17. 陽平の〇〇

 近づいてくる二人に蘆屋が気付く。

「連絡ありがとう」

 礼を言う陽平の後ろに隠れるように美陽が立っている。美陽をのぞき込むと、蘆屋が薄く笑顔を見せた。

厳霊山いかちやまで遭難してたらしいわ。あんだけ大人が探しても見つからへんかったのに、今しがたあっさり自分から帰ってきたらしい。ただ――」

「ただ?」

「精神状態はヤバいっぽいで」

 陽平たちから見える位置に南の部屋があった。しかし今はカーテンが閉められ中の様子は見えない。少しでも南と会って安否を確かめたかったのだが、今は諦めた方がよさそうだった。

「ハル、出直そうか」

「あ、うん。とりあえず戻ってきたなら、安心やろ」

 部屋の窓に背を向けようとした瞬間、ちらっとカーテンの隙間から人影が見えた。

「南!」

 陽平の声が聞こえたのか、南がカーテンを薄く開け外をのぞいた。ふわっと明るくなった顔が陽平に向けられる。陽平が嬉しそうに手を振ろうと、腕をあげた瞬間。南の目がおぞましさを含んでいく。挙動不審になったかと思うと発狂したように叫び出した。暴れる南を駆け付けた両親が抑制する。窓にうつる光景は無声映画のようで、まるで別次元で起こっている何かを見ているような感覚だった。

 唖然とする陽平に対し、蘆屋と美陽が冷静にこの光景を見つめていた。

「君らは帰った方がええんとちゃう?」

 蘆屋が陽平の肩をたたく。邪推する様な蘆屋の目に、陽平が肩の手を叩きはらう。「そうしよう」と淡々と返した美陽が踵を返し歩き出す。美陽の背中を陽平がポンと軽く押した。

「ハル、ちょっと、先行ってて」

 不審には思ったのかもしれない。しかし美陽は理由を聞くことはせずそのまま歩き出し、人ごみから出ていった。美陽がその場を離れると陽平が蘆屋に向き直る。「なに?」と余裕の表情の蘆屋はいつだっていけ好かない。

「蘆屋の言う通り、登下校は沼の道を通るようにしてる。祠には近づいてない。やのにハルの体調もよくならん」

「今回のことも美陽くんのせいやと思ってるんや」

「ハルやない。ハルの中にいる鬼やろ」

 「そうやった」と蘆屋が肩をすくめる。

「それに、南のことは鬼とは関係ないやろ。ヒがどうとか、飯を一緒に食ってもない」

「言うたやん。鬼は孕んでる人とリンクするって」

 「は?」と陽平が眉を動かす。

「ハルが南をどうにか思ってるってか? ありえんやろ」

 美陽の事を微塵も疑わない陽平にいよいよ蘆屋の口角がゆるむ。

「それより、ハルから鬼はおらんくなるんやろうな。ほんとに信じてええんやろうな?」

 まるでかぶりつかれそうなほど詰め寄られると、蘆屋も降参と手をあげる。どれだけ真剣な顔をむけても蘆屋ののらりくらりとした態度は変わらない。埒が明かないと苛立ったまま美陽の元へ戻ろうとした陽平の腕を蘆屋が掴む。ぐいっと引き寄せられると蘆屋の顔がすぐ目の前に迫る。蘆屋の細めた目はまるで愉快犯のように楽しそうで、思わず背筋がぞわついた。

