20. 騙し者
階段からではなく、獣道から上がってきたのか。つかつかと向かってくる老婆にひるみ、祠の前を空けるように後ずさる。
「あの、おばあちゃん。もしかして祠の」
掃除をしているのかと聞く前に持っていたバケツからぞうきんを取り出し拭き掃除を始める。やはりこの祠を守っている人がいたのだ。陽平は彼女に会いたかった。ずっと待っていた。美陽が昔に出会ったと言った老婆を探していた。
「ねえ、これってどういう意味?」
陽平が持っていた紙を差し出す。それをチラリとみた老婆は興味なさそうに掃除を続けた。
「あんた、この辺の子か?」
「この辺もなにも、青葉台に住んでる」
答えを聞いた老婆はそれ以上会話を続ける気配はない。
「おばあちゃんはずっと祠の世話しとんの? この祠って何を祀ってるん? どうして階段に背を向けて建ってるん? ねえ、知っとる?」
拭き掃除が終わるとほうきで屋根に落ちた葉っぱや枝を掃っていく。高い場所は老婆が背伸びしても届かない。陽平が老婆からほうきを取り上げる。驚いた老婆をよそに屋根の掃除を始めた。
「昔から建っとるで知らん」
老婆がぽつりと言い放つ。
「だあれも掃除もせんかったら罰が当たるやろ。そこ下ったとこが私の家や。罰当たりは嫌やからな。掃除しに来てるだけや」
「じゃあ、祠の意味は知らない?」
「さあな」
「この紙に書かれてることも?」
「勝手に取り出して、最近の子は」
「じゃあ――」
先ほどまでの馴れ馴れしい口ぶりが突然真剣みを帯びたのを老婆が感じ取る。
「じゃあ、6年くらい前、猫を預けに来た男の子は?」
雑巾を片付ける老婆の手が止まる。
「俺は、いろいろと教えてもらう必要がある」
迷いのない陽平の顔を見ると、老婆がため息をついた。
「そこに住んでる足立トシ子や」
足立が獣道を下ったふもとの方を指さす。そこにはとても立派な家が建っていた。昔からある家だとすぐに分かる。白い塗装と黒瓦の数寄屋門の向こう側には庭があるのだろう。塀の上からは松の木が見えていた。もちろん家の存在は知っていたが、住人に会うのは初めてだった。
「あんたは?」
「
「そうか……」
「ここで俺たちが行ったのはクダショウの儀だと聞いた。それがハルに鬼を孕ました事も」
そこまで知っていたのかと足立が驚く。
「なんでそんな事を知っとる。あんたそれ、誰から聞いた」
「蘆屋。
その名前を聞き、足立が深く息を吐く。どうしたものかと視線が地面をうろうろと彷徨う。
「足立さんも、何か知ってるん? ハルがどんどん悪くなってて。昨日も――」
足立が昨晩の豪雨を思い出す。そういう事かと何度か頷いた。
「ハル君言うんか? あんたの友達。一度うちにおいでなさい。あんまり状況は良うない」
「分かった」と陽平が頷く。足立の態度で、蘆屋の言う事に偽りがあるのではと想像がついた。
今朝がたの事を美陽に話す。まだ具合が悪いのか、美陽は布団にもぐったまま陽平の話を聞いていた。
「一人でそんな事してたんか」
「ごめん。ハルを山に連れてくのはリスクあるやろ?」
「怒ってるんじゃなくて、感心してんねん」
蘆屋についてどこで疑いをもったのか美陽には分からない。陽平は人に悪などないと、そんな風に考えているものだと思っていた。そんな陽平がヒーローのようだとずっと思っていた。でも実際は、ヒーローをしていたのは美陽に対してだけなのかもしれない。本当の陽平はどんな人間なのか、美陽は知らないのかもしれない。鬼とは関係ない事を考え難しい顔になる。
すると突然美陽が被っていた布団がもぞもぞと動く。
「え、ヨウ何してるん」
ベッドへと侵入してきた陽平に押され、美陽が端に追いやられる。
「俺全然寝てなくて……結構、限界……」
「自分の布団で寝ろって」
「ふふ……ハルのベッド、気持ちええな……」
「おい、おまっ」
声をかけようとしたが、すでにすうすうと寝息が聞こえていた。陽平の髪からほんのりと雨のにおいがする。ぼさぼさになった髪はずぶ濡れになったまま雑に拭いただけなのだろう。美陽に向けられた背中からは疲労が伝わる。体においてもだし、心においてもだ。そんな陽平を起こすわけにはいかなかった。かといって自分が布団からでることもしない。陽平はきっと、今美陽から離れることが不安なのだろう。美陽の体温が消えればまた動揺するかもしれない。
こいつは、俺の事こわくないんか――?
