第16話 お蝶が、お力が許さない

前記のごとく母と妹を何とか楽にしたい、更には樋口家を再興したい、又自らの歌塾を開きたいなどという強い願いがあったにも拘らず、肝心の金が、資金がなかった。偶々新聞で目にした株というものに素人の憧れから(無理もあるまいが)久佐賀を訪ねたはいいが体よく「妾になれば云々」と身体を要求されたわけである。金は欲しい、しかし妾となれば自分が常々「うもれ木」や日記に認めて来たことは一体どうなるのか。人に、いや自らに対して申し開きが立たない等等、どうにもならない強いうっ屈に沈まざるを得なかったのである。しかしそれであるならば尚更渋谷県知事閣下夫人になればいいではないかと人は思うだろうが、「埋もれ木」のお蝶が、「にごりえ」のお力がそれをさせなかったのだ。思うにそれは第三者の妾になることより辛かったのに違いない。ゆえは小説「やみ夜」に明らかだが前記二作品からもそう云う私の意は汲み取っていただけると思う。又更に他にもあった。大袈裟に云えば、であるが、一葉より以前の日本のすべての女性達が、即ち男社会に従属させられ続けて来た過去のすべての女達が、彼女に背を向けさせたのだろう。「われは女なり…」に逃げ込むのを許さなかったとも思う。本業本懐とはそういうことだ。彼女の出来の所以であり、それは真逆のカルマ共々逆らえぬほどの強い力を本人に及ぼす。樋口家の零落がなかったなら一葉の誕生はなかったことを人は思われよ。功罪含めすべての事象が、人が本懐を遂げるに於いて、あるいは必要なのかも知れない。ん?…ところで何方か何か云われたか?それならお前は直次郎か、と。さあ、どうだろうか、直次郎なら光栄だが…。

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