俺が死のうとすると必ず異世界に来ている

月這山中

俺が死のうとすると必ず異世界に来ている

1.俺が死のうとすると必ず異世界に来ている


 いつの間にか血臭は消え失せ、俺は仰向けに寝転がっていた。

 青磁色の髪が鼻先に触れるほどの高さまで垂れてきている。見知らぬ女の顔。


 またか。


 右手で首筋を押さえながら俺は身を起こした。顔を覗き込んでいた女は慌てて下がる。


 俺が寝ていたのは小高い丘の上だった。一面枯色だが瑞々しい葉先は肌を刺してくる。翠色の空には赤い雲が浮いている。遠くになるほど空の色は紫色に変化し不穏なグラデーションを作っていた。天頂から照らしているそれとは別に、遠く東の空から二つ目の太陽が登ろうとしている。ここではこれが平常の風景なのだろう。


 女は白い金属プレートを曲げて作った鎧に身を包んでいた。肩当てからは独特の光沢を放つ黒い布地のマントが延びている。

 俺の顔をくすぐっていたストレートの髪は彼女の腰まであり、邪魔ではないかと思ったが、戦闘となれば片腕に抱えているフルフェイスの兜にそれを収めるのだろう。腰に巻いた皮ベルトにはロングソードが瀟洒な装飾で飾られた鞘に収まっている。


 空と同じ翠色の瞳。


 つりあがった目尻と高い鼻梁は冷たい印象を受けるが、造形は整っていた。肌は白い。むしろ整い過ぎているからこそ堅い人形のように見えるのか。非現実的な美女。

 薄い唇には紅を引いている。永遠に引き結ばれているかと思われた、その赤い口が開いた。


「ここで何をしていた」


 どこから来たとか、ここがどういう世界だとか、そういった話はあとからでいい。言葉がわかることにもいちいち驚いたりはしない。首を押さえながら自分の髪が短くなっているのを確認した。伸び放題だった汚い髪は重しを取られ、それぞれが思い思いの方向に跳ねている。靴は無いが粗末な服を着ていた。全裸よりマシだ。

 手のひらを顎に持ってくると伸びつつある無精髭の感触があった。


「ご覧の通り、気を失っていました」


 まだ頭がぼうっとするが立ち上がった。指を組んで天に伸ばすと体中の関節が悲鳴を上げる。


 女の背後には黒土が露出した道があり、その上に幌馬車が留まっていた。銀色の鎧に身を包んだ者が馬の手綱を握って待機している。

 道が続く先へ目を向けると、人工的な質感が見えた。街を囲む城壁だ。この世界ではあれが最初の街になるのだろう。


「どこへ行く」


 歩き出した俺に向かって女が聞いた。刺すような声だ。

 最初の一人としては良くない。こういう頭も身持ちも堅そうな人間は信頼さえ得られれば心強いが、そこまでの面倒が多いからだ。まだ空想に親しむ年齢ならあるいは。だが、今となってはどうでもいい。

 俺は答えた。


「また死ぬ場所を探すんです。お構いなく」


 草を踏む感触。潰れた葉脈からぬるりとした液体が流れ出て心地はよくない。のぼってくる匂いも腐った果物に似ていた。背後からはガチガチと鎧の音が追ってくる。


「お前は戦士か」

「いいえ」


 騎士は俺の数歩後ろをぴたりと着いてくる。まるで看守だ。


「ただ死にたいんです。気を失っていたのも、死ぬのに失敗したから」


 嘘はついていない。


「こうしてフラフラ歩いて、そのうち魔物か野党にでも襲われることを期待しています。街に着いてしまったら、不審者として警備に殺されるか」


 あるいは今ここで、あなたに斬り殺されてもいいのですが。言いかけたがやめた。


「まさか死に憧れているのか?」


 憧れ……憧れ、か。


「そんなものではないと思う。いや、いいんです。そっとしておいてください」


 理由はわからない。なぜ、異世界を渡り歩くことになったのか。

 死ぬ間際の走馬燈か死後の世界と呼ばれるものかと思っていたが、未だにわからない。怪我をすれば痛いし、稼がなければ飢える。そしてどこの世界も未曽有の危機を抱えていた。