「なあ、美陽くんを助けてあげる。言ったやろ。俺はミステリアスな子が好きやねん。もし美陽くんがずっと俺に飼われてくれるなら――」

 陽平が蘆屋の手首をつかむ。その手にぐっと力が入る。陽平を包んでいたいつもの陽気なオーラは消え、不快と憎悪の念が体を纏いだす。

「――ったぁ」

 ぎりぎりと手首を握られ、痛みに歪んだ蘆屋のその顔には愉楽の感情が入り交じっていた。

「やっぱり。が本当の陽平くんなんや」

 蘆屋のいやらしい目に陽平が我に返る。握っていた手をぱっと離した。

「他に方法があるなら早よ言えよ」

 掴まれていた手首が解放されるとぱたぱたと手を振る。

「親に訊こうと思ってんけどな。最近ずっと帰ってきてへん。ろくに連絡もつかへん」

 未だ疑いの目を辞めない陽平だったが、今度は蘆屋が嘘を付いているようには見えなかった。なぜならこの時の蘆屋は少し寂しそうに見えたから。

「今日はいいわ。また連絡する」

 陽平が蘆屋に背を向けた時、集まった人の中に見覚えのある顔を見つけた。それは積祈神社の神主、墨馬香住すまかすみだった。同じく墨馬を見つけた蘆屋が陽平の肩に腕をかけもたれかかってくる。

「あれ? 来てたんや」

 蘆屋と墨馬は知り合いだったのかと疑問に思う。しかし今の陽平はこれ以上蘆屋と話す気になどなれない。

「みんなミーハーやなあ」

 陽平の気など知らずに体にぴたりと寄り添い腕を回してくる。二人に気付いた墨馬がこちらに顔を向けた。蘆屋がにかっと笑って手をあげる。墨馬がその見知った顔に眉を寄せ怪訝な表情をみせる。しかし寄り添っているのが陽平だと気付くと、嫌そうな表情から驚いた顔に変わる。コテンと首を傾げた蘆屋が意味ありげに目を細め薄く笑う。何かを察した墨馬がじっと陽平を見つめていた。

 言葉のない会話に陽平は突っ立ったまま入り込むことが出来ないでいた。


 その内蘆屋が陽平の肩をぽんぽんと叩く。

「美陽くん待ってるやろ。行ったら?」

 最後に南の部屋をもう一度見上げる。取り乱した彼女の姿が脳裏に焼き付いている。最後にバス停で会った時の明るく元気な、すこし恥じらったあの記憶さえ上塗りされてしまいそうなほどに、それほどに衝撃的だった。南は元に戻るだろうか。まさかこのままと嫌な予感がよぎる。

「蘆屋、頼むで」

「陽平くんにそんな顔似合わんて。はい笑って笑って」

 どうも蘆屋には調子が狂わされる。確かに今ぼやぼやと考えても状況は変わらない。物事を嫌な方にも考えたくはなかった。


 乗ってきた自転車まで戻ると、ヒマそうに美陽が待ち呆けていた。

「俺抜きで内緒話か?」

「そうじゃないって」

 へらっと笑った顔でごまかす。面白くなさそうに美陽が自転車を押し出した。帰り道はあえて自転車を押して歩く。何も言わずただ歩いていた。たぶんお互いに話したい事がある。なかなか言い出せない気まずさが漂い始める中、「なあ」と静かに美陽が口を開いた。

「言いたい事あるんやったら言えよ」

 思った通りの美陽の言葉に陽平がぎゅっとハンドルを握り締める。

「ごめん」

 聞き飽きたと美陽がため息をつく。

「俺、ほんとに鬼になっていくんかな」

 今度は予想外の言葉に伏せていた顔を勢いよく上げる。

「ならへんよ。ならへんって」

「鬼になったらどうなるんやろ。人としての自覚も無くなるんやっけ。狂暴化して、動物も襲うんやっけ。それって人ではなくなるねんな。俺じゃなくなるってことやんな」

 陽平が美陽の家の庭に落ちていたスズメを思い出した。「いやいや、そんな事」と頭を振る。

「なんかおっきい組織あるって言ってたよな。そういうのが鬼を排除したりするんかな」

「悪い方に考えんなって。助けてくれる団体かもしれんやん。それに鬼にならんようにって蘆屋も考えてくれてるし」

 カラカラカラと車輪の回る音が響く。

「南、俺見て怯えたよな」

 「それは」と陽平が言葉を詰まらせる。カラカラと鳴る音がだんだんと遅くなる。次第に音が止まると美陽が立ち止まった。

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