24. 墨馬香住
累が初めて鬼と遭遇したのは3歳の時だった。両親の仕事の都合で各地を転々としていた蘆屋家が、ある村に滞在していた時の事。突然累が一人の村人を指さし「鬼だ」と言い放った。術を施してもオニモチが誰も気付けないでいた中、幼い累がそれを言い当てた。その村人を神事にかければ鬼が姿を現した。捕らえれば村で起こっていた行方不明事件や天災などの事故が止んだ。そんな累に目を付けたのが怪異対策局だった。彼らは蘆屋家を買い、そして飼った。欲しかったのは累の力。
呪術秘法を教え込めば、累の力は頭角を現した。鬼を引き出すも強制するも自由自在。鬼を調伏させるにとどまらず、力の使い方を変えれば曲事にも加担できる。幼子を飼いならすなど、大人からすれば簡単な事だった。
そして累はこの地へ寄こされた。鬼とともに。7年前に。
鬼を孕んだだけならオニモチの術で鬼化を抑えることはできる。しかし完全な鬼となってしまえば別だ。もはや手が出せない。自我をなくせば実験材料にもならない。傍に置いておけば災いが降りかかる。処分の対象だ。だがこの地には鬼が必要だった。鬼でありながら人として生きていける存在が必要だった。幾度と試行錯誤をしては失敗していたが、ようやく鬼と累というピースが揃った。これは実験の一つなのだ。
僕はいい。これでいい。だけど、累には普通の人として生きてほしい。こんな醜悪な大人たちとは関わり合うことのない、明るい世界で。そう願っているのに僕は――。
累に普通をあげることが、出来ない。
蘆屋の前には組みあがった護摩が炎に包まれ燃え上がっている。ぱちぱちと音を立て火の粉が飛び散る。どれだけ火が降り注ごうとも事とせず、
その時、蘆屋の背後でばたりと大きな音がする。顔を歪めたままの蘆屋は振り返ることなくため息のような息を吐く。
「ちゃんと座ってなあかんやん」
蘆屋の後ろで倒れ込んだ墨馬が苦しそうに息を荒げる。護摩木を積み上げ直しながら蘆屋が背後の様子を伺う。しかし起き上がろうとする墨馬の腕に力が入らない。すると蘆屋が立ち上がり墨馬の元へ近づいていく。ぐったりする墨馬の胸ぐらを掴むと無理やり引き起こした。
「香住、何してるん」
「も、無理。くるしっ――」
墨馬を掴んだまま蘆屋が顔を近づける。半立ち状態で目を開けることも出来ない墨馬を見下ろすと、墨馬の顔面にぽたぽたと蘆屋の汗がしたたり落ちた。
「無理とちゃうやろ。なあ、香住。ちゃんと出来るやろ。いつも一人で出来てるやん。俺が誰のためにやってると思ってるん。手間かけさせんなや」
ぱっと手を離すと墨馬がへなへなとその場に座り込む。再び蘆屋が護摩壇の前に座ると一層強く誦文を唱え炎に手をあてがう。今まで以上に炎が燃え上がり天井に届くかというところで炭と化した形代がぼろぼろと形を崩し、炎の中に消えていった。形代が無くなると共に墨馬が意識を失ったように再びばたりとその場に倒れた。
火消しを行い、装束の袖で顔の汗を拭く。部屋のドアを開けて換気をすると籠っていた熱が一気に外へと流れ出る。その代わりひんやりとした風の帯が部屋の中を泳ぎだす。未だに目をつむったまま起きない墨馬に学ランをかけてやる。顔にかかった髪をかき上げてやると、墨馬の眉間に入っていた力が抜けていく。
「よう頑張った」
先ほどの剣幕とは一転、蘆屋が甘えた顔になる。傍に座るとその寝顔をじっと見つめた。
蘆屋が積祈神社を後にする。階段を下っていると陽平が歩いて来るのが見えた。ニカっと嬉しそうに笑うと陽平に駆け寄る。陽平が珍しく着崩した蘆屋の制服姿を不思議がっている。
「ここでよう会うなあ」
「別にお前に会いたいわけじゃない」
つれないなあと蘆屋が肩をすくめる。
「香住に用あるんやったら今度にしたって。今会える状態やないから」
どういうことかと陽平が顔をしかめる。
「話なら俺が聞いたるやん。何? どうしたん? 美陽くんのこと?」
「お前に用ないって。墨馬さんと話したい」
まあまあと蘆屋が陽平の腰に手を回すと回れ右をする。「おい」と反抗する陽平を連れ、神社と反対方向へ歩き出した。
積祈神社から離れ、陽平が連れて来られたのは小学校。運動場の端にある遊具へと蘆屋が向かう。どういうつもりか分からないまま陽平がその後を大人しくついて歩いた。
カラフルなタイヤたちが半分顔を出した遊具、登り棒、ブランコとその隣にはジャングルジムが並んでいる。青葉台にあるジャングルジムとは違い、朱色と青が鮮やかに映えていた。その中で蘆屋はブランコを選び、その一つに腰掛ける。高校生には小さすぎるそれは、座れば椅子にもならない程に低い。それでも前後に動かし蘆屋が遊ぶ。無邪気に見えるその姿に悪意は感じられず、仕方なくその隣のブランコに腰掛けた。
「ちっさあて漕がれへんな」
こうしていると蘆屋とは普通の友達にもなれたのではないかと思ってしまう。蘆屋はどうして美陽が鬼になることを止めなかったのか、むしろ鬼にしようと仕向けたのか、まだ聞いていなかった。
「なあ、蘆屋さ」
「陽平くんは誰を信じればいいと思っとる?」
いきなりの質問に陽平が戸惑う。その言い草が陽平の思考を惑わす。蘆屋が察していたように、陽平にはすぐにその答えが出せなかった。
「まだ香住を信じとるん?」
「それは……だって、墨馬さんは」
「じゃあ教えたるわ。あいつの本当の正体。それはな――」
「鬼や」
足立がぽつりとつぶやいた。向かいに座っている美陽が「えっ」と漏らしたまま固まっている。足立に会いに来たのは墨馬の事を訊きたかったからだ。積祈神社で墨馬に声を掛けてもらった時、なぜか違和感を感じた。蘆屋とは違う意味で、得体の知れない影を感じた。蘆屋と繋がりがある事が分かると、余計にそのいかがわしさが増した。
「えっと、それはどういう意味ですか?」
「そのままや。墨馬香住は鬼を孕み、産み落とした。その中身は鬼となっとる。もう人やない」
「でも、今でも普通に神主として生活していますよね」
「せやな。累君がおるおかげでな」
道理としは理解できる。もし墨馬が鬼を孕んだとして、それが進行して墨馬の体を鬼が蝕んだとする。そしてそこに蘆屋というオニモチが術を施し鬼を抑えることは可能なのかもしれない。しかしそれで人として生活できるまでになるのだろうか。それが出来るなら、オニモチさえいれば鬼にそれほど恐れる必要はないのではないだろうか。
「分かるよ。あんたの考えとること。でも累くんは特別なんよ」
「特別って、何が」
「あの子は小さい時から神童や言われてね。本人は親や組織の役に立ててるのが嬉しかったのかもしれんけど。私らはずっと見て来たから分かってるんよ。あの子は国に利用されとる」
「すみません、話がみえなくて」
「そうやね」と足立が困ったように笑う。そして蘆屋の生い立ちを話し始めた。初めて聞く話に困惑している美陽に、さらに足立は話を進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます