第二章

10. 蘆屋と噂

 美陽みはるの事を相談すると、蘆屋あしやが放課後一緒に帰ろうと提案してきた。何度か学校の最寄り駅で蘆屋を見かけたことはあったが、二人で帰るのは初めてだった。ホームルームが終わると陽平が鞄を掲げ教室を出る。いつも連れ立っている友人たちが声をかけてくる。

「おい、今日一緒に帰んねえの?」

「あ、悪い。今日ちょっと」

 慌てた様子で教室を出ていく陽平を不思議がり、友人たちがひょこりとドアから廊下へ顔を出す。すると廊下の先でこちらへ手を振る蘆屋の姿があった。

「え、あれってさ」

「センコーに手え出したさ、建築課の」

「アシヤ? だっけ? なんで陽平があいつと?」

 コソコソと聞こえる話し声を背に、陽平が気まずそうに笑う。こういうことには慣れている、気にしないとばかりに余裕の表情で蘆屋が陽平を迎えた。

「気にすんなよ。噂好きって多いから」

「ぜーんぜん」

 肩をすくめた蘆屋は本当に気にも留めていないように平然としている。一度玄関で別れるとそれぞれの課ごとに並べられた下駄箱に靴を取りに行く。上履きからスニーカーに履き替えると再び入り口で落ち合った。学校の最寄り駅と言っても20分ほど歩かなければいけない。さすがに下校時間は生徒たちも多い。あまり人に聞かれたくないと思ったが、蘆屋は気にしないように話を切り出してきた。

「大丈夫やって。他人の話に誰も興味ないって」

 蘆屋は鼻歌まじりにふんふんと機嫌よく鼻を鳴らしながら歩く。深刻に顔をこわばらせている陽平とは対照的だった。

「で? 美陽くんがどうしたん? なんで今になって鬼のことなんか聞いてきたん?」

「それは――」

 言葉に迷いながら、言葉を選びながら、陽平が最近の町の様子と美陽の話を蘆屋に伝えた。悪天候になると体の調子が悪くなる事、それは猫を拾った時から始まった事、猫を拾った日の事、豪雨の日に町人が二人事故に合ったこと、二人とも陽平たちの知り合いだという事、そしてその事故に美陽は覚えがある事。原因は美陽にあると本人が考えている事、そして思い浮かんだのは過去に蘆屋が言っていた「美陽に鬼が入っている」という言葉だった事。

「へえー、その溺れた子の足を引っ張り込んだ感覚があると。ふーん」

「なあ、それってやっぱり鬼ってのと関係あるん?」

「せやなあ、美陽くんの言ってることがほんまやとして、関係あると考えてもええかもしれん。詳しいことは、せやなあ、美陽くんも交えて話さへん? 陽平くんが間に入ってるなんて二度手間やしさ。それに……」

 「それに?」と陽平が続きの言葉をせかす。

「俺も久しぶりに美陽くんに会いたい」

 そう漏らす蘆屋の目が少し色気ばんだようにうるっと濡れ、頬が心なしか紅潮している。陽平はそんな蘆屋を前に「会わせたくない」と思ってしまう。しかし美陽の不安を取り除くには蘆屋が必要だった。

「鬼を孕んでるとか言ってたけど、それも蘆屋なら解決できるん?」

「それも美陽くんに直接話すわ」

 まるで陽平は蚊帳の外と言われているようでムッとする。その様子に蘆屋がさらに楽しそうにムズっと身を震わせた。

 駅で話しているとようやく来た電車に二人で乗り込む。下校時間でも席に余裕のある車内。二人は四人掛けのボックス席に腰を下ろした。爪弾きにされた腹いせ、というわけではなかったが、なんとなく当たりたくなったのだと思う。だから実は陽平も気になっていた事をあえて本人にぶつけた。

