第三章

21. 種明かし

 小山の祠は参拝者に背を向けて建っているわけではない。祠の向く方向、そして積祈つみき神社が向く方向、それぞれから直線を引っ張ると、それらは厳霊山いかちやまで交わった。

 大洪水で厳霊山の神社が流された。祀り納めるものがなくなると、鬼の根源となる怨念は山にとどまれなくなった。流れ出た鬼を再び封印するために、厳霊山の擬態として小山が造られ、その上に祠が建てられた。そして鬼を祀る母体として、積祈神社が建てられる。当初厳霊山にあった神社ほどの力はない。しかし祠に儀という縛りを設け、積祈神社に祀りという役割を担わすことによってなんとか鬼を抑え込んできた。

 それも代々積祈神社を守ってきたオニモチのおかげだと足立は言う。そしてその役目を今は墨馬すまが負っていた。


「この地で鬼が産まれるっていうのは、本当でいいんですか?」

 食い気味に陽平が尋ねる。陽平と美陽、そして足立は積祈神社の社務所にいた。墨馬の住居にもなっている社務所。リビングに通され、テーブルには三人と、そして墨馬が座っている。

「ここだけじゃないよ。日本各地、どこにでも鬼の生まれる地は存在する。でもどこも今じゃ鬼を抑える呪法も確立されているし、それぞれオニモチのように守り役もいる。鬼が産まれたなんて事例、ほとんど聞かないけどね」

「それじゃあ、俺はたまたまクダショウの儀を行ってしまい、鬼を孕んだってことですか?」

 「そうだね」と返した墨馬は残念そうに肩を落とし目を伏せる。そんな墨馬に諦めまいと食らいついたのが陽平だった。

「でも、鬼は落とせるって。蘆屋が言ってるのは本当でしょ!? 山地泉の法っていうの教えてもらったけど、これが嘘だっただけで」

 蘆屋の名前を聞いた墨馬が苦い顔をする。足立もふいっと視線を逸らした。

「あの子が二人に教えたことは全てが嘘ではなくて、むしろほとんどは本当。でも重要なところだけが嘘」

 希望の光を纏った陽平の瞳がすぐにくすむ。しかし当の本人である美陽は冷静なままだった。

「どの部分が嘘なんですか?」

 墨馬の目がウロウロっと動いた。美陽が一言一句を逃すまいとじっと見つめる。

「一度人が孕んだ鬼は落ちることはないんだよ。本来ならば組織機関に連絡、保護、監察下に置かれ一生をすごす。ごめん、保護というのも都合のいい言葉で、本当は監禁に近いかな」

 「監禁……」と陽平がつぶやく。困惑している陽平を美陽がちらっと横目に見た。

「じゃあ、蘆屋が言っていた山地泉の法というのもデタラメですか?」

「いや、うん、そういう呪法があるのは本当。でもこれは鬼を落とすための考え方じゃない。鬼は山で産まれ地で育ち、黄泉で。泉とは黄泉のことで、異界と現界が繋がる場所。孕む人はなおさら近づいてはいけない場所。でもそういう縛りは逆をつけば、その手順さえ踏まなければ封印という術に変わる」

 「おいおい」と陽平が腰を浮かせる。

「そんな危険な場所、なんで封鎖してないん。青葉台の山もそうやし、あの沼もそうやし」

「祠と沼は鬼を封じるため、外に出さないための呪法であって、人の侵入を禁じる場所ではない。禁じることはよけいな憶測を呼び、過剰な興味をそそる。祠に生贄をささげるなんて、いたずらでもしようなんて人はいないでしょ。ただ、美陽君のような例を想定してなかった。これは本当に残念としか言いようがなくて」

 部屋の中が静まり返る。

 小学校が隣接している積祈神社は子供たちの遊び場には最適だった。今は夏休みの昼過ぎ。窓越しに可愛らしい声が聞こえてくる。鬼ごっこでもしているのか、社務所の前を子供たちが走り抜けていく。楽しそうな声と砂利を踏みつけていく音が通り過ぎ、遠くなる。あんな年のころは、まさかこんな事態になるとは想像もしていなかった。

