27. 来訪者

 墨馬すまが顔をあげると、そこにはパンパンに張らした高級そうなスーツを纏った男が手をあげこちらに向かって来ていた。境内の外の道路には黒塗りの高級車が停まっている。

「なんであなたが!?」

 思わず墨馬が一歩足を引く。そんな事は気にかけず中年男性が距離を詰めて来た。

牟婁島むろしまさんが連絡もなくお越しになるなんて」

 牟婁島と呼ばれた男が境内を満足そうに見回す。

「いやあ、いつ来ても相変わらずの田舎だけどいいところだねえ」

 「はあ」と相槌を打つ墨馬はいい顔をしない。

「いやねえ、鬼がねえ、産まれそうって聞いてねえ」

 ぴくりと墨馬の聞く耳が動く。その表情にやっぱりと目を細めた牟婁島がニヤぁと笑う。

「困るよぉ墨馬君。報告を怠ってくれてはあ」

「すみません。確証がなく」

 「思ったより早かったな」と心の中で墨馬が呟く。

「ええ、そうなのお!? 蘆屋君からはもう三ヵ月も前に話聞いてたんだけど」

 ニヤつく顔に嫌悪を抱く。それでも表には出さないよう丁重にふるまった。

「蘆屋ご夫妻はお元気で?」

 その話題に触れられるとニヤけていた顔が歪んだ。

「ああ!? そんな話はどうでもいいんだよ。鬼が産まれたなら俺らが監察保護しなきゃだろお!?」

 探られたくない腹を探られれば攻撃的になりはぐらかす。牟婁島の性格は長年の付き合いで把握している。

「そうですね。牟婁島さんは責任感がお強いですから。怪異対策局長としての責務でしょうか。御立派です」

「うんうん、そうなんだよなあ。大変なんだよこの局はさあ。表立って動くこともままならん上に功績も表に出ることはない。請け負う器量があるヤツは私くらいだ」

 反対に褒めておだてては機嫌を取る常套手段。

「それで、例の子供は?」

「今は夏休みも終わったので学校でしょう。未だ鬼のことや怪異対策局の事は知りません。脅かさぬよう丁寧に行きませんと」

「そうだな。だが私も忙しい。数日しかこっちに滞在できんから、事は早く進める」

 「分かりました」と墨馬が頭を下げる。

「お前もこれからが使い道だ。せいぜい奉仕したまえよ。まさか私から逃げられるなんて思わんことだな」

 「いえそんな」としずしずと頭を下げる墨馬をがははと下品に笑い飛ばす。

「君らが人に逆らうことなど出来んのだから。そうそう、今度は茶くらい出してくれよ」

「これは失礼いたしました」

 墨馬が頭を下げたまま受け応える。

「いやいや、いいんだ。久しぶりに会えてよかった。まあ、これからはずっと私の元だがな」

 牟婁島が手をあげると機嫌よく立ち去っていく。

「こちらこそ、貴方に来ていただけて好都合」

 聞こえないほどの声で墨馬がその背中に言い放った。



 二学期が始まると、不思議と好天が続いていた。ただ晴れた日が続いている事をと感じているのは陽平と美陽くらいだろう。学校の帰りに駅に降り立つと、高々とあげた手をこちらに向けぶんぶんと振っている陽平の姿が見えた。

「ハルー! おかえり!」

 相変わらず元気な陽平に呆れつつも、その顔を見られて嬉しかった。

「また待ってたんか? 一回帰ったらいいやん」

「天気いいし、昼寝しながら待ってた」

「勉強しとけよ」

 いつもの調子、いつもの会話をしながら歩き出す。その足は青葉台へと向いていたが、目的地はそこではなかった。青葉台を通り過ぎたその先、積祈つみき神社に二人が向かう。

「あいつは?」

「同じ電車やったけど、先行った。待ってるんとちゃう?」

 「そうか」と美陽が小さく返事をする。墨馬と蘆屋の関係性を知った今、蘆屋が先に向かっていたとしてもなんの不思議はない。あの二人も陽平たちと同じだけの時間を共にしてきたのだ。