「なあ、ほんとはどうなん?」

 「ん?」と窓に頬杖を突いた蘆屋が振り向く。絵になりすぎる目の前の男が正直羨ましい。

「入学早々さ、先生と噂になってたやつ」

 ぶはっと蘆屋が吹きだす。嫌な顔ひとつしない蘆屋が陽平の幼稚さを際立てる。

「なんやあ、やっぱり陽平くんも噂好きなんやね。でも分かるよ、陽平くんのは他のヤツらと意図が違う」

「なにが……」

「嫉妬やろ? 陽平くんのは下衆な好奇心やなくて、俺に対しての嫉妬やろ」

 「うっ」と言葉を詰まらせる。その通りだった。男としてどうこうという事もあるが、これは美陽を救えるのは蘆屋なのかもしれないという焦りからくる八つ当たりだ。

「じゃあ、あれはただの噂なんや」

 蘆屋がずずいと陽平に体を寄せる。上目遣いに見上げられれば、不覚にも心臓がドキっとしてしまう。

「陽平くん、俺はなあ、ミステリアスな子が好きなんよ。消えてしまいそうに儚くて、輪郭がおぼろげで掴めない。そんな子」

 蘆屋に迫られのけぞったまま陽平の心臓が煩く鳴り続けている。

「な、なにそれ。よく分からん」

 陽平から身を引くと椅子に座り直す。再び頬杖をつくと窓の外を眺めた。

「いつか紹介してあげるわ。俺の気になる子」

「え、いるん!?」

 目線だけを陽平に向けると、ふっと不敵に笑う。

 「さあ?」と小さく答えた声はガタガタと五月蝿く鳴る田舎の電車の音にかき消された。



 入院していた翔也も無事に退院したと聞いた。今では通常通り学校にも行っている。入院中にお見舞いに行こうと陽平が誘ったが美陽は断った。もちろん心配はしている。しかし顔を合わせる事が出来なかったのだろう。もしかしたら自分のせいかもしれないと、確信のない不安があったに違いない。もしそうだとして、美陽の体に何かが起こっているとして、それを取り払える可能性があるなら。いまはただの可能性にかけてみるしかなかった。

 二人が始めて蘆屋の家にやってきた。杉田地区という小学校から一番遠い地区に住んでいる事は知っていた。蘆屋の家は疎か、そもそも杉田地区に来ることも二度目だった。ここは昔部落差別があった地区だと小学校で習う。一度目は学習目的で小学生の時に訪れた。もちろん今はそんな差別は存在しない。語り継ぐのは気にしている証拠ではないかと考えたことがある。しかし敢えてこの地に引っ越してくるのは蘆屋家くらいだった。そう考えれば、はやりまだ根を張っている何かがあるのかもしれないとも思えた。

 美陽にじゃないと話さないと言われた手前、今日は美陽を連れてやってきた。蘆屋の部屋に通されて尚面白くなさそうな顔をしていたのか、蘆屋が「気い悪くしたらごめんな」などと陽平の肩をたたく。美陽が一人、何のことかと不思議がっていた。

 机を三人で囲む。組んだ腕を机に置き、蘆屋がじっと美陽を見つめる。なかなか目を逸らさないものだから美陽も気まずさを感じたじろいだ。

「蘆屋、久しぶりやな」

「うん。美陽くんも久しぶり。ってか、小学校ん時全然喋ってくれへんかったけど」

「いや……そうやね」

 二人の間に怪しい空気が流れ始めると、いよいよ陽平が我慢できずに大きく咳払いをした。

「蘆屋、鬼の事。話してくれるんやろ?」

 ぷりぷりと苛立つ陽平をやはり面白そうにする。

「はいはい、そう焦らんとってや。美陽くんの話はだいたい陽平くんから聞いた。やっぱり気になってるんは猫を祠の前に置いたってところやんね?」

 陽平と美陽がうなずく。

「それたぶん正解。こっちではクダショウって言うねんけど」

「クダショウ?」

 陽平が聞きなれない言葉を繰り返す。しかし美陽はスルーしかけた蘆屋の言葉を拾い上げた。

「いや、蘆屋待って。って何。まずお前が何で鬼について知ってるん。お前は何を知ってて、何者なん」

「うわあ、やっぱり美陽くんは頭まわるね。そこはさらっと行こうかと思ってんけど」

 美陽の突っ込みに陽平も怪訝な顔を向ける。二人に睨まれ蘆屋も降参と手をあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る