28. それへの道
「ねえ、累。まだご両親と連絡取れてないでしょ」
このタイミングでなんの話かと怪訝そうに墨馬に振り向く。そんな事今は関係ないと言いたげだった。
「怪異対策局で監禁状態にあるとみていい。あの
牟婁島の名前を聞いた途端、蘆屋の顔が青ざめる。蘆屋にとって聞きたいくない名前なのだろうか。
「は? なんで?」
明らかに動揺する蘆屋を初めて見た。いつも透かして余裕をかました態度の蘆屋が焦り出す。その空気感に陽平たちも異常を察知する。
「二日前ここに来た。それでちょっと鎌をかけてみた」
今の会話には入らない方がいいのだろう。陽平も美陽も同じ考えだった故に傍観をきめこむ。
「牟婁島は累を人質にご両親を脅しているのだろうね。累に鬼を産むよう仕向けさせれば、累の安全は保障するだとか、そんなところじゃないかな」
「は? なんだよそれ。ふざけんなよ! 俺をいいように弄んで、飼い殺して、解放する代わりに最後の頼みだって。だから親もアイツに協力するって」
取り乱した蘆屋が墨馬に縋る。墨馬に触れようとした指先は震えていただろうか。
幼いころに神童と呼ばれもてはやされた蘆屋。大人たちに囲まれ育ち、幼いながらに驕傲とも取れる態度で周りに壁を作っていた蘆屋。しかしそれは蘆屋が語ったこと。周りの人間にそう見えていた事実。しかし本人の中にある真実は違うものなのではないか。今の蘆屋からはそう感じざるをえなかった。
陽平の救いが美陽だったように、また蘆屋の救いが墨馬なのではないか。
「そんなヤバイ人なんですか、牟婁島って」
項垂れる蘆屋をよそに美陽が切り込んだ。
「そうだね。僕の姉の話は聞いたかな。姉を鬼にしたのも、扱いきれなくなって手を下したのも牟婁島だよ」
後は蘆屋の状態でだいたいは把握出来た。
「累、ご両親の解放は約束する。だから美陽君に手を貸してあげてほしい。何があっても累を救うのが僕の宿命だって。そう決めてるから」
蘆屋の、何て情けない顔だろう。怯えか怒りか苦しみか。自負と卑しめがなければ蘆屋は自己肯定を保ってこられなかったのではないか。
「なんで、なんで鬼に助けられなあかんねん。鬼を救うのは俺やろ。香住はずっと俺に縋ってればええねん。この先ずっとずっとずっと、一生」
「分かった。分かってる。僕はそれでいいから」
どれだけどやされようが墨馬が蘆屋を見る瞳の色は変わらない。
目の前の二人を見て陽平は思った。
ねえ、墨馬さん。前に俺に言った言葉、そのままお返しします。貴方と俺は同じです。
そんなことはあえて言う言葉ではない。他人から見たものなんてのは、すべて幻なのだ。
「蘆屋が協力してくれたら、心強いやん」
時にあっけらかんと明るい言葉は力を持つ。陽平に向いた三つの目に宿る思惑はそれぞれ違っている。だが今は一所に集まっている。
「美陽君、鬼ってのはね一生体から落ちることはない。だから僕は累の加持がなければ人として生きてはいけない。美陽君は半分は人、半分は鬼の状態。君もこれからは加持によって今の状態を保っていかなくてはいけない」
「それでも、その牟婁島って人に実験台にされるよりは蘆屋に頼る方がマシみたいですね」
悲しいほどに美陽が冷静に事態を飲み込む。「ヒドイいい草やなあ」と蘆屋が口を尖らせた。
「美陽君の状態なら蘆屋じゃなくてもオニモチなら加持できると思うし、未来の可能性はあるよ」
大丈夫だと向けられた笑顔を素直に喜べない。じゃあ、墨馬と蘆屋はどうなる。ずっと鬼に縛られ、人生を制限され生きていかなくてはいけないのか。さきほどの墨馬と蘆屋の会話を美陽が思い出す。そういうことかと、納得できない頭でも事態を押し込め納得せざるを得ない。
「最近はハルの体も良くなってるみたいで、天気が荒れることもないし。やっぱり沼に近づかんくなったおかげ? 鬼になるのは止まってるんかな?」
蘆屋を責めようだとか、今の陽平にそんな考えはない。だからこそ蘆屋は気まずさを感じずにはいられない。伏せられた目には後ろめたさもあるのだろうか。
「ああ、それはね。僕が累に頼んだ。沼に術をかけてその因果を弱くしてもらった。だから美陽君のなかの鬼も大人しくなってるのかも」
「おいっ」と蘆屋が焦った顔で墨馬の話を遮る。「あ、言わない約束だった」と墨馬がわざとらしくごまかすと、蘆屋の盛大な舌打ちが部屋に響いた。
「すげええやん蘆屋! マジでなんでも出来るんな!」
身を乗り出しキラキラした目で蘆屋を見れば、キラキラに当てられた蘆屋が耳を赤くし「は!?」と虚勢を張る。
