第15話 県知事閣下夫人になれたのに

そしてこれもようやくにしてと云うべきだろうか、この奇跡の邂逅のゆえを、彼女との仲立ちになってくれたものへの感触をうっすらと捉え始めていた。さらには聖女云々などという、彼女の小説「わかれ道」に於ける吉三の如き、彼女への押付像を悔いていた。それでは私も世の男どもと同じになってしまうではないか。日本女性斯くあるべしという押付魔どもと。それとあと二事に思いを致す。

「そは(小説を書くことは)女のすべきことか、我は女なり、女なり」という一葉が一時残した言葉と、今に残るかっての婚約者渋谷一郎との逸話である。その渋谷というのは若い頃樋口家の食客で、父が指名した一葉への許婚者、即ち入り婿になる筈の者だったが、その父正義の没落を見て婚約を解消したのだった。しかし後に県知事まで出世した彼が改めて求婚を申し出た時に(養子ではなく、である)小説家への道などに拘泥せずそれを受諾していれば彼女は女としての幸せをつかめた筈だった。もとより母お滝も常々その手のことを望み、すればその母を、また妹邦子をも楽にしてあげられたのかも知れない。しかしであるにも拘らず彼女はそうしなかった。さなぎが蝶になるのを止められないように、苦労の道、棘の道と判っていても本業本懐に生きずにはおれなかった。更に云えば彼女は身以て「もの申したかった」のだろう。即ち世に人に、彼女の今の言葉で云えば「抗いたい」、引いては「人の真の身上と本懐」を示したかったのに違いない。しかし後者については未だ霧の彼方で、今はもっぱら前者、抗いと実に強いうっ屈、それしかなかったかも知れない(そしてそれは私も全く同じだった)。

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