第19話 故郷から離れて

 朝早くネットカフェを出て、しばらく喫茶店で時間を潰して駅へ妻と幸之介を迎えに行き、三人で実家近辺へ行く。

 実家には年に二、三回帰る程度だが、生まれ育ったこの地域に来ると、いつも時の流れを感じる。

 僕の中で実家近辺の風景は子供の頃に固定されてしまっていて、実際には変化している風景と自分の記憶に残る風景とをいちいち照らし合わせずにはいられない。

「あ、ここ、こんな店ができた」

「あれ、あの家、なくなったな」

 いつもこんなことを言いながら実家近くを歩く僕を、この地域を全く知らない妻と幸之介は醒めた表情で見ている。

 この場所で学校帰りに友達とケンカしたことや誰と一緒によく帰っていたかなどということも急に思い出し、語りたくなってしまうが、妻と幸之介はそんな僕のオチのない思い出話を聞きたがらない。

 多分、ずっと実家やその近辺に住み続けていたら、こんな話をしたくなったり、昔の自分がよく知っている風景からのあまりの乖離に不思議な感覚を味わったりはしなかっただろう。

 故郷から離れない同級生が多い中、僕は昔からこの場所を出たかった。今の自分が嫌で別の自分になりたかったというのもあるし、生まれ故郷にずっといる人生というのは想像するだけで窒息しそうな気がした。色んな世界が見たかった。

 それは実現して、今、実家へ帰るたび、家を出るまでの時代に記憶を固定されてしまった実家近くの風景と実際の風景とを照らし合わせる脳内作業を楽しんでいる。


 宿などで会うと、気さくに話し掛けてくる欧米人旅行者は多い。

 ドミトリーで同室になると、こちらの英語が拙くても、簡単な英語だけで仲良くなれる。

 しかし、欧米人皆が気さくなわけではない。日本人と見ると英語ができないと決めつけ、あるいは東洋人に対する差別意識があるのか、ひどい時には話し掛けたり挨拶しても無視されることがあった。

 バンコクでも、旅行者向け屋台で相席になった欧米人に軽い気持ちで、おすすめの宿はないか、と尋ねてみると、僕の顔も見ずに鼻で笑いながら、

「俺は日本語ができないんだ、カオサンロードへ行けば日本人がいっぱいいるから、そいつらに聞け」

 と、わざと音節を区切った不自然にゆっくりな英語で、吐き捨てるように言われたことがあった。日本人は日本人としか喋るな、と言うわけだ。

 日本国内での今までの人生と同じように、僕のキャラクターや雰囲気が原因で遠ざけられているのではなく、彼が日本人と関わりたくないだけだ、とは分かるが、相手の姿を見ようとも知ろうともせず、日本人というだけでコミュニケーションを拒む人間に対して、日本国内で感じるものとは別の種類の悲しい気持ちになった。

 長い旅行中は思わぬ出会いの喜びもあったが、こんな悔しく悲しい思いもよく味わっていた。

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