「そんな目で見んな。後ろの蛇が睨んできて怖いやろうが」
「失礼な。俺だって感心してるんやけど」
美陽がむっとした顔になるとふいっと顔をそむける。
「ありがとうな!」
きっと言えないでいる美陽の代わりに陽平が代弁した。
陽平には分かった気がした。墨馬が蘆屋の家の事情をあえて話したのも、蘆屋を
「じゃあ今後は美陽君も累の加持を受けて。日にちはまた連絡するから」
面白くなさそうな顔をする蘆屋が美陽には気にかかった。
「いいのか、蘆屋?」
「別に、それは構わんよ。美陽くんは状態も軽いし、一人増えたところで負担にはならん」
「蘆屋ああああ」と陽平がまるで飛びついて来る犬のように叫ぶ。しっぽを振っているのが見えるかのようだ。そして乗り出した身を墨馬へと向ける。
「これで、蘆屋の親のことも解決してくれるんですよね?」
忘れていなかったのかと蘆屋の目が驚いている。
「うん。それは大丈夫。ただ――」
墨馬の漆黒の瞳孔が美陽を見据える。陽平と蘆屋にも張りつめた空気が伝わる。美陽は動揺する事なく墨馬の言葉を待っていた。
「もう一度だけ耐えてほしい。明日一日。それで終わらせる」
一気に渇きだした喉を潤すように生唾を飲み込む。嵐が来る予感がした。しかしそれで方が付くのだと墨馬は断言した。
「陽平君は美陽君の傍にいてあげて」
それだけ言うと墨馬がゆっくりと席を立つ。すでに日は傾き、窓の外は薄暗くなっていた。陽の刺さなくなった窓を背に、墨馬が立ち上がる。黒くもやもやとした決意が、重苦しく何かを背負わせようとしている。そんな墨馬の姿に、陽平たちは任せることしか出来ないのだろうと察した。
墨馬が玄関まで三人を見送る。「すっかり暗くなっちゃったね」と墨馬が言う。
「ご飯食べてってくれていいのに」
「いえ、まだ人と食べるのは怖いので」
美陽がぺこりと頭を下げる。
「そういえばやっぱり俺がハルと飯食っても平気なのって……」
「鬼について確かなことなんて分からないけど、やっぱり心は残っているんだと思うよ。元の人の心」
「そっか」と短く返した陽平は、その答えで納得が出来たらしい。蘆屋は興味なさそうに明後日の方を向いている。
「行こ、ハル」
左手を差し出せば、美陽が右手を伸ばす。その手を取り歩き出す。
「陽平君」
階段の上から墨馬が呼び止める。陽平につられて美陽も振り返った。
「心配しなくても美陽君はちゃんと君のことを必要としてると思うよ」
首を傾げたまま美陽が陽平を見る。下から煽った陽平の顎のラインはこんなにも雄々しかっただろうか。その顔が携えた瞳は力強くまっすぐに墨馬を捕えている。
「知ってます」
それだけ答えると再び前を向き美陽の手を引いた。「なんのこと」と問う美陽に曖昧な返事をする。マウント取られちゃったなと墨馬が苦笑した。
二人の背中が小さくなって、ようやく蘆屋も階段に足を掛けた。
「累」
今度は蘆屋を呼び止める声が聞こえる。こちらは呼び止められる事が分かっていたように頭を搔きながら墨馬に向き直る。
「嫌やなあ。なんか嫌な予感するわ」
片目を薄く瞑り、もう片方の目で墨馬を見る。墨馬は柔らかい表情のまま蘆屋を見ている。
「美陽君の加持をする前に、一つだけお願い」
「なあ香住。美陽くんの加持すんのはええねん。でもあんな香住の姿を誰かに見られんのはめっちゃ嫌」
ぱちくりと墨馬の目が瞬いている。
「お前がどんな格好になろうが、何になろうが、何を犯そうが、それは俺だけが知ってたらええ。そうやろ?」
本当に甘えん坊で独占欲の強い子どものようだ。思わずふふっと墨馬が吹きだす。
「累は、可愛いね」
「は!?」とつい大声をあげる。骨格もしっかりし筋肉もついた。身長も墨馬を越した。声も低くなった。話についていけるよう勉強もした。なのにまだ墨馬は肩を並べてくれないのかと悔しくなる。
「明日は、俺もずっと傍におるからな」
「泊っていく?」と何の気なしに聞けば、蘆屋の眉間に深いしわが寄り不機嫌になる。
「アホか。こっちは明日の準備があんねん。帰っていろいろ支度する」
「じゃあ、頼んだよ」と笑う顔は柔らかく、ふやけて、まるでふわふわの綿帽子のよう。こんな人が鬼だなんて、蘆屋でさえも信じられないと思う。「じゃあ」とそっけなく手をあげると背を向け階段を下っていく。
ふうと息を吐いた墨馬の瞳には、慈悲と無情が入り交じっていた。
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