16. 事故―3

 陽平が青葉台へ戻り、美陽の家の前を通りかかる。ちょうど郵便物を取りに外へ出ていた美陽と鉢合った。美陽の姿を見つけると、陽平は変わらない調子で駆け寄る。

「今日もおばさん帰り遅いん?」

 陽平の問いに答える代わりに質問で返す。

「どこ行ってたん?」

 「え?」と陽平が聞き返す。とぼけたわけではない。唐突な質問が予想外だった。

「連絡してんけど」

 あっと陽平が思い出す。

「ごめん。見た。見たけど返すの忘れてて。後で返そうって――」

 「ふーん」と冷たく言い放たれた言葉が陽平の心臓を刺した。

「南と、南と買い物行ってて。ずっと歩いてたし携帯触るヒマなくて。いや、あったけどその」

 ふっと美陽の表情が和らぐ。

「別になんも言ってないやん。楽しかった?」

「うん、普通に」

「南になんか言われた?」

 一瞬帰り際のバス停での事を思い出した。それでも「いや」と言葉を濁した。

「そっか。楽しかったならよかったやん」

 美陽が玄関へ戻っていく後ろ姿を見送る。ドアが閉まる直前に美陽が手を振り、またなと声を掛けた。それにならい陽平も手をあげる。ドアが閉まる音がすると、陽平もその場から離れた。家に戻ろうときびすを返した時、さっきまで気づかなかった光景が目に入った。

 美陽の家の庭に二羽、スズメが落ちていた。落ちていたという表現が正しい気がした。たぶんそれらは死んでいたから。ゾクっと背筋を何かが這い上がる。それが何を意味するかは分かっていたはずなのに、その時はそれを見て見ぬふりしてしまった。


 台風が来ているわけでもないのに、風がどんどんと強くなる。黒い雲が空を覆い、夏の夕方は夜のように暗くなる。ぱたぱたと大粒の雨が風に乗って吹き荒れる。窓の外は黒い景色に黒い雨が降りそそいでいる。

「ええ!? 佳織ちゃんが?」

 リビングで携帯をいじっていると、母親の驚く声が聞こえた。ちらっと母親の方を見ると誰かと電話で話している背中が目に入る。

「そうね、後は任せるしかないものね。無事だといいのだけど」

 そのような話をして通話を切る。南が? 無事? 何の話かと心がそわついた。

「南が何?」

 無機質な声で問いかける。別に不機嫌なわけではない。いつの間にかこういう接し方をするようになっていた。

「まだ帰ってないんですって。こんな天気なのに。連絡もつかないんですって」

 時計を見ると18時半をさしている。それほど遅い時間ではない。しかし以前南が18時の門限がダルいと言っていたのを思い出した。

「誰か探しに出てんの?」

「お父さんが帰ってきたら車出すって。こんな雨だから、安易に外に探しに行くわけにもいかないでしょ」

 会話をしていても母親の背中しか見えない。それでもどんな顔で話しているかは想像がつく。そういう表情しか、最近の母親の記憶がないからだ。

 陽平がバタバタと階段を駆け上がり、自分の部屋へ向かう。急いで携帯のアプリを立ち上げ美陽の名前を探した。メッセージ画面から通話ボタンを押す。

 出ろよ出ろよ出ろよ。

 焦る気持ちと共に嫌な気持ちが腹をしめつけ、全身が緊張したようにぞわぞわとした。

 鳴りっぱなしの呼び出し音が陽平の脳内に響く。

「くそっ」

 きっとこの天気だから、具合が悪くなって寝ているのだ。そう言い聞かせ心を落ち着かせる。美陽へメッセージだけ送ると、もう一度連絡先の一覧を表示させる。ゴロゴロと雲が鳴り出した。こんなにも耳障りに感じたのは初めてだった。



 浅い眠りが続き、まだ頭がぼんやりとする。カーテンからは朝日が差し込んできていた。携帯を見ると午前7時6分の文字と、美陽からの通知が表示されていた。慌ててメッセージ画面を開く。急いで電話をかけるとあっさりと美陽が電話に出た。