美陽も大人しく狭いベッドで再び目をつむった。
午後3時を回ったころ。陽平と美陽は足立の家に来ていた。あらかじめ足立が指定した時間、二人が揃って訪れる。客間に通されると、外観とは違いレトロな洋風の机と椅子が出迎える。部屋の中はカントリー風なかわいらしいインテリアでまとめられている。足立が持ってきたものも、アイスティーと焼き菓子という意外に思えるチョイスだった。ただし、認知されていることなのか二人の皿は分けられていた。
「念のためや」と足立は言う。
「あんたが美陽君やね。はじめまして」
美陽が礼儀正しく頭を下げる。陽平の見た目からか、美陽のような子が例の友達だったとはイメージしていなかったらしく、意外そうな顔をしている。
「あの、足立さんは」
美陽が切り出すと、困った顔で足立が笑う。
「せやね。どっから話すべきか、どこまで話すべきか迷って。相談したんやけど、もうあんたたちも子供じゃないからって。累くんと同い年で同級生なら、話すべきだと言われてたんよ」
誰に? と二人とも疑問に思ったが、訊くより早く足立が話し始めた。
「うちの家系はずっとあの祠を守っていてね。まずはこの地にある鬼に関する習俗から話さなあかんね。ずっとずっと昔よ。伝承じゃ西紀前の話になるとも言われとる。この辺りの人は
美陽がちらりと横に座る陽平を見遣った。真剣な顔で、身を乗り出すように、顔をしかめながら話を聞いている。まるで難しい方程式を永遠と聞かされているような顔。頑張って理解しようという気持ちがくいしばった口元に現れていた。
ぶはっと美陽が吹きだす。そしてケラケラと笑いだした。
「え、ハル何笑ってんの」
「だって、ヨウ、絶対分かってないやろ」
顔を真っ赤にした美陽の目じりには涙まで浮かべている。
「分かるように頑張って聞いてたの!」
「それで、今の話は分かったん?」
「ぅぅう……理解しようとしとるとこやろ」
「ごめんごめん。怒んなや」
目じりの涙をぬぐい目を開ける。すると美陽を見つめたまま、真顔の陽平がぽろぽろと涙をこぼしている。
「は? なんで!?」
「だって、ハルが笑ってるから。そんなに笑ってるとこ、見たの久しぶりやから」
「嬉し泣き!? お前感情どうなってんの」
止まることのない涙が次々と零れる。ぐいぐいと陽平の頬をぬぐってやる。陽平だって不安だったのだろう、心配だったのだろう。一番辛いのは怖いと思っているのは美陽だからと我慢していたのだろう。守ってやらないと、自分がなんとかしないとと、必死だったのだろう。やっぱり美陽にとって陽平はヒーローだった。
「あんた、この子が怖ないんか?」
ずびっと鼻をすすった陽平が当たり前と答える。
「怖ない。ハルが鬼になったって、何したって俺はハルを守る。でもハルが俺のこと分からんくなるんは、やっぱり嫌や」
「うん。俺も俺じゃなくなってヨウの事忘れてしまうのは嫌やな」
二人を見た足立が唖然とする。人が鬼を孕めば、仕方ないが処置の手筈をするのも足立の役目だった。例外はない。しかしどうにか手を貸してやりたくなった。
「累君からいろいろと話を聞いたんやね?」
二人が同時に頷く。
「蘆屋家の様な鬼に関する儀式を行う家系をオニモチと呼んどる。でもほとんどのオニモチは組織と繋がっているというか、配下にある。中でも蘆屋の家は昔からお抱えやった。完全にあちら側や」
「あの、組織って、あちら側って」
「今オニモチを仕切っとるのは政府機関。国や」
思った以上の大きな後ろ盾に二人が驚く。しかしこれで納得もできた。他では噂にもならない異常気象。いくら小さいとはいえメディアに出ることのない事故。いくら調べても出てこない鬼の情報と、組織の情報。すべて操作できるのは、国ぐらいなものだった。静かに、巧妙にこの町は閉ざされていた。それは住民たちさえも気付かないほどに。
「累君は美陽君を実験としか思ってない可能性がある。分からんよ、私に本当の事は。でも信頼できる相談者というなら、積祈神社に行きなさい」
「墨馬香住さんですか?」
「知っていたのか」と足立が肩を落とす。
「あの人なら正しい道へ導いてくださる」
陽平と美陽が顔を見合わせる。二人がお互いの存在を守るために、行くべきところがようやく定まった。
第二章 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます