2. 昔話
青葉台に入ると公園はすぐに見えてくる。この広場も道路より小高い位置に作られている。小学生の頃は階段まで回り込まなければいけなかったが、高校生になった今なら低い石積みをひょいと上ることが出来た。
「あったあった」
「うわ! 低っ!」
何が楽しいのかケラケラと笑う陽平。まるで小学生と変わらないその姿に美陽が呆れる。そうやく美陽がジャングルジムの傍まで来ると陽平が頂上から笑顔で迎えた。ジャングルジムの下から見上げた陽平は雲の間から滲み漏れる太陽の光を浴び、靄がかかったようにぼうっと陰影を浮き上がらせる。光とも陰ともとれるその姿に美陽が目を細めた。
「やっぱり大人になってからのぼると大して高くないのな」
「大人」と自分で言ってしまうにはあまりに幼いと思ったが、あえて突っ込むことはしなかった。陽平がジャングルジムの頂上から西側を眺める。その視線の先には小さな山があった。山のふもとから頂上へは土を固め丸太でステップを作った階段が続く。子供の足でも三分もあれば登れてしまう。山と言うよりも築山と言った方がいいのだろうか。埋め立てた造成地であるはずのこの地に存在する不自然な山。人工のものとしか考えられないその山の頂上には祠があった。何のための祠なのか、何を祀っている祠なのか聞いたことがない。移住者が多い団地の中で、それを知っている人に出会ったこともない。美陽は山の方を見ようとはしなかった。
美陽が山というよりも祠を避けている事を陽平は知っていた。顔を伏せた美陽とは反対に陽平が山をじっと見つめる。きっと美陽が山を敬遠する理由はここへ来る途中遮った話題が原因だろう。二人で拾った「猫」。美陽が話したがらない二人だけの思い出。それは小学三年生の時だったと記憶している。
あれは今と同じ梅雨に入る前の五月。気持ちのいい小春日和が続いていた。走り回る日などは半袖でも十分なほどに暖かい。小学一年生でこの地に転居してきた陽平と美陽も三年生になる頃にはお互いを親友と認識していた。転校した小学校は全校生徒合わせて100人ほど。家が遠い生徒だと30分ほど歩いて登校してくる。陽平と美陽が住んでいた青葉台からは15分もかからない、比較的近い場所に小学校はあった。しかし青葉台から登校する生徒は当時二人だけ。しかも転居してきた家がほとんどの青葉台の住民にみな馴染みがなく、二人は少し浮いた存在だった。その上美陽といえば東京の大きな小学校からの転校生で、標準語を話す唯一の生徒だっただけに陽平以上に壁を作られていた。言葉と無駄に品のいい出で立ちをいじられては陽平が庇ってやっていた。美陽はいつも陽平の背中に付いて行動するようになっていた。
その日も日中はよく晴れた空が綺麗だった。学校帰りに陽平と美陽が団地の空き地で遊んでいると人為的に置かれた段ボール箱を見つける。子供でもギリギリ抱えられるくらいの箱におそるおそる近づいてみる。最初は空っぽなのかと思ったが、上から覗き込むとそこには猫が一匹入れられていた。子猫ではない。何歳かは分からないがそこそこに大きくなった猫。陽平と美陽が顔を見合わせる。
「猫や! 捨てられとるんやろか?」
今よりも強い方言を話す陽平が興味津々にしゃがみこみ覗き込む。
「そう、みたいだね。ヨウ、どうするの?」
「かわいそうや。飼えへんかな」
「それは無理だろう」と美陽が客観的に考える。陽平の家が許してくれるわけはない。美陽の家も、きっとダメだろう。美陽は幼いながらにそういうところが冷静だった。
「俺、一回相談してくる。ハルも、訊いてみて」
美陽の返事を待つこともなく陽平が家へと走り出す。仕方がないと美陽も家の方向へと向かった。もちろん訊く気などない。それに今はまだ訊く人も家にいない。とぼとぼと帰りながら、家で陽平からの連絡を待てばいいやとぼんやり考えていた。
家に帰り着くなりすぐに電話が鳴り響いた。どうせもう一度出かけるだろうと美陽はすぐに家を出られる態勢で待っていた。早く出てよと急かすようなベル音に受話器を上げる。
「俺んとこあかんって」
考えれば分かることなのに、陽平は希望を持ちたがる。そういうところがいつも美陽には眩しくもうつる。
「俺の家も。ダメだって」
美陽の父親は引っ越してきてすぐに亡くなった。だから母親は遠くの他県まで働きに出ている。その方が給料がいいからだ。いつも帰ってくるのは夜の遅い時間だった。
まだ帰ってきているはずもない親に訊いてみたかのように装ったのは、陽平に気を使っていたからかもしれない。
「なあ、もっかい猫んとこ来て」
そう来ると思った。
「うん、分かった」と伝えて電話を切る。さっき脱いだ靴を履きなおす。急ぐことなくゆっくりと向かうと、あちらは急いできたのかもう待ち合わせ場所に姿があった。
「なあハル」
言いにくそうに、しょぼくれた顔で美陽を見る。そんな顔を見せるのは美陽にだけであったし、その顔を他人に譲りたくはなかった。だからこそ美陽はなんだっていう事を聞く。陽平の望むことをしてやる。
「二人で飼わへん? 秘密で」
どうやって。小学生二人だけで生き物を飼うなんて難しいに決まっている。なのにこの時の美陽は陽平が自分を頼ってくれていることが嬉しかった。二人の秘密が持てるなんて至極だった。
「いいよ。そうしよ」
陽平の顔がぱっと明るくなる。いそいそと箱を抱えると美陽に向き直る。
「どうしよ。どっか見つからんとこに置いてやらんと」
「それじゃあ、あそこは?」
美陽が指をさしたのは団地にある小さな山だった。下から頂上まで階段が続いているが、人がのぼっているところなど見たことがなかった。ただ二人は探検と称してなんども山に登っては遊んでいた。
「ええやん。いっちゃん上に小さい神社みたいなんあったやろ?」
「祠ね」
「そう、ホコラ。そこやったら屋根もあるし」
まるで二人の秘密基地になっているようなその場所に二人だけの秘密を隠した。明日はご飯を持ってきてあげようなどと陽平が楽しそうにする。夕焼けが空に伸び始めて来た頃、その日は解散となった。しかし夜になるにつれワクワクとした心を分厚い雲が覆っていった。
あれだけ穏やかだった天気は急転し、外は土砂降り。激しい稲光を伴う雷雨となった。このあたりでは都会で感じたこともないほどの大きな雷鳴が轟く。近くの山に落ちればめりめりと木が裂け根が千切れる音が生々しく空に響く。陽平は窓に張り付きながら猫の事を思い出した。
「大丈夫やろか」
母親に外に出たいと申し出たがものすごい剣幕で却下された。雨が打ち付ける窓に鼻をぴたりとくっつける。閃光が陽平の顔に走り顔面に濃い影を落とす。どかんと地面が抉られたような大きな音が家をビリビリと震わせた。そんな音に脅える様子はなく、陽平は猫とは別の心配をする。
「ハル、怖がってへんかな」
夜の電話は親に禁止されている。明日は朝一で美陽の元へ行こうと、窓の傍を離れた。
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