蘆屋あしやは、俺らをだましてハルを鬼にしようとしたん? それは、なんで?」

「それは……僕から、訊いてみるよ」

 墨馬は蘆屋の名前がでると毎回言葉を詰まらせる。煮え切らず、すぐには答えを出さない。美陽はそう感じていた。

「墨馬さんは積祈神社の神職をしていて、蘆屋は鬼に関する儀に携わっている。二人は知り合いなんですか? どういう関係性なんですか?」

 「鋭いな」と口先でつぶやくと、後の言葉を再び押し込める。

「累はまだ子供だから、あの子もすべてを知らないと思うんだ。オニモチは鬼を産むこともできるし、鬼を強制させることもできる。今では各地に点在して鬼を監視、処置するのが役割になってるから。累もそういう家系で育ったから、きっと興味を持ってしまったんじゃないかな」

「そうなんですか? 蘆屋って子供なんですか?」

 「何かを隠してますか?」と美陽の言葉の裏が墨馬を責める。蛇が獲物に的を定めた目。瞳孔がきゅっと縦長に縮み、一点だけを狙う目。墨馬はついに美陽と目が合わせられなくなる。まるでサッと血液が巡回を止めたような感覚に陥る。

「蘆屋だって子供やろ。俺らだってまだ子供やし」

 暗がりの部屋にパンと明かりが灯ったように、陽平の声がその場の空気を変えた。「いいところだったのに」と美陽が肩を落としたが、陽平を責めようとはしなかった。「だろ?」と問いかける陽平の顔に、美陽の眉が下がる。先日は自分のことを大人だと言っていたのに、本当に陽平は調子がいい。今でもキョトンとしている陽平を羨ましく思う。

「なあ墨馬さん、それじゃあハルが鬼になるのはもう止められないん?」

「いやそれは。蘆屋家にも相談したいところだけど、今は家を空けてるって聞くし」

「だけど、一昨日だってハルは! 急いでどうにかしないとって、ここに来たのに」

 興奮しだす陽平をなだめたのは美陽だった。ぽんぽんと身体を叩いてやると悲しそうにしながらも落ち着つきを取り戻す。美陽が墨馬に向き直った。

「蘆屋では無理なんですか?」

「うんまあ。さっきも言ったけど、あの子だってまだ16歳の子供だし。君たちもだけど」

 「でも!」と陽平が声をあげる。足立は先ほどから一言も口を挟まない。墨馬に従って動くだけの存在なのだろうか。それとも祠を守る事以外は専門外なのだろうか。

「どうにか方法は考えるから。なんとか考えてみるから」

「美陽君、あんたはまだちゃんと意識もしっかりしとる。まだ美陽君という自我はある。うちもあんたを引き渡したくないと思った。だから墨馬さんに相談した。一度、墨馬さんに任せてみるしかないやろ」

 ようやく足立が口を開く。納得のいかない陽平の焦りが隣から伝わる。

「なら、今現在少しでも出来ることはありますか?」

「沼の近くにはもういかないで。あと祠にも。さっきも言ったけど、オニモチは鬼を強制する術も持ってる。ただ組織とも繋がってる。慎重に迅速に動いてみるから」

 それしか方法はなさそうだと美陽が陽平に目配せする。陽平を安心させるように、穏やかに、少しだけ笑って見せる。困ったように笑う美陽に対し、どんな表情をすればいいか分からない。昨日美陽がみせた屈託のない笑顔を思い出す。美陽には笑っていてもらわなければ困る。だから陽平自身が落ち込んでいてはいけない。

「分かった。難しいことは墨馬さんに任せよう。俺はハルの傍にいる。何かあればすぐに墨馬さんに連絡する。だからハルは安心してていいからな」

 小さい頃、敵の前に立ちはだかり美陽を守らんとしていた陽平の背中が目に浮かぶ。本当はビビってるくせに、不安なくせに、そんな顔を見せないために美陽に背中を向けていたくせに。変わってないなと美陽が思う。そしてそれが嬉しかった。

「墨馬さんはさ、なんでハルを助けたいと思ってくれたん? 一応、ハルみたいな人を見つけたら組織に連絡して渡すのも仕事のうちやんね?」

 たしかにそれは美陽も疑問に思っていた。いくら足立が頼んできたとはいえ、組織やオニモチとのパイプ役でもあるのではないのか。

 陽平に問われた墨馬の目元が陰る。墨馬の考えている事、誰の為に動こうとしているのかを読み取ることができない。印象はとても親切で優しい人のはずなのに、それを証明できない。

「僕たちのもう一つの仕事はね、人から鬼を守ることなんだよ」

 さきほどまで鬼から人を守る話をしていたのに、いきなり真逆の事を言われどういうことかすぐには理解できなかった。

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