第12話 買い物
森下とは互いの実家が近く、小、中学校で何度か同じクラスになったが、仲良くなったのは同じ高校へ進学したことからだった。
その高校へ、出身中学からは森下と僕しか行かなかった。森下と僕は、高校で同じように落ちこぼれた。
森下は僕と違って運動はできたのでテニス部に入り、彼女も作って楽しくやっていた。
僕は森下から女の子を紹介されたことが何度かあったが、いずれもうまくいかなかった。
高校の頃の僕は小学校時代からのコンプレックスが積み重なり、自分の行動を縛る重石のようになっていて、何事にも自信がないことに加えてひがみっぽくなり、必要以上に卑屈になり、何かうまくいかないと、やっぱりダメか、と自暴自棄な気分に陥りがちだった。
部活にも入らず、アルバイトを始めても怒鳴られるなどして続かず、この先の人生をどうやって生きていけば良いのか、お先真っ暗な気分に覆われていた。
そんな自分の卑屈で情けない悩みを、森下にだけは打ち明けることができた。
高校卒業後、互いに大学へは進学せず、森下は一時上京していたが、数年後に帰って来て、工場へ就職していた。何年かに一回は、会って交流を続けていた。
森下は二十代後半で結婚し、二人の子供をもうけた。上の子供はもう高校を卒業する年代だ。
僕の方は、落ち着いた人生に持って行くまでにもう少しの時間を要した。
緘黙についての本を熟読した僕は、本に書かれていることを参考にして、幸之介に色々と働き掛けてみようと思った。
例えば、買い物へ行く時に支払いをさせるなどして、少しでも人と関わってもらおうと考えた。
お金を渡してお釣りを受け取るだけのやりとりにも人と人とのコミュニケーションが含まれているとのことで、そう思うと今の僕の単調な仕事も、確かにたくさんの人達と関わっていて、実は荷物とともに見えないエネルギーの受け渡し、やりとりをしているのかも知れない、と思えてきた。
相手が受け渡しを拒否すれば成立しないし、そこには信頼関係がある。
支払いをさせる意味も、買い物を通じて信頼関係を学ぶことができるからだそうだ。
何かにつけて自分に自信がなかった若い頃は、買い物するたびに店員のちょっとした態度や声のトーンに、見下されているように感じたり、非難されているように思えて傷付いたり落ち込んだり、罪悪感を覚えたり腹が立ったりした。
買い物ひとつで良い気分になったり、落ち込んで自分の存在を消したくなるような時がある。
今は良くも悪くもマニュアル化が進んだせいで、全てにおいて物腰の柔らかい対応が増えているが、昔は個性的な店員がたくさんいて、あからさまに高飛車な態度を取る店員や驚くほど無愛想な店員が珍しくなかった。
僕が小学校低学年の頃は、よくお遣いに行かされた。その時接する大人の言動に、怖くなったり圧倒されたり傷付いたりした。
時代が変わり、今は親が子供にお遣いを頼む、ということは、ほぼないのではないか。
危険な犯罪が増え、親は常に子供から目を離さない癖が付いている。しかし一緒に買い物へ出掛けて、レジでの支払いを幸之介がするというのはありだろう、と思った。
スーパーへ行った時、早速試してみようと思い、買い物カゴに品物を入れ終えると千円札を幸之介に手渡し、
「今日は幸之介がレジに行って来てくれるかな、お父さんはちょっとトイレに行って来るから」
と言ってみるが、急に言われた幸之介はびっくりしたらしく、戸惑っている。
「何で?トイレへ行くんだったら待ってるよ」
と断ってきた。
そう言えば、僕も小学生の頃、急に馴染みのない店へのお遣いを言いつけられて断ったことがあった。
そんな時、昔の親は怒ったものだが、怒られると、悪いことをしたような、自分が小さくなるような気分になってしまう。
緘黙を克服するためのトレーニングのつもりでやっているので、断られても腹は立たないし、昔の親がしたように、怒ったりするべきではないと思う。何でも、押し付けられるとやりたくなくなる。
「ちょっと払うだけだよ」
と言ってみるが、それが幸之介には重い。
緘黙の本にも、無理なく、と書いてあった。ここはあきらめて、
「じゃあカゴ持って、待ってて」
と幸之介にカゴを渡し、トイレに立つ。
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