第7話 参観で気付いたこと

 僕の小学校時代は各学期に一度ずつくらいしか参観はなかったと記憶しているが、幸之介の小学校では毎月参観がある。

 僕達夫婦もそうだが、子供の様子を詳しく知りたいと思う親が昔よりも増えているのだろう。

 妻がこの四月から週三日パートを始めたので、交代で行くことになった。

 日曜出勤がある代わり、平日に休めるので、以前から参観には時々顔を出していたが、世間一般の平均的な父親というのはもっとバリバリと働いているのか、いつ行っても母親ばかりで、父親の姿は僕以外には、いても一人ぐらいだ。

 お母さんどうしが友達のように会話する中、気まずさを覚えながら教室の隅に立ち、何か固まっている感じで座る我が子の姿を後方から眺める。授業中は、子供達の話し声で騒がしい。それに母親達の話し声も加わる。

 僕の小学校時代よりも、皆授業中でも自由に喋っているように思う。昔と違うのは、大声で喋っていても、今の先生は注意しない。

 授業と関係のない私語の場合だと、その話は後でしようか、と優しく注意をするようだが、基本的に授業中は言いたいこと、思ったことを何でも言える。

 大体、どの子のお母さんがどの人か、少しは分かってきて気付くのは、口が達者な親の子は口が達者になる方法など教わらなくても勝手にいつの間にか口達者に、無口な親の子はほぼ自動的に無口で静かになってしまうらしいということだ。

 こういう子になってもらいたい、と思っていても、親から、あるいは祖先からの遺伝子がその子を勝手に突き動かす。

 遺伝子は常に再生産され歴史を繰り返している。そう思うと、千年、二千年前も今も文明や環境は大きく違っても人間は大して変わっていないのかも知れない。

 神秘的であり不思議であると同時に、どうしようもないようなあきらめのような心境にもならざるを得ない。

 騒がしい授業中でも、幸之介はじっと黙って先生の話を聴いている。

 参観が終わり、一日の授業が終わって、帰り道は幸之介と一緒に歩いて帰る。

「みんな、授業中たくさん喋り合ってるなあ」

「うん。ちょっとうるさい」

 幸之介は苦笑いのような笑みを浮かべる。

 幸之介ももっとみんなと喋ったら…、とか、昔僕が学校の先生に言われたようなことを口にしかけて、はっとする。

 いけないいけない。そんなことを言われたら嫌に決まっているし、ますます喋れなくなる。自分が言われたことをそのまま言うのは、同じことの繰り返しになってしまう。もし幸之介が緘黙だったとしたら、絶対に口にしてはならないことでもある。

 先日、妻が漏らした幸之介が緘黙かも知れないという不安について見極めるつもりで参観へ行ったが、何とも言えない、というのが僕の感想だった。

 教室から校門まで幸之介と一緒に歩く途中、仲の良い友達は幸之介に「バイバイ」と声を掛けてくれ、

 幸之介も声は小さいが、「バイバイ」と返し、終始受け身ではあるが、数少ない友達はいて、校門まで友達と歩く間は、口数は少ないがニコニコ笑っている。

 多分、心の中は明るい。

 もともと、明るい子だった。だんだんと口数が少なくなっているので、そのうちみんなから暗いと言われるのでは、と心配にはなるが、静観するしかないだろう。

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