12. 秘密の道

「でもさ、山下さんは違うやろ? ハルとは関係ないやろ? だって飯一緒に食った事ないし」

 庇うように蘆屋に詰め寄る陽平を重い声が制した。

「梅酒。梅酒をあげてる」

「いやいや、だってそれはハルのお母さんが作ったやつで。さっきの話ならあげただけなら理屈は通らんやろ」

 「な?」と美陽の肩に手を置いたが、沈んだ美陽の顔が上がることはない。

「……味見した。山下さんにあげる分の瓶から。俺が味見した」

 蘆屋が「ほう」っと興味深い笑みをこぼす。

「だからって、ハルが悪いわけちゃうし。気にすんな。な、ハル?」

 あの時と同じ顔をしている。翔也の事故があった日、美陽が自分のせいではないかと告白したてきた、あの時と同じ顔をしている。

 助けてやらないと、助けてやらないと――。

「俺らから聞いてなんやけど、蘆屋もそんな事べらべらと話していいん? 言いふらされたりとか、そういうのはいいん? 全然話題になったり知られてないって、隠してることじゃないん?」

 焦りの顔を見せる陽平に蘆屋が動じることはない。

「陽平くんってほんと優しいね。それとも美陽くん限定? でも弱みを握ろうなんてのは陽平くんには向いてないわ。そういうんはもっと狡い人間がやらな」

 蘆屋がちらっと美陽を横目に見るとそれを美陽が睨み返した。

「別に君らに喋るんはええよ。だって美陽くんは当事者確定みたいやし? 鬼ってさ、この地域だけの話やないんよ。土地の持つ力に差は在れど。ちょっと大きめの組織がおるんよ、バックに。口外して美陽くんのことがバレたらどうなるか俺も知らん。もう二人とも一生会われへんようなるんかもしれんよ? その場合さ、君らがどっちを選ぶかなんて一目瞭然やん?」

 そこまで言われると陽平も楯突くことを諦める。落胆の表情を浮かべる陽平に蘆屋が息をついた。

「勘違いしてるかもしれんけど、俺は君らの味方やねんけど。こんだけ鬼のこと知ってんねんで? さっきも言ったけど、バレればどうなるか分からんけど、バレんかったら対処できる余地はあるやろ? もうちょっと頼ってよ」

 どの口が言っているのかと美陽も陽平も半信半疑でいる。しかし蘆屋は昔からこういう性格だった。人をやり込める口の利き方でよく他の生徒を泣かせ、先生を怒らせ、周りから壁を作られていた。そう考えると、かわいそうな性格かもしれないとさえ思えてくる。

「分かった。とりあえず、ハルの為やから協力してほしい」

 陽平が差し出した手に驚いた様子をみせたが、すぐにその手を握り返す。「よろしく」と言った蘆屋は嬉しそうにもみえた。



 美陽と陽平が自転車を押しながら歩く。蘆屋の住む杉田地区から青葉台へは、東北へずっと向かい、小学校を過ぎると坂道を登っていく。だいたい3キロほどの場所にある。小学校から西側は比較的住宅も多い。とはいってもやはり昔からの家が大半を占めていた。古い店がぽつぽつと立ち並ぶ商店街もある。それも今は本屋と菓子屋、文房具店しか常時開いている店はない。小学生以来この辺りで買い物をするなんてこともなくなった。

「あー、早くバイクの免許取りてえ」

 とぼとぼと歩きながら陽平が嘆く。

「ヨウの学校は禁止じゃないん?」

「ん? 免許取んの? 夏休みとかで教習所通う分には大丈夫やで。ハルんとこはあかんねや?」

「うん。確か禁止。いや、正確には知らん。免許取る人も周りにおらんし」

「進学校やもんなあ。みんなちゃんと勉強しなあかんもんな」

 そもそも美陽の学校では高校生のうちに免許を取るという考えがない。陽平がそうとは言わないが、陽平が通う高校の制服を着た生徒がバイクを乗り回しているところは何度も見かけている。環境が違えば常識も違うのだろう。どうであれ人に迷惑をかけなければそれでいいし、陽平がそんな不品行をするとは思えない。ただ移動手段としてバイクを使いたいのだ。

