第8話 職場での会話
学期ごと、通知表には毎回、元気がない、とか、消極的、活気がない、逞しさ不足、などと書かれ、それを見た親は心配し、僕に厳しく当たった。
運動遅滞児、と呼ばれるスポーツが苦手な子供ばかりを集めた運動教室へ強制的に連れて行かれたこともあった。
面談で教室の先生は、体育のどういうところが苦手なのか、決して問い詰める感じではなく、純粋に、知りたい、教えて欲しい、という態度で、尋ねてきた。
怒ったり怒鳴ったりせず問い掛けられたので、僕も冷静に考えることができた。
身体を動かすことそのものを嫌っているわけではない。上手い下手があること、勝ち負けがあること、勝つために必死になったり喧嘩腰になることや味方の失敗を許せなくなること、そういった空気が体育の時間全体を覆っている。
僕の場合はチームプレーが上手くできず、味方から罵られることが多い。徒競走などの個人競技は、タイムなどを比較されるのは嫌だが、苦ではない。団体競技、特に球技は僕にとっては地獄でしかなく、早く終わることを願うばかりの気分になる。
そうした思いを自分なりに整理して
「走るのは好きだけど、球技は失敗したらボロカスに言われるから嫌いだ」
と説明することができた。
よくよく考えてみると、球技も、ボールを使って身体を動かすこと自体が嫌いなのではなく、自分が上手くできないことで味方チームに迷惑が掛かってしまうことや、上手い下手を評価され比較されること、それによって罪悪感や無力感、疎外感、劣等感、屈辱感を覚えるから嫌になっていたのだ。
先生に対して説明しながら、自分でも今まで意識せず、ただ嫌がっていた、怖がっていた体育に対しての自分の感情を理解していた。
僕はいつになく雄弁になっていた。
大人相手にこんなに多弁になることは自分でも珍しいと思った。
親でも先生でも、大人に対する時は上から見下ろされ押さえつけられるような感覚があったが、目の前のこの先生からは圧迫感を全く受けなかった。
今思えば、その先生は運動ができない子への教育方法を熟知していて、子供に心を開かせる聴き方をしていたのだろう。結果、僕も自然と話すことができた。
学校の先生や親や近所の大人など、初めから見下ろしたり威圧してくる相手には、ちゃんと話すことができないし、声も小さくなった。
「この子は、この教室へ来る必要はありません」
面接室を出た先生は、両親に伝えていた。
僕は実際にはその教室へ通うことはなかった。
斎藤の話の聞き役を自任する僕だが、僕自身、この職場で特に誰と仲が良いというわけではなく、満遍なく誰とでも話すというわけでもない。
あえて言えば、誰とも仲良くない。誰とも職場の外で会うことはなく、誘ったり誘われたりすることもない。しかし職場で孤立しているわけでもないとは思う。
配達中は単独行動であり、配達先との会話もほぼなく、人間関係のない世界にいると言えるが、営業所へ帰ると薄いながらも同僚や上司、後輩らとの継続した人間関係がある。
年代は様々だが、皆同じ仕事をしているという絶対的な共通の話題があり、日頃の互いの配達の話を交換していれば最低限の会話は成り立つ。
皆同じように時間の余裕がなく、昼食を食べられるかどうかのすれすれのところで頑張っている。誰もが日々の配達をスムーズに進め、迅速に終わらせたい。勢い、同僚間での配達先の情報交換に夢中となる。
職場の同僚と、友情と言うか、もっと太く強い絆を作ろうと思うと、仕事に加えて共通の趣味などが必要になるようだ。
愚痴の多い齋藤もゴルフが趣味で、僕も何度か誘われたが、家庭を盾に断っている。多分、一生やることはないと思う。
運動神経が鈍いので、きっとゴルフもダメだろうという確信めいたものがある。
少し下手なぐらいなら笑いのネタにもできるが、僕の運動能力は、ゲームの進行に支障をきたし、競技が成立しないレベルだ。仮にゴルフをやってみれば、いつまでも空振りするか、いつまでもバンカーから抜け出せないようなことになると思う。
今まで、スポーツでは、野球では球が届かない、サッカーではドリブルができずボールがあらぬ方向へ転がる、テニスや卓球ならラケットに当たらない、バレーならサーブが入らない、というような、競技以前の問題ばかりだった。下手でも、競技に参加できる限度というものがある。そこからすら逸脱しているのを小中学校の体育の時間で痛いほど、泣くほど味わっている。
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