第16話 地図

 配達への出発前の朝、グーグルマップの住宅地図をパソコンの画面上で見ながらルートを確認する。

 最短ルートを示してくれるので配達員はそれに従えば良く、考えなくても済む。

 それでも一応、出発前に道順を確認しておき、時間ロスが生じないよう努める。カーナビにもルートを入れ、スマートフォンでも道を検索できる。二重三重に安心だ。

 二十年以上前に配達の仕事を始めた頃は、道順を間違えないよう何度も暗唱して記憶したり、曲がるポイントをメモに箇条書きしたりしていたことを思うと、隔世の感がある。

 パソコンの地図を見ていると、異国の地図を眺めながら、あるいは世界地図を見ながら、この先どこへ行こうかと計画を練っていた頃のことが不意に蘇ってくる瞬間がある。

 あの頃と違うのは、あの頃はどう行っても良く、どう進んでも自由だった。

 日本との関係でビザが取りにくい国や、内政が安定せず危険な地域などは避けざるを得なかったが、選択肢は無限だった。

 二十五歳の時、ルート配送の仕事を辞めたことをきっかけに、長い旅へ出ていた。

 社会からインターバルを取りたいという気持ちが強く、逃避的な要素の強い行動だったが、純粋な好奇心もあった。

 まずは神戸港から船で中国・上海へ上陸し、中国国内を南下し、雲南省からベトナムへ下り、東南アジアを回った。

 大体西の方向へ進んでヨーロッパあたりまで行くつもりで日本を出発したが、どこを通って行くか、など細かなことは決めていなかったし、旅行しながら次の行き先を常に考えている状態だった。

 当時は携帯も持たず、荷物は必要最小限にしていたので、地図もガイドブックもなかった。たまに大きな街でその国の地図や世界地図を見つけると、食い入るように見つめるのが常だった。

 中国で東アジア一帯の地図を見ると、中国周辺のベトナム、朝鮮半島などの国々は中国の一地方、または中国の属国であるかのような描かれ方をしている。属国には日本も含まれている。

 実際、歴史上は中国大陸の王朝に朝貢していた時期が長かったので、中国から見た日本を含む周辺諸国はいまだにそういう存在なのだろう、と思わせる。

 ベトナムからカンボジアを通ってタイに入り、夏のバンコク・カオサンロード付近のデパートを涼みがてらうろうろしていて文房具コーナーで地球儀を見つけ、目が止まった。

 日本を出発してからの自分の足跡を地球儀上で振り返り、これからどこへ行こうか、と思いを馳せる。今まで訪れた国・地域と行っていない国・地域を確かめる。

 その時点で回った国は、中国、ベトナム、カンボジア、タイ。日本を出て三ヶ月が経とうとしていたが、世界のごくごく一部しか見ていない現実を突き付けられ嘆息する。

 安宿や旅行代理店が建ち並び格安航空券も買えるバンコクは、長い旅の中で数多くの旅行者達が立ち寄り休憩し、旅行者どうしで交流し情報を交換し、体勢を整えて再び旅へ出たり、バンコクを最後に祖国へ帰る人も多い旅の交差点でもある。

 そんな街で、地球儀の前に足を止めて延々と見入ってしまっていた。

 その後も、世界のありとあらゆる土地で地球儀または世界地図を見つけては思いを巡らせていた。どこへ行っても地球儀は同じだが、見る時の場所や状況によって違った思いが生まれた。

 世界地図には、その国の主観が大いに図面の配置に反映される。ミドルイースト(中東)ファーイースト(極東)とは欧州を中心として見た地理感覚で、欧州で見る世界地図では日本列島は右端に描かれ、文字通り極東に位置している。

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