オニツキ
明日乱
第一章
1. ハルとヨウ
たとえ陽が何になろうと、何を犯そうと俺はそばにいると思う。
たとえ陽の心を利用したとしても、俺はそばにいたいと思う。
五月に入ると春の初々しさも浮かれだった空気も落ち着いてくる。今年新高校一年生になった
陽平の明るく染めた髪と学ランにパーカースタイルは一年生にしては派手であった。しかし陽平が通っていた田舎の中学校ではそんな生徒は珍しくない。「荒れている」と大人たちは表現することもあったが、学校という箱の中では一種のイケてるオシャレだった。
自転車圏内にも高校がないこの地域では、高校生になると電車通学を余儀なくされる。陽平の入学した工業高校も電車で一時間とかなり不便を強いられるが、その代わり嬉しい事もあった。
「おい、ヨウ。キセルする気じゃないやろな」
改札を入った辺りでそわそわとしている陽平が後ろから声を掛けられる。その声に振り向く陽平の顔は嬉しさがダダ漏れになっていた。
「ハル! お帰り」
「不審者みたいやぞ、お前」
陽平に声を掛けて来たのが同い年の
「失礼な! ハルに怒られたからちゃんと定期買いました」
当たり前のことを自慢げに披露する。しょうもないと美陽がスルーし改札へと向かう。
「前の電車乗ってたん? もしかして1時間待ってた?」
「んー。待ってた! ハルおらんかったから、次ので帰って来るかなって」
美陽がピッとICカードを簡易改札機に当て改札を通る。そのうしろから改札機をスルーした陽平が付いて出て来た。
「あんな、いくら電車乗らんくても勝手に改札通んな。モラルやろが」
咎める美陽の背中を追い越すと、陽平が美陽の前に回り込む。
「ごめんごめんごめん。次から気を付けるし、怒らんとって、な?」
大げさに謝りながら美陽の顔を覗き込む。「怒ってない」と伝えると「ほんまにほんま?」としつこく聞き返す。
「怒ってない。いつも言ってるやろ。俺はお前に本気で怒らん」
「ありがとう、ハル」
陽平の顔がほっとやわらぐ。美陽の隣に並び、歩き始めた陽平の顔は次の瞬間には上機嫌なものに変わっている。さっきまで美陽のご機嫌伺いをしていたのに、コロコロと変わる情緒はどうなっているのかと美陽が呆れる。無愛想な顔で歩く美陽とは反対に、うざったいくらいに明るい笑顔を向けてくる陽平。いつもそんな調子の陽平を煙たがる事無く好きにさせてやっていた。
並んでみると背は陽平の方が少し高い。着崩した学ラン姿の陽平と違い、美陽はきっちりとブレザーを着込む。誰がどうみても優等生の美陽と不良の陽平。不釣り合いに見えるのは他人からだけで、二人の間に天秤もシーソーも存在しない。あるのは心を許した平等な関係性だけだった。
「こうやってまた一緒に帰れて嬉しいなあ」
「家まで20分くらいやねんから先帰っとけよ」
「なんで? 一緒に帰れるならその方が楽しいやん」
二人が住むのは
青葉台へは駅から西に延びるまっすぐな道を歩いていく。道のわきには雑草が茂った更地や古い駐車場、稼働しているところをほとんど見たことがない運送会社が並ぶ。いわゆる
「あの時もこれくらいの時期やったよなー」
突然話し出した話題に、何のことかと美陽が首をかしげる。
「ほら、のどかな日やったのにさ、いきなり台風みたいな大雨と風でさ」
陽平が話そうとしている話題に気付いた美陽の顔が一瞬曇る。
「小学三年くらいやっけ? 二人で猫ひらって小山の上にさ――」
「ヨウ! その話すんなって!」
珍しいほどに声を張り上げた美陽に陽平がびくっと驚く。
「前も言ったやろ」
今度は低く暗いトーンが陽平の腹に響いた。
「ごめん! ほんまごめん、つい口滑って。もう絶対話さへんから」
「ええって謝らんでも。怒ってないから。その話すんの嫌なんやって」
もう一度「ごめん」と言うと陽平がしょんぼりと肩を落とす。そんな陽平の様子に、はあっと息を吐いた。いきなり怒鳴ったことをさすがに悪いと思ったのか、今度は優しい声で提案する。
「まだ時間早いし、公園寄ってこか」
「あ、ええやん! 行こ! 久しぶり」
すっかり元のテンションに戻った陽平が大股で先を急ぐ。そんな陽平に合わせるように美陽が少し歩を急ぎながら付いて歩いた。
二人が団地へ向かい歩いていると、後ろからプップと軽く鳴らした車のクラクションが聞こえた。道路側を歩いていた陽平のすぐ隣に白い軽トラックが停まる。
「陽平に美陽。学校帰りか?」
「うお! 山下のおっちゃん! こんにちは」
大げさに驚く陽平に大口を開け山下と呼ばれた男が笑う。
「ほんまお前らは仲ええなあ。あ、そうや美陽。この前もらった梅酒、うまかったわ」
「いえ、お口に合ってよかったです」
「今度うちで採れた野菜持っていくし、またよろしく頼むわ」
美陽が礼儀正しく頭を下げると山下が窓から出した手を振った。車を走らせ去っていく山下を見送る。
「梅酒って、ハルのお母さんが作ってるやつ?」
「そう。毎年あげてて、山下さん気に入ってるみたいで母さんも張り切ってて」
「へー」と陽平が感嘆をもらす。山下は駅から1キロほど南に行った小田地区と呼ばれる場所に住んでいる。そこは昔からの家が多い。その辺りの住民はみな明るく、青葉台よりも少しあけっぴろげなイメージがある。陽平たちも転校してきた当初、小田地区に住む同級生たちにいろいろとお世話になった。
そんなことを思い出しながら歩いているといつの間にか青葉台のすぐ近くまで帰って来ていた。
二人が公園と呼んでいるそれはバスケットコートほどもないただの広場で、団地の寄り合いに使う掘っ立て小屋と錆びたジャングルジムが一つあるだけの場所だった。しかし幼い頃の二人にとってそこは走り回ったりキャッチボールやサッカーをしたりする場所で、ずっと公園と呼んでいた。
青葉台は元々川であったところを埋め立てた地だと聞いたことがある。住宅地の境目には少しだけこんもりと盛り上がった道路の切り替わりがあり、踏み込んで入るという表現が適当だった。そしてどうしてかこの境目を踏み込むときに違和感を覚えるようになった。小学生の頃は感じていなかったこの感覚はいつから生まれたのか覚えていない。陽平が感じている違和感を美陽が抱いているのか聞いたことはない。
団地に入り網目状に揃った道を歩いていく。隣り合っている家などなく、10m、20m、それ以上距離をあけてぽつぽつと一軒家が建っている。陽平たちのように引っ越してきた家がほとんどだったが、子どもがいる家は少なかった。老夫婦が住んでいるらしいが、休日には外までもれるほどの念仏が聞こえてくる家。玄関に「戦争反対、飢餓のない世界を」と物騒な文字で書かれたチラシが張り巡らされた家。住人に出会った事がない家もある。そんな家々の前を通り過ぎながら思う。陽平が感じていた違和感はきっと顔の見えない住人たち、閉鎖的空間を作り出している青葉台そのものへの薄気味悪さだった。それでも美陽と並んで歩けばそんなことは気にすることもない些細な事だった。
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