 そのうちに次々と訪れる新たな世界に期待を抱くのも面倒になった。なるべく早く死んでしまいたい。また生き返って、どこか別の世界で目覚めることになるとしてもだ。


 理想郷と呼ばれる場所はなかったし、そのようなものを、俺は求めていない。


「どうであれ、その思想は厳罰の対象にある」

「何?」


 女騎士の声が低く届いた。

 冷たい感触が首元に吸い付く。空の色を反射して光るのは、良く磨がれた両刃剣だった。

 草を踏む足の感覚が薄れるのを感じた。


「なあ、あんた。いや、この世界は一体……」


 質問を終える前に膝が地面に着く。

 剣は引き戻される。血は噴き出さない。その刃も赤く染まってはいなかった。


「名乗る必要はあるのか?」


 完全に気を失う直前、女騎士の冷えた声が聞こえた。




 次に意識を取り戻したのは馬車に乗せられている時だった。

 目隠しと耳栓をされていたが、その程度の気配はわかる。車高の高さ、不安定な座面、四つの車輪と引き革の軋む感触、なによりも大型の獣の臭い。背中を押したのは男の腕だ。幌らしき布に肩が触れる。手首には荒縄のようなものがきつく結わえられていた。それを引かれ、固い床板に座らされる。貨物車の中央。

 馬車が出発した。


 気配でわかる。俺を捕縛した女騎士は正面にいる。直々に見張っているらしい。

 気を失う瞬間を思い返し、気が付く。俺は刃から目が離せないまま倒れていた。幻惑術か。魔剣のたぐいとしてもあの速度で気配なく抜いたのだから、かなりの使い手だろう。


 眠る囚人を女騎士はどう思っただろう。歩く苦労がなくなって助かる。なんなら、命を絶つ作業も勝手にやってくれないだろうか。

 この世界の馬車の乗り心地は悪くない。振動に揺られて俺は熟睡していた。





 まどろみの中、夢で懐かしい景色が見えた。


 転生して一度目の世界は目に痛いほどの青空が印象的な場所だった。地平線はなく、いくつもの石造りの遺跡が空中に浮かんでいた。住民たちは個々の羽根を持ち、飛ぶのに疲れるとグライダーのような道具で遺跡の間を移動していた。

 夢の中をぼんやりと歩くように、なんとなく状況に流されていたのだろう。「ここがあの世か」と最初は思っていた。羽根のない俺は不思議なほど人のいい彼らに世話を焼かれ、できすぎた偶然が重なって冒険の旅に出た。

 頼まれるままにお使いをした。修行をした。魔物退治もした。仲間と協力し、世界を脅かす魔王を倒した。全身を崩れさせながら失った恋人に懺悔する奴の言葉を、俺は緊張が続きハイになった頭で聞いた。


 危機は去り四人の仲間と手と手を取って抱き合った。失った命も多かったが未来への希望を守ったのだ。各々の居場所へ帰ろう。俺を見初めていたのだろう、男勝りの弓の名手は自分の実家に置いてやると言っていた。


 だがその時、急に、虚無感が襲ってきた。

 俺は気付いてしまったのだ。


 彼女の手を振り払い俺は底なしの青い空間に身を投げ出した。自分の意志に従ってだ。

 脳天からスッと水が抜けたように支えが消えたのだ。焦燥が胸を逆撫で、鼓動が止まらくなったのだ。仲間の一人である拳闘家は俺にも羽根が生える日を待っていた。落ちた俺がすぐに浮き上がり生えたての羽を自慢するのを期待していただろうか。そうでないことに気が付き、悲しんだだろうか。今となっては分からない。

 轟風が鼓膜を破りそうだった。風圧で内臓を吐き出しそうになるのを耐えながら、俺は無限に落ちていった。そしてどこかで気を失った。


 目が覚めた時には、また別の色の空が広がっていた。


 人と触れ、戦い、世界を救い、そしてまた虚無感に襲われ、死ぬ。俺は幾度も繰り返した。その度に『何か』に気付くのだが、死のショックの為か忘れてしまう。虚無感の正体は今もつかめないままだ。

 なにかを達成するたびになぜ死を選ぶのか、自分でもわからない。リセットしてしまうには勿体ない栄光と生活を幾度も掴んだはずだった。


 天国も地獄も見ることはない。天使にも獄卒にも会うことはない。悪魔に絆されることはあっても、俺が死ねない理由を誰も教えてはくれない。

 幾度死んでも必ず違う異世界へと転生していた。






 即刻処刑の期待ははずれ、俺が入れられたのは独房だった。三日後の裁定までにいろいろと手続きをしなければならないらしい。剣を腰に下げている割に面倒なことをするのだなと思った。

 到着してすぐ裸に剥かれ頭から水をかけられた。その後はなんの異変もない。この世界の水は、俺の身体にとっては安全だ。元の服と変わり映えのない汚れた上下を着せられ、この独房に通された。

