18. 事故―?

 ついてこない美陽に振り返る。美陽が項垂れ、体全身が力んでいるように見えた。「ハル?」と呼んでも顔をあげない。

「俺じゃないって思おうとした。でも思おうとしたってことは、心当たりがあるねん」

「南の事?」

「関係ないふりしてやり過ごせば、もしかしたら間違いやったで終わるかもって。でもあんなん、確定やん」

 美陽の傍まで引き返すと隣に自転車を停める。

「南が戻らんかった日、どうしてた? 俺連絡してんで」

「記憶なくて。気付いたら寝てた。でも朝起きたらやっぱり知ってんねん、南が厳霊山いかちやまに行ったこと。彷徨って、戻れなくなって、遭難した事。なのに知らんふりしてお前と探すふりして」

 美陽の顔を覗き込みながら、陽平がなんども頷きながら話を聞く。

「ハルのせいじゃないやん。鬼がやったことやん」

「南が厳霊山行ったの分かってて、黙ってたんはやで!」

 美陽がうずくまり自転車に顔を伏せる。ハンドルを握る手にぐっと力が入る。

 気持ち悪い。体の調子が悪くなるのは鬼のせいだろうか。そうじゃない。これは自分への自己嫌悪だ。

「ハル、大丈夫? また気分悪い?」

「ヨウ、俺に優しくすんなって」

「俺がいるから、俺がなんとかするから」

「お前がいるから、お前がいたらあかんねんて」

「大丈夫、大丈夫やからな」

 陽平が美陽の背中を優しく包む。陽平の与える温かさが美陽を付け上がらせる。気持ち悪いのに、また優越感に溺れていく。



「夏休みに親が家を空けがちになる」

 そう相談されたのは南の件があった次の日。夏休み最後の一週間は親が出張で家を離れる。そのため美陽が留守を任された。自分が何をするか分からない、不安だから監視してほしい。美陽からの提案だった。もちろん監視なんて形を取る気はなく、ただ何かあった時の為に一緒にすごそうと陽平が提案し直した。あまりにも美陽が不安そうにしているので陽平が泊まり込むことを決めた。

 「俺の家に来たらいいのに」と陽平が勧めたが、ずっと世話になるのは悪いとやはり美陽は遠慮する。なのに陽平には多少のわがままを言う。それはそれで嬉しいと思ってしまう。

 夏休みも美陽は夏期講習やら自主学習やらで学校の方に出かけていく。何かあればすぐに連絡するようにと伝えていたが、美陽はケロっとしていたし心配しすぎないようにしていた。それに陽平は陽平で昼間は用向きがあると言い出歩いていた。その中の一つに蘆屋と会うこともあったようだが、それでモヤモヤとした気が晴れるならと美陽もあえて詳細を聞く事はしなかった。

 一方陽平には美陽に言えないでいたことがあった。それは沼の近くで見た鳥の死骸だった。美陽がそれを知っているかは分からない。気になって一人で沼のあたりへ行ったときに見つけた。そしてどうしてかその死骸をそっと沼へ落とし、隠した。鬼を体から出すために必要だと通っていた沼で、明らかに美陽の仕業だと思われる現象が起きている。いや、美陽の仕業というわけではなく、美陽の中の鬼の存在が大きくなっているのだと陽平は考えた。だから一人蘆屋の元へ赴き問い詰めた。もっと確実な方法はないのかと尋ねたが、「ない」の一点張りだった。じゃあ、もし美陽が完全に鬼に飲み込まれたらどうなるかと尋ねれば、組織が保護するのではと曖昧な回答が返ってきた。

 「だって、陽平くん。ここ最近で鬼を孕んだ事象なんてほとんどないんやから、分からんよ」と一向に真剣みが感じられない。

「それならハルを今すぐ保護してやってくれよ。そしたらなんかすべがあるんとちがうん?」

「そんな素性分からん団体に美陽くんを預けて大丈夫? 保護って安全が保障されるとは俺は思ってないよ。身の安全がね。だから俺だって知られずに何とかしたいって思ってるんやで?」

