死因を探す女


 意識はそこにあった。


「もし」


 いつの間にか、傍に居た男がその意識に声を掛けた。

 男は制帽を目深に被り、無機質な光を宿した両眼をこちらへ向けていた。


 己は何者だろうかと、その意識は思い出そうとする。


 記憶に浮かんだのは大きなガラスに映った女の姿だ。


「こんな場所で、どうされました」


 周囲を見渡す。育った杉の木がいくつも立ち並んだ山間の藪の中。視線を上げれば星が良く見える。どこか懐かしかった。


 足元にはバッグが落ちていた。実物で、女物のシンプルなバッグだ。


 意識からは白く細い、女の腕が生えていた。


 目の前には男が立っている。

 背は低く、車掌のような制服に身を包んだ男だった。白手袋をはめた指で制帽の鍔を傾ける。

 その目はどこか無機質に見えた。


「お名前は」

「守山、理紗……です」


 意識は答えた。


「私はヤマグチといいます。あなたを迎えに来ました」


 名前と共に足元のバッグが自分の持ち物だったことも思い出した。

 拾おうとするが、華奢な指は黒い合成革をすり抜ける。


 代わりに目の前の男が拾い、彼女の前に差し出した。


「どうぞ」


 彼から受け取ると、今度はすり抜けることなく細い腕にバッグが収まった。


 意識はそこにあった。

 肉体もなく浮かぶそれを幽霊と呼ぶのなら、おそらく私はその状態なのだろう。


 ならば目の前のこの無機質な男は、死神とでも呼べばいいのか。


「行きましょうか」

「その前に、私の体は……?」

「見たいんですか? まあ、時間はいくらでもあるのでいいでしょう」


 バッグの中を確認する。

 財布と携帯電話、そして両親と撮った家族写真が入ってる。


 私は山道を登り始めた。その先に私が死んだ場所があるはずだ。


「弟がね」


 理紗の口から、記憶がこぼれ出た。


「誘拐犯だったんですよ。小さな子供を連れ去っていたみたいで」

「はあ」


 男は抜けた返事をした。


「身代金は要求しなかったんです。『欲しいものを買ってあげたかった』なんて、わけのわからない事を言っていたみたいで」


 幼い頃はそこまで距離が出来るとは思わなかった。産まれたのだってほんの数時間の差だ。


「まだ未成年だったので、数年のお勤めをした後、実家で療養してたんです。私も偶然、偶然だと思いたいんですけど、勤務地がこちらへ移ったので。流石に住居は分けましたけど、時々様子を見に来たりもして」


 弟はだんだん内へ閉じるようになり、姉はそれを忘れるように外へ出ようとした。

 姉は警察官になった。弟の罪を埋め合わせるように。

 弟が今度こそ、道を踏み外さないように。


「なぜか署ではなく私の携帯番号に直接かかって来たんです」


 しかし。


「隣家のおばあさんから、両親と弟が血みどろになってるぞって、言われて。報告も忘れて、装備のまま行きました。ちょうど母が鍬で……父はもう息がなかったのかな、物置に入れられていて」


 彼女はこの風景に感じていた懐かしさの正体に気付いた。

 子供の頃、姉弟で虫取りをして遊んだ山を歩く。


「弟は山に向かって逃げていきました。覚えているのは、そこまでです」


 山道の闇は深く続いていた。

 どこかでフクロウが鳴いている。


「……では、夜が明ければそのご近所さん達が探しに来るかも知れませんね。ところで聞いた話なのですが」


 無機質な男はそう切り出した。


「元冒険家の老人が居ました。彼はエベレストを登頂したりジャングルでサバイバルをした若い頃の経験を、居酒屋の常連に話していたんです」

「はあ……」

「店主も客も彼の話を楽しみにしていました。ある日、彼は老衰で亡くなりました。葬儀には店主が参列しましたが、遺族と話しているとどうも食い違ってしまう。なぜだと思います?」

「わかりません」

「冒険譚はすべて作り話だったんです。その内容は彼が若い頃に憧れていた、冒険家の伝記とそっくり同じでした」


 男は顔をこちらに向け、疲れたように息を吐いた。


「まあ、記憶違いは誰にだってあります。彼にしてみればそれも、もう一つの人生と言えるんですから」


 男の話はそこで途切れた。

 私の体が見つかったからだ。


「ありましたね」


 女の体に覆いかぶさっていたのは男の体だった。

 女の顔は青痣で膨れ上がり、男の胴は折れ曲がり硬直していた。

 二つの死体は激しい格闘の跡を残し折り重なって倒れていた。

 男の頸部から流れだした血は広がり、枯れ草を染めて、乾いている。


「どうかされましたか」


「い。いえ、私、私です」


 男の喉は、彼自身の手にある鉈で掻き切られている。


「もう一度確認しますが、あなたはどちらですか」


「それは、もちろん」


 ヤマグチは枝を踏み鳴らし藪の中へと入っていく。気温のためか肉は痩せ干からびつつあるが腐敗臭は薄い。

 女の意識、霊体は、恐怖に目を見開いていた。

 それは凄惨な光景のためではない。


「私、は、山へ逃げた私を……いや違う。犯人を、弟を追って、ここまで来ていた、ん、です。もう暗くなっていて、たぶん応援を呼びながら、たぶん? 呼んだ、呼んでいたはずです。いきなり撃ってきた。銃声を聞いた途端に、カッとなって」


「銃」


 黒い拳銃は女の胴ベルトに収まったままだ。発砲された痕がない。

 その他の銃は周囲に落ちていない。


「違う。違う。撃った。私は、撃ったんです。威嚇で撃った。実の弟に向かって。何度も、ヒロキ、ヒロキと、名前を呼んだ。両親を私は……いいや違う、両親、を、あんな目にあわせて、いつも比べられて、その……」


 ヤマグチは振り返り、その無機質な目で霊体を見つめた。


「もう一度聞きます。あなたの肉体はどちらですか」


「わ、私は、私は、私は、わ、私」


 霊体の女は直立不動のまま繰り返す。言葉は続かない。同じ音節を繰り返す。


「わたし、わた、わ、わ、わた、わ、わ、わ、わ、わ、わ、わた、わ、わ、わ、わ、わ、わ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」






「俺は」






 いつしか女は、いや、『何者か』は姿を失い、ただの意識へ戻っていた。


 ヤマグチは帽子の鍔に触れ軽く首を傾げた後、その意識に語り掛けた。


「行きましょうか」

「………」


 言葉を続けられなくなった何者かは、ヤマグチに続いて、藪の中に停まる列車へと乗り込む。


 そこに死体は残っていた。

 藪を分け入る足音は遠く、いまだ死体に到達できない。


 現世の人間に見つかる時まで、二つの死体は残っている。




 了

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