「なあハル。蘆屋が言ってる事、ほんとやと思う?」

 陽平の自転車はカラカラとうるさい。チェーンがたるんでいるのだろう。直しに行くにも自転車屋がこの辺りにはない。陽平の家も美陽の家も母親しかいない。こういった整備を教えてくれる人は昔から身近にはいなかった。

「今はほんとやと思うしかないよな。現に不可解な事が起こってるし、まずは信じてやってみんと」

「そうやんな。もしハルが鬼になるなんて、俺嫌やし」

 蘆屋が言うには、一度鬼を孕めばそれを体から消し去ることはできない。ただし儀式をすれば話は別。もちろん近年では例がほぼない上に、症例は蘆屋にも教えられていない。蘆屋が知っているのは鬼を排除する儀式だけ。きっと両親も何かアドバイスをくれると思うので、今はその方法を試してほしい、とのことだった。

「とりあえず、この足で沼行ってみる?」

 陽平の提案に美陽が頷いた。蘆屋が教えてくれた儀式とは「山地泉の法」と言う。鬼は山で産まれ地で育つ。そして泉で落ちる。落ちるとは人の体外へ出す事を意味するという。ここでいう山は青葉台にある小山、地は青葉台すなわち埋め立てられた元の地をさす。そして泉とは小山から青葉台を東へ抜けた先にある沼の事をさしていた。この地形こそが鬼が産まれやすく、鬼に対する儀式が継承され続けて来た所以だとも蘆屋は話した。要は沼に近づく機会を増やす、そして山には近づかない。それだけだった。沼で何かしなくてもいいのかと聞けば、一般人がむやみに儀式の真似事をするものじゃないと言われた。手順、手法、何かを一つでも間違えれば、それがもたらす事象は変わってくると。


 青葉台から沼への道は、そのまま駅への抜け道となっている。しかし小学生の頃2、3度探検しにいったきり、そこへ近づくことはなかった。小田地区に住む同級生から昔この沼で死体が上がったと教えられた。その噂を聞いてから陽平も美陽もおのずと避けるようになっていた。

 青葉台まで帰ってくると団地の奥へと向かう。団地の端には雑木林が広がり、その中へは入っていけそうもない。ただ一つ、泥が剥き出しになり荒涼とした道らしくない道をのぞいて。抜け道の前に自転車を停める。細く足場が悪い上に傾斜のある下り道になっている。自転車で入っていくのは危ない。いや、危ないのは道に限った事ではないのかもしれない。林への入り口には誰が作ったのか、白く塗装された木の看板が立てられている。塗装が剥がれ落ち、腐朽した木材が見えている小さな看板にはただ一言、「危険」とだけ書かれていた。小さい頃は気にした事もなかった。ぬかるんだ道が危険なのか、死体が上がった事と関係あるのか、それとも鬼のせいなのか。今になって、書かれたその一言にゾクっと背筋を逆撫でられる感覚を覚える。

「ハル、行こう」

 無意識に美陽に手を差し伸べる。昔はそうやって未知の世界への探検へと繰り出していた。いつも陽平が美陽の手を引いてやる。しかし果たして本当にそうだったのだろうか。美陽を守ってやると思い込む事で、気を大きく持たせていたのではないだろうか。今だって、手を繋ぎたいのは陽平なのではないだろうか。陽平の心の底など知るはずのない美陽はそれは普通に、ごく自然に、躊躇う事もなく陽平の手を取る。

「地面滑りそうやし、気いつけてな」

 陽平が美陽の前を行く。本当に足場が悪く、つい握った手に力が入る。少しでも力がこもろうものなら、すぐに陽平の手が美陽を支えようとした。たぶん陽平は自分が転んだとしても美陽を死守する。陽平の襟足からのぞく男らしい首筋をぼうっと見つめる。「ああ、やっぱりヨウは頼もしいな」などうつらうつらと考えた。

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