「ハル!? 昨日――」

「聞いた。南まだ帰ってないって。近所の人も探しに出てるらしい」

 意外なほどにいつも通りの美陽の声。やはり自分の杞憂だったのかと少し安心する。

「……行くか?」

 探しに行くかと美陽がたずねる。

「すぐ行く。待ってて」

 顔も洗わずTシャツを着こみパンツを履くと外へと飛び出す。自転車にまたがると同時に走り出した。美陽の家に行くと美陽はすでに玄関前で陽平を待っていた。珍しく自転車を携えている。

「おま、顔洗ったんか?」

 きちんと身なりが整った美陽とは反対に寝ぐせだらけの陽平が頭をかく。疲れたような陽平の顔を見た美陽がため息を付いた。

「寝れてへんの?」

「心配で!」

「分かるけど、南だって子供じゃないし、状況分からへんのに焦ってもしょうがないやろ」

 それだけじゃないと陽平が思う。きっと心配なのは南よりも――。

 「はい」といって美陽が袋を差し出す。

「食べながらいくで」

 袋の中を見るとクリームパンとパックのカフェオレが入っていた。

「どうせヨウは寝起きで来るから」

 自転車にまたがり漕ぎだした美陽を陽平が追いかける。翔也の時のように怯える様子も悩んでいる様子もない。

 普段はバスか車で行くショッピングモールへの道を自転車で走る。高校方面や厳霊山いかちやま方面はすでに大人が向かったと聞いた。あとは遠出をするとすればショッピングモールの方かと予想した。

「南、どうしたんやろ」

 陽平はいつだって他人の心配をする。誰にでも、等しく心配をする。

「ヨウは南と仲いいもんな」

「友達やからな」

「……」

 カラカラと周る車輪の音を聞きながら田んぼが広がる道を走る。キョロキョロと周りを見渡し、人を探す。

「南は、友達と思ってないんと違う?」

 「ああ」と陽平が言葉の意図を察した。

「南が俺の事どうか思ってくれてても、俺は応えられへんし。でもほんまに大切な友達。俺らが転校してきたときも、からかうヤツらを一掃してくれた。俺だけじゃ、ハルを守れんかった」

 陽平の目に憂懼の色が滲み出る。その色に美陽の心臓に刺さったものがどんどんと溶けていくようだった。陽平には悲しい思いはさせたくない。陽平にはやっぱりバカみたいに笑っていてほしい。

「ヨウ、もうちょっと遠くまで探しに行こうか」

 ペダルを踏み込む足に力を入れる。「うん」と返事をした陽平の声が少し明るくなったように感じた。


 一日中探し回ったが南を見つけることは出来なかった。仕方なく暗くなる前に二人は一度解散とした。しかし事は急な展開を見せる。夕ご飯を食べ終えた頃、携帯にメッセージが届く。それは陽平と美陽が半分無理やり作らされた蘆屋とのグループトークへ届いた。

『佳織ちゃん帰ってきたで』

 蘆屋からのメッセージに陽平がすぐに反応する。再び自転車に乗り込み走り出す。すると同じタイミングで外へ飛び出したのであろう美陽と鉢合った。二人の視線に緊張が走る。言葉を交わすことなく南の家へと急いだ。

 南の家の前には近所の住民が集まっていた。田舎の町は隣人の家庭事情も個々の素行も噂になりやすい。どうして南が帰ってこなかったのか、家出か非行か、はたまた別の理由かと無責任に言い囃す。陽平と美陽が自転車を乗り捨て、集まった人をかき分けていく。その中に山下を見つけた。

「山下のおっちゃん! もう大丈夫なん?」

 山下にとって同じ小田地区に住む南は幼少期から知る子供なのだ。山下は心配そうに家を見つめていた。

「ああ、俺はなんともない。それにしてもこの数か月、えらい雨が降ったかと思えば不可思議なことが続く。なんとも不気味やな」

 「うん」と陽平が頷くと、美陽がくいっと袖をひっぱってきた。美陽が指し示す方に蘆屋の姿が見えた。

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