ。外の土で育った植物は毒性を帯びるの」


 思わず足の裏を確認する。気を失っている間に拭き取られたのか、あの雑草の液はついていなかった。


「微量ならちょっと熱が出る程度よ。おなかいっぱい食べればのた打ち回って死ぬけど。九十年前、魔王が死ぬ時に『呪い』をばら撒いたから。そしてこの一帯だけは当時の魔術師が結界で退けた。そうした歴史があって、我が国は世界中に安全な食料を売りさばいてるってわけ」


 確かに人類の食糧を一手に担っているのだとしたら、強大な権力を生むだろう。心を読む魔術の導入も市民による監視を狙って、それだけでは足りず市民の監視をケイら魔術師に担わせたわけだ。俺は冷徹で疑心暗鬼に濡れた国王の姿を想像した。


「まあ、その想像でだいたいあってるわ。ただし読心魔術も万能ではないんだけど……読心されなくする思想防御の術も当然あって、私達や成金富豪はみんな習得してるから。それに魔術知識に関係なく先天的にすべてブロックしてしまう人もいるし」


 ローディのようにね、とケイは続けた。あの女騎士のことだ。言われてみれば、魔術を気に食わないと言い、俺にもわざわざ口頭で質問していた。アレが読心を使えていたなら必要のないやり取りだ。


 それから心を読む時に何に働きかけているとか、魔力の活用限界は人それぞれ違うだとか、ケイの話が魔術講釈へ脱線した頃に俺は咳ばらいして静止した。


「今の状態は異常よ。このイシスも、他の国もね」


 ケイは断言した。


「だが」


 異常とは、順応してしまえばそれが日常になってしまうものだ。


「昔は魔物と戦い生存のために技術が発展していったが、逆に言えば魔物と戦うことにしか技術は使われていなかった。今は人同士で戦争するほど、他に思考を回す余力があるとは言えないのか」


 思わず反論してしまった。

 ケイは満足そうに、学生と答弁をする教授のように頷いた。


「ええ、余力があればね。だから私は『魔王の呪い』を解きたいの」


 赤銅色の眼が細められる。


「このイシスという国は呪いに縛られているのよ。幸いここ十年は飢饉を退けてきたけど、領土は年々汚染によって縮小していて、もってあと五十年だと私は予測してる。王は枯渇に怯えて他国を滅するか従属させるかしか考えなくなっているわ。イシス以外の国も九十年前から今日まで残っているのはわずかだし。その各国も食糧輸入なしには存続が難しい状態よ。呪いさえなければ、食料を奪い合った戦争も起こらないはずよ。

 まだ私たちは魔王の影から逃れられていないのよ」


 それが呪い、か。

 死してなお、この世界を恐怖で支配しようとした魔王の。


「世界が狭いのが問題だと思う」


 ぽつりと付け足されたケイの発言は、話から飛躍しているように聞こえた。


「何?」


「あなたが居た世界がどうだったかはわからないけど、私たちは飛行魔術で空も飛べるし、魔界だってもう未開の地ではなくなってしまった。人間の心ですら魔術で解体されつつあるわ。この宇宙、ここではないどこかがあると解れば……。たとえ資源問題が解決しなくてもね。その研究にリソースを当てた方がよっぽどロマンチックでなくて?」


 資源がなければ研究もままならないと思うが、笑顔を輝かせ少女は語る。その両眼は開拓者の熱気を帯びていた。

 しかし彼女の説明でよくわかった。


 レベルを上げ過ぎたRPGのようなものだ。技術が成熟しすぎたために世界が狭く感じ始めた。このイシスという国は不必要なものを切り捨て、己の中だけを固めていったのだ。そして魔物は無限に沸く存在ではなかった。この世界を滅ぼしつつあるのは、人同士の争いであり閉塞感だ。

 俺がやるべきことは。


「説明感謝する。邪魔したな」


「ちょ、ちょっ、ちょっと待って、待ちなさいって」


 小さな魔術師は資料の山を崩して盛大に転び、俺の背中に貼り付いてそのまま引きずられる。首が締まるのを気にせず階段の梺まで歩みを進めるが、ケイがシャツをつかんだ手を離す様子はない。


「協力しなさいよ! せっかく助けてあげたんだから!」

「勝手に助けたんだろう。協力したとして、俺に何の得がある。そもそも何を協力しろと。研究材料にしたいなら今ここで死んでもいいが、この世界がどうなろうと俺は知らん」


 魔王の呪いを解こうとするなら、この世界の魔術師が結託して研究を進めるべきだし、俺のような余所者が「研究を進めてください」などと呼びかけてやる気を起こすとでも思うのだろうか。

 あるいは渡って来た世界を紹介するとしても、あいにく参考になりそうな場所はない。生まれた世界も、そこでの俺は状況を俯瞰できるほど恵まれていなかったはずだ。

 強大ななにかをただ殺しにいくのではないなら、俺の力など必要なさそうだ。やるべきことはない。


 そもそも個人単位で考えてしまえば皆が平穏な生活を送る理想郷などというものは、存在しないのかもしれない。存在しない宝を探そうというのは、あまりに気が長すぎる。

 俺の考えが推敲しない文章のようにケイに伝わっているのか、シャツを掴む指は徐々に力が抜けはじめた。


「じゃあいいわよ、何もしなくて。でも外に出たら余計に死ねないわよ。自殺志願者の刑が死刑のはずはないでしょう。

 いつか殺してあげるから、すぐには死なないで」


 ケイは投げやりに言ったが、最後だけは強い調子だった。まっすぐに見つめてくる目はまるで駄々をこねる子供だ。実際まだ子供だが。


「あなたもね……」


 その先に何が続くのか分からなかったが、彼女はそこで言葉を切ったまま、資料の山との格闘を再開した。


 ケイがいくつかの資料を抱えた所で俺たちは地下の安置室兼研究室から出ることになった。何に使うのか興味はなかったのだが、彼女が説明しようと口を開いた瞬間に、轟音が遮った。

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