本編
翌日、私は彼女の足跡を辿ることにした。彼女は一体何を求めて商店街をさまよっているのだろう。何にしても彼女の情報が必要だ。
商店街に入り、聞き込みを開始した。突如商店街の中をビューっと一筋の風が吹き抜けて、体に寒気を感じた。どこかで異変が生じているかもしれない。彼女が来ているのだろうか。
たまらず商店街の隅に避難した。避難先には看板が掲げられていた。美容サロン、リッチ。奥の階段を登った先にお店があるようだ。すると階段からコツコツと足音が聞こえてきた。誰か降りてくるみたいだ。僕は目を合わせないように階段の陰に隠れた。
足音が大きくなってくる。降りてくるのは人だろうか?それは人に決まっている。しかし、さっきから心臓がバクバクと音を立てている。ここから逃げ出したい気分だ。
階段の裾野から足が見えた。女性の足だ。淡いピンク色のスカートを履いている。何だ、ただの客が階段から降りてきただけか。ほっと一安心して顔を上げると、彼女の横顔が見えた。顔の目の辺りが醜い真っ赤なアザで覆われている。思わず目を伏せてしまった。あれは人に殴られた跡か、それとも病気か何かだろうか。
彼女は階段を降りると右手の方へ歩いて行った。僕は聞き込みをするために急いで彼女を追いかけた。彼女の進む先に回り込んで振り返った。それから意を決して彼女に話しかけた。
「あの、ちょっといいですか?」
「何か?」、彼女は笑顔で返事を返してきた。彼女の顔を見ると、アザのようなものはどこにも見当たらない。美容サロンに通っているせいだろうか、肌も白く透き通るように綺麗だ。
「すいません、ちょっと人違いで」、そういうと僕はその場を離れた。さっき見たものは何だったのだろう。目の錯覚だったのか。遠くでクスクスと女の笑う声が聞こえた気がした。
商店街を奥に進むと、中央に綺麗な反物を飾る店が見えてきた。呉服屋と書いてある。店の正面に2人の女性が話していた。片方は店の人だろうか。声をかけてみた。
「こんにちは、ちょっといいですか?この辺りでみすぼらしい身なりの女性を見かけませんでしたか?」
僕が尋ねると、2人はギョッとして早口で話しだした。
「ああ、見たよ。気がついたら店の脇に立っていたんだ。なんか店の隅の方をずっと見ていたんだよ、声をかけようかと思ったら風が吹いてね、気がつくと居なくなってたんだ。」、そういうと彼女は店の隅を指差して彼女の見ていた方角を教えてくれた。店の隅には赤いちゃんちゃんこが飾られていた。どうやらサイズ的に子供用のようだ。
商店街の出口の方に八百屋があった。店の人に話しを聞いてみた。
「ああ、噂の女性ね。私も見たよ。そこの軒先で野菜をじっと見ていたね。お腹が空いていたのかね、何か欲しいのかいと聞くと凄く怒って出て行ってしまってね、それから彼女を見ていないんだ。あれは一体何だったんだろうね。」
そう言って店主は店の軒先を指差した。軒先には大根や菜っ葉に芋が並べられていた。
商店街の出口に着いた。なるほど彼女の情報が集まってきたぞ。彼女は子供を探していた。それから野菜を欲しがっていたのかもしれない。しかし彼女の求めているものは結局なんだろう。何を上げれば商店街の異変を解消してくれるだろうか。これでは全く分からない。私は途方に暮れて近くの石を蹴飛ばした。
「そこで何をされていらっしゃるのかな?」、ビクッーー、後ろから声がかかった。私は幽霊を見たかのように驚いてしまった。
後ろを振り返るとほうきを持った年配のおじいさんが立っていた。身なりから推測するに神社の住職だろう。
「す、すいません。私は怪しいものでは…」、ま、まずい、ここは神社だったんだ。石を蹴ったことを怒られる。この場から走って立ち去ろうか、もじもじとしていると住職が口を開いた。
「あまりにも寒そうにしているので声をかけたんですよ、どうです神社の休憩所で少し暖まっていかれては?」
住職は私の姿を見て気にしてくれたようだ。確かに、私は商店街の聞き取りでたくさんの異変に触れたせいか、もはや凍えそうな程に体が寒くなっていた。
「そ、そ、それなら是非お願いします。」
「こちらへどうぞ」、住職は私を神社の休憩所へと案内してくれた。
休憩所へ着くと、私は椅子に腰掛けた。住職が暖かいお茶を持ってきてくれた。私はお茶を飲むと、体がほっと暖かくなり全身から気が抜けるのを感じた。ほっと温まる一杯だ。
「どうです?落ち着かれましたかな。甘酒もありますよ。いかがですか?」
「そ、それじゃ一杯だけ。」
私はご厚意を受けて甘酒もご馳走になった。これも疲れが取れる一杯だ。
「お、美味しいです。」
「そうですか、ようやく緊張が取れたようですな。何やら思いつめたような顔をしておられたので、何かあったのですか?」
「ええ、実は最近商店街に現れるという女性のことを調べていまして。」
私がそういうと、住職はハッとした顔をして私の顔をじっと見たのだった。
「失礼ですが、その女性というのはひょっとして子供を探していませんでしたか?」
「ええ、そうですよ。子供の服とか人形を見ていたようです。なぜそのことをご存知なのですか?」
「やっぱりですか」、住職はそう言うと、両手で顔を覆い下を向いてしまった。
「その女性は私のご先祖様なのです。」
「こちらへどうぞ。」住職は神社の境内に入り、奥の部屋に案内してくれた。住職は部屋の木箱から古い巻物を取り出した。少し年代物の、布で織られた赤黒い巻物だ。住職は封を解いて机の上に巻物を広げた。巻物には一人の女性の見返り姿と一人の女の子の絵が描かれていた。女性は片方の目に髪が被さって顔の半分しか見えなくなっていた。女の子は女性と手を繋いでいる。髪の長い可愛い女の子だ。これは江戸時代に描かれた絵だろうか。浮世絵のような巻物だ。
「これは当家に伝わる家宝でして、描かれているのは家の祖先にあたります。話すと長くなりますが、これは家に伝わるとても悲しい話なのです。」
そう言うと、住職は話を始めた。何でも、絵に描かれている女性はとても美人だと世間でも評判の女性だったらしい。女性は嫁ぎ先で女の子を授かったが、家の旦那は気性が荒く、女性の片目を殴って大きな痣を作ったと言う。女性は綺麗な顔を台無しにされた挙句に身なりの悪い女はいらんと家まで追い出されて、散々な目にあった。それで美人の姿を残すために絵が描かれたのだろう、ひょっとして有名な絵師の物だろうか。その後彼女はさらに数奇な運命に翻弄される。その年は稲が実らず、米麦の価格が暴騰したらしい。大飢饉というやつである。人口の大半が餓死で失われてしまうその年の飢饉では、女性は子供に食べさせるものが無かった。彼女は病気で子供を失ってしまったらしい。
「そ、それは、悲しかったでしょうね、グスン」、私は涙が止まらなかった。
「きっと無念が残っているのでしょうな、今でもこの辺りをさまよっているのですよ。さあ、彼女のためにひと仕事しましょうか。」
そういうと住職は巻物をしまい、すっと立ち上がった。
「さあ、供養の時間です。」
住職の教えてくれた話では、彼女は食料を求めて商店街をさまよっているのだろうということだ。僕らは商店街から人を集めて、彼女のためにたくさんの米を炊き、それをおにぎりにした。それから大釜を用意して大根を炊いた。それに味噌を付けて商店街のみんなにも振る舞った。火を焚いて夜間も明るく火が絶えないようにした。宴は一晩中続いた。
私と住職は神社の近くにある供養塔に出かけた。大飢饉の犠牲者を弔うために建てられた供養塔だ。何でも飢饉の際には米と味噌が足りず、多くの者が食料を失って餓死したということだ。供養塔は犠牲者を弔うために建てられた古い建物だ。
私はお地蔵様の脇におにぎりと味噌大根をお供えした。それから買ってきた赤いちゃんちゃんこをお地蔵様に着せた。何と無く、お地蔵様の顔が安らいだように見えた。もちろん怒った顔をしたお地蔵様など見たことはないのだが。すると突如供養塔の周りにヒューっと軽やかな風が吹いた。私は何だか寒気が引いて体が暖かくなった気がした。何だか嬉しくなり、お賽銭を多めに入れたくなった。遠くで子供達のはしゃぎ声が聞こえてくる。
私は住職に礼を言うと、供養塔を後にした。それから商店街の方へ引き返した。商店街を歩いていると、店に活気が戻っているような気が…あれ?しないな。商店街はいまだに閑散とし、冷たい風が吹き抜けていた。照明は暗く点滅し、通路は汚れて嫌な匂いがする。ひょっとして、まだ終わっていないのか?
その時、通路を赤い服を着た女の子が横切った。女の子は脇の通路に入っていった。女の子を追いかけると、いない、見失った。さらに通路の奥に赤い影が見えた。女の子は歓楽街の方へ向かって移動しているようだ。私は小走りで女の子の後を付けていった。女の子はスナック-コメの路上看板があるお店の角で消えてしまった。私はそのスナックの前で立ち止まった。
「おい、お前のせいで客が減ったじゃないか、一体どうしてくれるんだ!」、スナックの中から怒声が聞こえてきた。私は一瞬驚いたが、恐る恐るスナックの中へ入っていった。声のする方へそろりと進んで行くと、男が女性の前に立っていた。男は羽振りの良さそうな服を着た強面の男だ。きっとこの店のオーナーだろう。
「す、すいません、私は何も悪いことは」、女性はドレスを着た女だ。きっとこの店の従業員だ。
男は続けて女性に怒声を浴びせていた。どうやら怒りが収まらないようだ。男はとうとう女性の胸ぐらを掴んで引きずり寄せると、女の首を掴んで拳を宙に振り上げた。一瞬、女性の顔が着物を着た女性の顔に見えた気がした。私は咄嗟に椅子を手に持つと、椅子を押して男に体当たりをした。
「逃げて、逃げて、いいからとりあえず外に逃げて。」僕は女性に外へと逃げるように促した。女性は一瞬驚いた顔をしたが、状況を理解すると頷いて外へ出ていった。僕は椅子越しに男と距離を取った。椅子越しに相手に掴まれないように、左へ右へ椅子の周りをぐるぐると距離を取った。「てめえ、なんだこのやろう!」男は叫んだ、一瞬男の顔が江戸時代の武士の顔に重なって見えた。僕は目をこすってもう一度男の顔を見た。男はどう見ても現代のスーツを着た強面のヤ○ザだ。
「お前なんでこの店に入って来た、なんのつもりだ、どうなるか分かってんだろうな」、男は胸元に手を入れた。取り出すのはナイフかチャカか、どっちだろう。恐怖で頭が真っ白になった。その時、空いた棚からコップが滑り落ちて来て、ちょうど男の足元に転がった。男はコップを踏むと体制を崩して転倒した。これはチャンスだ、僕は身を翻すと、大急ぎで店の外に逃げ出した。
そうこうしていると人が集まってきた。騒ぎを聞いて何事かと集まってきたのだ。店のオーナーは外に出てこなかった。
遠くでパトカーの音が近づいてきた。女性が警察を呼んだのだろう。これでとりあえず一安心だ。
夜の商店街は昼間よりも一層人気がない。通りは暗く、店はもう閉まっている。
あれから警察が来て大変だった。警察は店のオーナーを取り締まるとパトカーで警察署へ連れていった。私も事情聴取で警察署へ呼ばれてしまった。後で聞いた話だと、店のオーナーは覚醒剤をやっていたらしい。確かに、少し様子がおかしいように見えた。店の女性はオーナーに何かと因縁をかけられ、強いハラスメントを受けていたらしい。あのままでは顔に傷が残るところだった。女性は無事に店を辞めて、同業者の違う店に引き取られたようだ。
路地裏に赤提灯が点灯した居酒屋が見える。数人の客が暖を取っているようだ。この辺りは道路が綺麗に整備されており、店の中からは何だか良い香りがする。どれ、私もひとつ商店街名物の海老天をいただくとするか。
私が居酒屋の前を通ると、突如商店街の中をビューっと一筋の風が通り過ぎた。居酒屋のドアがガラガラと開いて、一人の女性が出て来た。女性は私の顔を見ると、なぜか笑顔で微笑んだ。まるでどうぞと店の中へと案内してくれたようだ。扉の脇から一人の子供が飛び出して来た。女の子だ。女の子は私と目が合うと、きゃっきゃと笑い手をパチパチと叩いた。女の子はママの手を引っ張ると、2人は仲良く商店街の奥へと消えていった。
歩いていたら寒くなったので異変を探してみた @darefumi
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