 そう言われればもはやどうすることが一番良いのか分からなくなってくる。鬼に関する組織? そんなものはいくら調べてもヒットしない。本当にあるのか、ないのか、噂さえも聞こえてこない。今は蘆屋が「鬼の存在を知っている」事だけが真実であり、信じられる唯一の事実だった。だからといって陽平は蘆屋だけを信じるわけにもいかないと考える。美陽を守れないなら、それは味方でも協力者でもない。信じられるのは、美陽を守れるのは自分だと、自負するために証明が必要なのだ。


 泊まり込み三日目。嫌な予感がする。なぜなら朝から篠突く雨が止む気配がない。案の定電車は止まり、一日陽平と美陽は二人ですごした。部屋の中は雨音だけが聞こえる。二人とも静かなのは、陽平が美陽の勉強に付き合って問題集とにらめっこをしているからではない。お互いに言葉に出来ないでいる、触れられないでいる。そんな状態が一日中続いていた。コチコチとプレッシャーをかけるように鳴り続ける時計は夕方5時を過ぎていた。

「ハル、晩飯さ」

「今日も出前にするから」

「いや、でもお金かかるし」

 美陽の母親はご飯代にと現金を残している。しかし作れば節約になるのではと陽平が何度も提案していた。

「同じ鍋や食器使うわけにはいかんから。食を分ける定義が曖昧やし」

「そんな神経質にならんでもお。ほら、まえ昼飯食った後もなんもなかったやん」

 それでも楽観的な陽平をピシャリと遮断した。

 晩御飯を食べる間、お風呂上りにくつろぐ時間、陽平がカラカラと笑いながらお喋りをし、美陽が楽しそうに相槌を打つ。はたから見ればリラックスしているように映るかもしれないが、やはり二人の間に流れる緊張感はぬぐえなかった。夜も遅くなれば、美陽がうつらうつらと重い瞼に抗い始める。

「ハル、寝たら? 俺が起きとく」

「いや、そういうわけには」

「怖い? 俺が見といたるから」

「ヨウも眠いのに、今日だけは」

 ザーザーと空気中に流れる水の音は、本来ならば心が休まると感じる事もあるだろう。しかし今は怖くないといえば嘘だった。

「今は全然眠くないし、俺も雨やんだら寝る」

 美陽が自分のベッドにもぐり、陽平はその下に敷かれた布団に寝転がった。電気が消えた天井を見つめる。だんだんと目が慣れてくると、壁紙の模様をとらえることができた。

 人の意識とは伝わるものなのだろうか。しばらくは美陽が起きている事を感じて取れた。しかしどこかのタイミングで美陽の意識がスッと消えた。すると空気が静かになる。まるで真空空間に放り込まれたように自分以外の存在を感じなくなる。だんだんと張りつめていた緊張感が薄れていく。重くなった瞼をこすりながら、現実世界に留まろうともがいた。


 ドカンと脳に響いた音で目を覚ます。しまったととっさに飛び起きた。

「ハル!?」

 ばちばちと窓を打ち付ける雨音に、雲の中を巨大な何かが移動しているような鈍い轟きが聞こえてくる。

「マジかよ!」

 ベッドの中に美陽の姿がない。めくりあがった布団としわの寄ったシーツからは美陽の体温が伝わってくる。「新鮮」。そんな言葉が浮かぶ様だった。

 何度も名前を呼びながら家中を探す。家の中に美陽の存在を感じられない。

 ここにはいない。

 慌てて着の身着のまま外へ飛び出す。運よく微かな泥の足跡が庭から続いていた。消えないうちに後を追う。消えかけた足跡が公園に繋がっている。公園内のぬかるんだ地面がぽつぽつと陥没している。

「ハル!」

 叫んでみたが返事はない。傘だけでも持ってこればよかった。ずぶ濡れの髪からしたたる雨水で視界が遮られる。公園の足跡をたどると、それは集会場となっている掘っ立て小屋に向かっていた。

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