7. 告白
「ああ、ヨウも誰かから聞いて来たん?」
どこでこのことを知ったのか美陽は答えなかった。
「それで、あの」
陽平が言い淀むとあっさりとしたほどに冷静な声が耳を刺した。
「翔也やって」
「……え」
「翔也。日比野翔也。救急車で運ばれた。肺に水が入ってたみたいやけど、幸い息はしてたらしい。足を滑らせて水路に落ちたんやないかって」
「いやいや、いつ? 夜中? 早朝? なんで!?」
つい問い詰めてしまった陽平の視界に美陽の手元がうつった。美陽の目はしっかりと水路を捕えている。声も冷静さを保っている。しかし、体の前で握っていた手が震えていた。右手首を、左手で強く掴み震えを抑えている。その手に陽平が自分の手を添える。ゆっくりと美陽の手を包むと次第に震えが落ち着いていく。
「ハル、大丈夫?」
「俺は、大丈夫」
それでも未だ美陽がこちらを向こうとはしない。陽平と目を合わそうとはしなかった。二人がぎこちない空気の中立ちすくむ。町の人たちが水路や田んぼの点検をしてまわっていた。
「ほんっま、最近ゲリラ豪雨っちゅうんか? ひどい天気が多いな」
「山下さんもほれ、山で雷に打たれたやんか」
「今度は子供が巻き込まれるとはな。どうなっとるんや」
「こんだけ異常な天気が続いとんのに新聞やニュースでは聞かへんやろ?」
「こんな田舎の異常気象なんざ大きく扱われることはないんやろ。それか――この町に見えへん膜でも張っとんちゃうか?」
「なんやそれ」と大人たちが笑う。
「大丈夫かな……翔也」
一方で肩を落とす陽平は心底翔也を心配している。美陽が自分の気持ちに蓋をするように一度目をつむる。そしてゆっくりと、深呼吸をするように瞼を開いた。
「翔也のことだから、またすぐに元気な姿見せてくれるやろ」
「信じよう」と美陽の目が語っている。その時やっと美陽と陽平の目が合った。陽平の元気のない笑顔が美陽の瞳にうつる。
もうここに留まっていたところで事態は変わらない。二人はざわざわとした大人たちから距離を取り乗ってきた自転車の方へ歩き出す。
カラカラと自転車を押しながら美陽に並んで坂道を登っていく。どんどんと人の声が遠ざかっていくと一気に人気がなくなった。
「なあ、なんでハルは事故のこと知ったん? 南から連絡あった?」
しばらく美陽がそのことに答えようとはしなかった。
「南からは連絡ない」
そう告げられたが陽平が他の可能性を追求することはない。ではどうして? 気にならないわけではない。しかし美陽が話したいことなら話してくれればいい。話したくないなら話さなくてもいい。陽平には美陽の気持ちが一番大切だった。
坂道をのぼりきったところで一度立ち止まる。青葉台へはさらに迂回しなければいけない。青葉台へ入る一番近い道は階段になっていた。再び陽平がハンドルを押し出そうとした瞬間、聞き漏らしそうなほどか細い声が陽平に助けを求めた。
「俺かもしれん」
「は?」と陽平が振り返る。聞き取れなかったわけじゃない。しかしあまりにも予想外の言葉に意味を汲み取れなかった。伏せた美陽の目に睫毛がかかる。たまに見せる美陽の影を落としたような表情は魅力的だと思う。陽平がもっていない表情だった。
「何が?」
もう一度陽平が聞き返す。睫毛がさらに美陽の目を隠した。
「ヨウは信じてくれるかな」
ハンドルを持つ手に力が入る。これから美陽は何を言い出すのか、少しこわかった。
「誰かの足を掴んだ感覚がある」
美陽が右手を握って開く。何かの感触を思い出すように手のひらを握っては開く。
「え、いや、それは、どういう――」
「どういう事か分からんよな」
ごくりと生唾を飲み込んだ陽平の喉仏が上下に動いた。
「昨日の夜なのか、今日の朝なのかわからん。水の中でもがく足を引っ張って水中へ引きずり込んだ。夢なのか現実なのか分からん。でも実際俺自身がやったことではない。ベッドの上で起きたし」
冗談を言っているのだろうか。本気であったことを話しているのだろうか。陽平が戸惑う。翔也を溺れさせたのは自分だと言いたいのだろうか。いや、どうやって。
「夢、ちゃうん?」
「うん。でも手に感触がある。知らんはずの事故現場を知ってた。行ったらほんとに事故が起こってた。翔也だと聞いて合点がいった。俺の手に残ってる感触は子供のもんやったから」
それでもまだ陽平には真実だとは思えない。美陽を疑うなんて気持ちはない。しかしそんなことあるわけなどないと脳が言っている。
「いやいや、意味分からんて。そんなんホラーやん」
笑い話にしようとした。何かの偶然がかさなった思い過ごしとして流そうとした。
だって、そんなん信じられるわけない。
そう決め込もうとした思考を停止させる一言が陽平の胸を突き刺した。
「ヨウ、こわい」
かすれた声とともに美陽の手が陽平の袖を掴む。陽平は気付いてしまう。美陽は、本気で怖がっている。何かに恐れている。恐怖で体が震えている。人を引きずり込んだ感触を、本当に持っている。
「ハル、ハル? こっち見て? 俺の目見て」
ふさぎこんだ顔を覗き込む。美陽の声に、服を掴んだ手に、怯える目に、信じる以外の道はなかった。
「分かったから、もう少し話そう? 話せる?」
少しだけ美陽の瞳が上下したように見えた。
「学校、さぼろっか」
その笑顔はいつもと変わらない。無邪気でバカっぽくてわずかな疑いもない。美陽に向けるいつもの笑顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます