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「訳が分からん」
ひとしきり事情を話し終わると、電話口の水脇は平たい声で言った。
「何がどうなったらお前、そういうことになるんだ」
明らかに呆れていた。
「そもそも、何でその場で断らなかった」
「こう、何か――どうも、ためらわれて」
やれやれという言葉が聞こえてきそうな溜息の後、
「今すぐ断れ。時間の無駄だ」
水脇はばっさりと言った。
「藤池光彦は黒だ。そのことは俺たちが一番分かってる。そうだろ」
「それは、はい」
「だったら時間の無駄だろ。何で調べ直す必要がある」
「まあ、それはそうなんですが」
歯切れの悪い返答しか出てこない。
「何うじうじ悩んでんだよ。悩むとこねえだろ」
「そのはずなんですけど」
水脇の声に剣が混じる。。
「お前、まさか疑ってんのか?」
「何を?」
「冤罪を」
「それはないです」
自分でも驚くくらいの大きな声が出た。
「藤池光彦に限って、それはないです」
あの日の光彦をこの目で見たのだ。間違いない。
「じゃあお前、結局何なんだよ」
お手上げというふうに水脇はぼやく。
「罪滅ぼしになるかなと思って」
咄嗟に出てきた言葉がそれだった。
「なんて?」
「罪滅ぼしです、その、藤池光彦の遺族に」
水脇は黙りこくった。徹は無言を埋めるように言葉を足した。
「何かをすべきなんじゃないかって、ずっと思ってきたので」
「テツ」
重たい声がした。
「お前、何か悪いことしたか?」
沈黙が落ちる。部屋の冷房の送風音が際立つ。
「犯罪者かお前は? 違うだろ? 自分の仕事をしただけだろ?」
強い語気だった。
「今もし、あの時と同じ状況になっても、お前は追うだろ」
裁判の前も、終わってからも、何度も反芻したことだった。あの時の行動に何か過失はなかったか。あれが本当に最善の選択だったのか。
答えはいつも同じだった。
「自分は悪くないってこと忘れるな。罪滅ぼしも糞もない。滅ぼす罪がねえんだから」
水脇の言葉にはがさつな暖かさがある。
「大体が、よりによってなんでテツに頼むんだよ? そこからおかしいだろ」
「まあ、それはそうなんですが」
「何か、企んでんじゃないか?」
「それはないと思います」
はっきり否定しても、水脇は納得できないというふうに鼻を呻らせる。
「逆恨みされてるかもわからんぞ」
「大丈夫ですって」
「ちゃんと身の回り、気い付けろ」
「はい。気を付けはします」
数瞬、会話が途切れた。
「いやあしかし、さっきは驚いた。携帯二度見しちまったよ」
「ほんとに、急にすみません。仕事中でしたよね」
すると水脇は得意げに、
「別に、管理職は暇だから」
「ああ、副店長就任。おめでとうございます」
「んだよ、知ってんのか」
水脇は口を尖らせる。
「上司から聞きました」
青柿はちょくちょく水脇とやり取りをしているようで、そこで得た水脇に関する最新情報を時たま徹に教えてくれる。警察を辞めてから勤めていた地元のスーパーの副店長になったのは半年ほど前だったはずだ。
「お前のこともよく聞いてるよ。使える部下だとさ」
「それは光栄です」
しばらく二人で笑った。
「出川さんは元気か」
「ええ。最後に会ったのは四、五カ月前ですけど」
「赤坂かどっかの交番だったっけ」
「赤坂見附です」
そうか、見附の方かと水脇は呟く。
三年前に警視庁捜査三課を定年退職した出川は、すぐに交番相談員として再就職を果たした。出川が刑事に推薦したのが水脇で、水脇が刑事に推薦したのが青柿。つまり青柿は出川の弟子の弟子にあたる。徹は師弟関係からは漏れているものの、水脇経由で親しくしている。
「ちょっと俺は意外だった」
水脇は言った。
「そんなに警察に未練があるような感じじゃなかったろ」
「確かに。てっきり隠居して読書三昧かと思ってました」
「同じくだ」
刑事ほど読書に向かないというのが、出川の口癖の一つだった。
ふと、水脇には未練がなかったのかと聞きたくなった。少し考えてやめにした。
「んじゃあまあ、そろそろ、俺戻るわ」
「分かりました。是非また、近いうちに」
水脇は鼻で笑って、
「何年後になることやら」
「――確かに」
「じゃあな」
電話が切れる頃には、ちょうど汗が乾ききっていた。
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