Episode 5. 5回目の結婚記念日
「帰りに買い物してくるか?」
「今日は晩御飯いるの?」
「いや、今日は仕事先の人と飲むからいらないか」
……今日もか、と思ったが、努めて顔に出さないようにする。
「……そっか。今日もお仕事がんばってね。気をつけて行ってらっしゃい」
「ん、行ってくる」
出がけのキス。毎朝のルーティンだ。もっとも、ルーティンに「なってしまった」とでも言うべきか。
夫を見送った後でリビングのソファにどかっと座り込む。
結婚して早5年。特段大きな出来事もなく、ささやかながら幸せな生活を営んでいたはずだった。
ため息ひとつつくと、朝食の後片付けにかかった。
片付けも終え、
「あれ、こんなに洗濯物少なかったっけ」
洗濯は明日でもよかったかなあ、と思い放置。掃除も軽くこなしてひと息つく。
珈琲を淹れれば部屋にたちこめる香ばしさ。時計を見れば11時。今日は買い物ついでにお昼ご飯も外で食べてきちゃおうかな。
外に出るとほんのり暖かい春の陽光。細い路地を抜けた通りに残る雪も柔らかく、行き交う人の足跡が残る季節になった。
大通りに出ると車通りも多い。溶け始めた路面の雪に足を取られるのか、運転手達は存外慎重にハンドルを捌いていた。それでも車の多さのせいなのか、私はちょっとだけ気分が悪くなった。
今日は何が安いかな、どうせ私しかいないし献立は適当に決めちゃおう。
それにしても今日は結婚記念日だと言うのに、あの人は忘れてしまってるんだろうか。いいもん、一人で良い酒空けちゃうもんね。
――――――――――――
「今日、結婚してまる5年なんですよ」
「そんな日に私と飲み会なんてしてて大丈夫なの?」
「いいんです、耐えられそうになかったので」
上司――と言っても歳の差はあまり無いが――を誘って騒がしい場末の居酒屋で飲んでいる。薄いハイボールでやけにしょっぱい砂肝を流し込んだ。
「もうどのくらいになるの」
「もう少しで3年ですね」
本音を言えば思い出したくもない期間。それでも思い出は持っておきたい。
「そんなに経つならもう操を立てなくても良いでしょ」
「操を立てるのは女性ですが」
「いいの、言いたいことはわかるでしょ」
「しかしそういうわけには……」
だんっ、と生中のジョッキが机に置かれた。
「ねえ」
不意に上司が言う。
「よかったらさ、今日うちに来ない?」
少し目を伏せて恥ずかしそうにしている上司を見て、歳上ながらちょっと可愛いと思ってしまった。
「もうちょっと落ち着いて飲もうよ」
「え、あ、はい」
「なに?そんなに私と飲むの嫌?」
「い、いや、嫌というわけでもないんですが」
「じゃあ行こ」
そう言うや否や、上司はお会計をしに席を立ってしまった。
ふと思い出す。
あれ、今日お線香焚かなかったな……。
――――――――――――
すっかり夜も更けたが、あの人はまだ帰ってこない。
「まぁ、しょうがないよね」
小さな仏壇の傍に置かれた、かつての日の2人の写真がカタン、と揺れた。
ふたりのあり方 北弓やよい @yktym
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