 入れ替わりに訪れた男は、檻越しに身分を聞いてきた。貴族か庶民かで殺し方に違いが出るのだろうか。


「無意味ですよ。別世界の者なので」


 正直に答えたのだが、生真面目そうな若い男は書類を読み上げるだけだ。


「――…説明は以上。では、こちらに目を通して署名を」


 渡された書類には青いインクで推された記号が並んでいる。一つも読めない。

 一応、自分が日本語を使い、英語が少し読める程度の教育を受けたのは忘れていない。これまで見た言語のどれとも似ていないのだ。これも慣れてしまった。


「署名すれば殺してくれるのか」


 答えはない。彼がどのような役職に当たるのかはわからないが、俺が処刑台に立つことに反対はしていないだろう。サインは母語で書いたが、何も質問されなかった。果たしてこの世界の人々はこれをどう読むのか。

 全て終わると男は去っていった。


 独房は鉄格子の入口以外はなにもなかった。石造りの床に横になり目を瞑っていると、ふと気配を感じた。

 背後の壁を見る。四方が五十センチ程度に切り出された石が組まれている。床に接する石のひとつが、わずかに張り出していた。

 それはズズズ、と勝手にこちらに押し出されはじめ、そして倒れ込んでくる。

 俺はとっさに腕を出して支えた。


「こっち」


 独房に開いた横穴から、黒いフードと覆面の隙間に丸眼鏡を差しこんだ顔が覗いていた。


 なんだろうか。

 初めて来た世界で、脱獄の手助けをしに来る者がいるとは思えないのだが。何かの罠か。監視側の余興とか。

 石板を元に戻そうとすると、それが腕を突っ張って静止した。


「あなた、この世界の人じゃないんでしょ」


 闖入者の声は若い女のものだった。跳ねる好奇心を抑えきれていない。ある意味、馴染み深くさえある声。


「ついてきて」





 壁の向こうは急坂になっており、ダストシュートを滑るゴミのように底へ降りると立って歩ける程度に広い洞穴になっていた。これほどの脱獄路が地下に掘られていたら気付きそうなものだが。背の低い女は俺の前を歩く。前に翳した左の手のひらには蝋燭も何もなくただ赤く丸い光源が浮いている。魔術だろう。


「イシスでは希死念に限らず、あらゆる思想と行動が管理されているのよ。それというのもアテ……隣国との冷戦状態が続いていてね」


 粗悪なガラスを金色の金属でつなげた眼鏡は本当に役に立っているのか気になる。女は身体を左右に揺らし、暗い闇を進んでいく。

 イシス、と俺が聞き取ったそれはこの国の名前だろう。アテという他の国が存在することも分かった。


「魔王は……」


 その言葉は、気が付くと口をついて出ていた。


「魔王? ああ、魔物はほんの二十年前に地上から絶滅したわ。私が生まれる三年前ね」


 ここに魔物は存在しないのか。その代わり人間同士の争いが当面の問題らしい。珍しいパターンだ。

 いや、そうでもないか。

 俺が生まれた世界がそうだったのだ。魔物は存在せず、人間同士が足を引っぱり合い、蹴落としあう世界。こことの違いは天体の作りと魔法の存在か。他にもありそうだが興味はない。


「その頃から協会とはズブズブの関係だったんだけど、国の体制を維持するため政府は読心魔法を利用して……。そういえば自己紹介していなかったわね。私は」

「どうでもいい」

「これから死ぬから?」


 女は覆面をずらす。光の加減か、あるいは元からなのか。炎のように赤い髪の房がフードからこぼれる。

 レンズ越しに見える彼女の瞳もまた、熱せられた赤銅の色に輝き、ゆらめいていた。


「私は革命団体ギナミの……そうね、アドバイザーをしているの。ケインベルグ・トリニエ」


 形容しがたい発音で彼女は名乗る。かろうじて聞き取れた『ケイ』を繰り返すと彼女は笑って頷いた。

 名乗るくらいはいいだろう。


「俺は石澄。石澄暁」

「イシス、ミ? すごい偶然ね、この国の名前が入っているなんて」


 そう言われても感動はない。


「じゃあ、アキでいいかしら。死ぬのは勝手だけど、その前に少し協力して」


 ケイは一方的に決めたあと、またこの世界とイシス国についての解説が始まった。

 独房に帰ろうとすると腕をつかんで引き留められた。



 一体何を期待してるのだろうか。

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