 積祈神社に着くと、階段の下に蘆屋はいた。てっきり社務所で待っているとばかり思っていた二人が顔を見合わせる。

「おつかれー! よく誘ってくれたやん。嫌われてるんかと思ったけど」

「おーおー、嫌いは嫌いや。でもハルのためなら話しくらいするわ」

 つんけんと受け答えする陽平をやはり楽しそうにする。

「中に入ってなかったん? 墨馬さんは?」

 階段をのぼりながら話す美陽に蘆屋が振り向く。

「香住? いるで」

 以前なら「じゃあなぜ外で待っていたのか」と疑問に思っていただろう。しかしこの短い期間でだいぶと蘆屋の事がつかめて来た。蘆屋は墨馬に甘えている。普段の横柄で高圧的な態度は、単に不器用なのだ。そして、たぶん蘆屋は墨馬に叱られた。理由は知らないが、ただそれだけ。二人きりになるのが気まずいなんて、子どもじみているが、蘆屋は墨馬の前では子どもなのだ。そしてこういうところが美陽も陽平も蘆屋を憎みきれないカラクリなのだ。

 社務所のチャイムを鳴らすと墨馬が三人を出迎える。いつもなら我が物顔でずかずかと入っていく蘆屋が陽平たちの後ろに並んでいる。

「わざわざありがとう。上がって」

 墨馬が促すと「お邪魔します!」と陽平が元気に部屋に上がる。陽平と美陽が先に行ったところで、最後に大人しく着いて来た蘆屋と目が合った。しょうのない子だと眉をひそめれば蘆屋がふてくされた態度で墨馬の前を通り過ぎた。

 四人がテーブルを囲み座る。墨馬の席の横には蘆屋。蘆屋の前に陽平と美陽が座った。

 「オレンジジュースでいい?」と墨馬が問うと、「お茶」とぶっきらぼうに蘆屋が答える。頬杖を突きそっぽを向いたままの蘆屋に「そうだったね」と墨馬が優しく返す。その様子をあんぐりと口を開けたまま見ていた美陽と陽平に「なんやねん」と蘆屋が楯突いた。飲み物を持ってくるとようやく墨馬も落ち着いてテーブルに腰掛けた。

「で、なんで三人で押し掛けて来たの?」

「いや、蘆屋は俺が誘いました。ハルと相談して」

 「そっか」と墨馬が目の前のコップに視線を落とす。氷の入った麦茶に自分の目元がうつる。

「僕もね、ちょうど累に話があったし、陽平君と美陽君にも知ってもらった方がいいと思ってたから」

 墨馬の言葉に「え」と蘆屋が短い声をあげる。


「まずは君たちの話から聞こうか」

 墨馬の穏やかな空気感が陽平の逸った気持ちを落ち着かせる。蘆屋はまだ顔をそむけたままだった。

「この前墨馬さんと話した時に、ハルが鬼になることが心配じゃないのかと訊かれました。心配です。心配じゃないはずはありません。だったら、そんなことを訊くなら、教えてください。ハルを助ける方法を。墨馬さんだけじゃ無理なら蘆屋も」

 澄ましたままの蘆屋にも声は届いているはずだ。知っているのに口を開かないのは、墨馬が口を割るまで待っているから。そんな風に思えた。

「なあ、蘆屋もそろそろ話してや。隠してる事あんねやろ?」

 ふっと蘆屋が鼻で笑う。もうその態度には慣れた。今更鼻につくこともない。

「なんで蘆屋は組織の言いなりになってるん。親の仕事のため? オニモチの家系やから? それとも、他に何か理由があるん?」

 蘆屋がようやく陽平の方に顔を向けた。

「だって、気になるやん。俺が初めて鬼に出会って10年。あれ以来オニモチの知識、加持、呪法、いろーんな事叩き込まれて使役されて。それで初めて見られるんやで? 鬼が産まれる瞬間。見たいやん」

 だんだんと興奮気味になるとテーブルに身を乗り出す。その顔には愉悦が浮かび上がる。そんな蘆屋に拒否反応を示したのか、美陽の眉間にしわが寄る。陽平はその狂った考えを前に理解に苦しみ言葉を失くす。しかし墨馬だけは表情を変えない。蘆屋の本心がどこにあるかを唯一知っていた。

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