不器用な約束
うちのトガリマサカリハリセンボンは、たぶん頭があまりよくない。
とはいえトガリマサカリハリセンボンというだけにちょっと危険な生き物だから、多少の躾は試みた方がいい――僕がある日突然そう思い立ったのは、宅配便を受け取りに行った際、来客にテンションの上がったトガリマサカリハリセンボンが甘えて僕の脛に全身を擦り付けたことがきっかけだった。そのせいで脛やら三和土やらが血だらけになって、業者の人にドン引きされたのだ。
そういうわけで、僕はトガリマサカリハリセンボンに「待て」を教え込んだ。ただ普通の犬を相手にするのとはわけが違う。「待て!」とだけ指示しても、トガリマサカリハリセンボンは待たない。
「いいかい? 僕が戻ってくるまでここで待ってるんだよ。一緒に玄関に来ちゃダメ。約束してね」
と、幼子に語りかけるようにするのだ。そうすれば、トガリマサカリハリセンボンは待っていてくれる。丸い風船みたいな体が空中に制止してぷるぷるしているところは、なんとも愛らしい。
その日もピンポンとインターホンが鳴ったので、僕は例によって例のごとくトガリマサカリハリセンボンに「待ってるんだよ。約束だよ」をさせ、一人で玄関に向かった。ドアの向こうに立っていたのは、宅配業者に変装した某国のスパイだった。玄関のドアが消し飛ぶ寸前、僕はスパイの首をへし折り、家から飛び出した。
戦いが始まった。僕は正体を隠しながら各国を渡り歩き、血を血で洗う戦闘を繰り返し、敵の四天王を打破し、敵のボスがかつて僕と母を捨てた実の父親だったことを知り、しかしそこにはそれなりの事情と両親の愛があったことをも知り、しかし何だかんだで父を倒している間にまったく別の抗争が勃発していて、何だかんだで数年間も争いの中に身を置くことになった。ようやく故郷に戻ってみると、そこはもうとっくに廃墟と化していたのである。
「ずいぶん変わっちゃったなぁ……」
そんなことを呟きながら、瓦礫の中を歩いた。僕の足は自然と、かつて住んでいた家があったあたりに向かっていた。やがて向こうにある朽ちた壁の間に、何か丸いものが浮いているのが見えた。
僕は走り出した。それは僕がかつて「待ってるんだよ」と指示を出したままの、僕のトガリマサカリハリセンボンだったのだ。あれから何年も経つというのに、トガリマサカリハリセンボンはあの日のまま、まん丸になってぷるぷると浮かんでいた。
なんてことだ。僕の指示を守り続けていたなんて、なんて素直で不器用で、いとおしいやつなんだろう。
「おーい! ただいま! もういいよ!」
僕がそう叫ぶと、トガリマサカリハリセンボンは待つのを止めた。そして僕の方めがけて、一直線に空中を泳いできた。
僕はトガリマサカリハリセンボンを抱きしめた。トガリマサカリハリセンボンの鋭い胸びれが僕の胸を貫き、危うく死ぬところだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます