第7話 私はその…車夫です
「おや、腰掛けていた庭石がいつの間にか長椅子に化けて…まあ、驚きましたが、いかがですか、立ち話もなんですからちょっと座って話しませんか?先ほどの大森駅とは芝の先の、梅林で有名なあの大森駅のことですか?」「はい」とうなずいて私が腰をおろすのに合わせて自らもまた腰掛けながら、近視に特有な、眉をしかめるがごとき細目を使って、私を改めて観察するようだ。彼女の目に果して私はどう写り、且つ私をどう値踏むのだろうか。私は横ポケットの付いた作業ズボンに作業服姿、その上から安物の紺色の防寒着を着込んでいる。現代人が見るなら一目でブルーワーカーと知れようが車上生活者とまで見抜くかどうかはわからない。文字通りお互いに‘お見合い’をしながら会話は進められた。
「そう…です。新橋、品川と来て…川崎へ至る前の大森駅です」と明治の東海道線の駅順に心を致しながら私は答えた。ついでに「私はその先の横浜に下宿していました。そこでその…車夫をしていたのですが、事情があって止め、宿も払って、今は宿無しのあぶれ者です」と、聞かれもしないのに簡略な身の上まで述べてしまう。ここまで落ちぶれる前私はトラックの運転手をしており、それなら彼女の時代では車夫に近かろうと思ったのだし、横浜でのアパート住居を彼女にわかりやすく下宿と伝えたのである。誰に対しても飾るのは嫌だったし(もっとも飾りようもないが)まして相手が心酔する一葉ならなおさらだった。すさんだ倒錯心理のなせるわざと云えなくもないが、しかし誰かよく信ずるものの前で虚飾に走るだろうか。むしろ有体にみずからをさらけ出し、理解を賜らんとするのではないだろうか。
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