30~35

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 早朝の東京駅のホームで、私は苛ついてる。

 もし喫煙者だったら、足元には無数の吸い殻が転がっているだろう。腕組みをしながら人差し指が二の腕をトントンと叩いていた。

 島根へ行くために始発の新幹線に乗りたかったが、約束していた安川がいつまで経っても来ない。やむなく一本見送ったが、時間も忍耐も限界に近かった。先方との約束もあるのでこれ以上遅らせる訳にはいかない。

 次の新幹線がホームに滑り込んできても、彼は来なかった。ゴールデンウィーク二日目のはずだが、流石にこの時間は車内はがらんとしている。空いた窓側席に陣取ってスマートフォンを開き、安川からの謝罪のメッセージを確認する。

「駅に向かうタクシーが事故に遭った」「乗ったエレベーターが故障した」「耐え難い腹痛に襲われた、昨日のカレーのせいだ」

 羅列された理由に怒りが頂点を迎える。今の私は、眉間がミシミシ音をたてるほど険しい表情をしているだろう。今時子供でも、もっとましな言い訳を考えるはずだ。谷原であればどうだったか、恐らく誠実に謝って電話の一つも入れてきたに違いない。……いや、喫茶店には連絡なしで遅刻してきていた。思わず、ため息が漏れる。

 谷原で思い出す。彼に伝えようと思って止めたことが、一つあったのだ。

 彼が麻生山の社に向かったあの日、資料館の別館を再度訪れると、神社を綺麗に整えている老女がいた。最初は管理人かと思い話しかけたが、どうやら彼女は田牧の母親のようだった。介護施設の職員が探しに来るまで、神社や田牧家の話を聞かせてもらえたのは僥倖だったが、問題はそこからだった。

 迎えに来た介護職員は話好きな中年女性で、聞いてもいないことをぺらぺらと喋った。

「ここだけの話よ。田牧さんはね、最初は多少物忘れするくらいで認知症じゃなかったの。それをね、町長をやっている息子さんが無理矢理うちに入れちゃったんだって。怖いわよねえ、あんな誠実そうな顔してるのに、実の母親を厄介払い同然でうちに寄越しちゃうんだもの」

 認知症施設に入ると、症状が一気に進行する例があるらしい。つまり田牧の母親は施設に入れられたせいで、軽い健忘症が悪化して認知症となったのだ。

 この話はあくまで単純なゴシップだと思い、谷原には伝えなかった。

 しかし、逆に考えたらどうだろうか。

 母親が施設に入ったからあの社が荒れたのではなく、に無理矢理施設に入れたのではないか。

 もしその社が、麻生山を封じる一角をなしていたらこれほど都合の良いことはない。

 更に言えば、彼の父親も徘徊の末に行方不明となっている。私の中で、行方不明という言葉は生贄と同義だ。鈴木が言っていた『一年前から落雷が起き始めた』という言葉と、田牧父の失踪は時期的にぴったりと合う。疑念が雲のように渦巻いた。

 町長を容疑者として扱うのは、他にも根拠がある。

 その後に訪れた旅館で、一つ不思議に思うことがあった。自分が泊まっていた時にはあまり気にしなかったが、不自然なほど老人が多いのだ。失礼な話だが、あの値段を払えなさそうな高齢者達もちらほら見受けられた。

「皆さんシニア割を適用されているので」と理由を聞いた職員が、苦笑いで答えてくれた。しかしその割引率は通常では考えられないほどで、損失分は町役場が補填しているとのことだった。

 つまり、朝比町役場があの旅館に老人を大勢呼び込んでいる。

 雷が見えてしまうあの旅館に。

 事実失踪しているほとんどが高齢者で、行方不明になっても若者よりは話題になりにくいし、余暇があるため平日も訪れてくれる。そこまで考え至って寒気がした。可能な限り雷を見るように、緻密に考えられた悪意の罠が張り巡らされているのだ。そして、それを実行できる権限を持つのは一人しかいない。

 その時、スマートフォンが新たなメッセージを受信した。安川からだ。

 電波の受信状況が悪く、二件同時に届いている。

「羽田から飛行機で向かうことにしました」「乗る予定だった機体がトラブルで運休なので別便を探します」

 ここまでの言い訳はむしろ滑稽だ。思わずふふんと鼻で笑う。しかし、同時に何か心がざわつくのを感じた。試しに羽田空港から出雲空港への航空便を調べると一便欠航となっている。これはどうやら本当らしい。次々と検索ワードを打ち込んでいく、東京駅付近でのタクシー事故、東京駅構内でのエレベーター故障、都内のカレー店で食中毒発生。

 ……彼が言っていたことは全て事実だ。

 というより安川を集中攻撃するように事態が起こっている。心のざわつきの振り幅が大きくなり、頭がぐらぐらと揺れる。彼が島根に行くのを何かが邪魔している、そう考えると辻褄が合うのだ。

「何か変です、無理して来ないようにして下さい」と彼に返信するが、これも届くかどうかは分からない。

 ふう、と溜息をついて眉間を揉み込む。

 私は今のところ順調だが、この先何かあるかもしれない。念のため、訪問先の岩崎家への到着時間を確認しておこうと地図アプリを開いた。目的地は松江市の右端、日本海に向かって鋭く突き出す美保関みほのせきという町の山間にある。余裕を持って出発しているため、相当な出来事がない限り大丈夫そうだ。

 アプリを閉じようと思ったその時、美保みほという文字が脳に引っ掛かった。どこかで目にしたことがある名前だ、それもここ最近で。揉み込んだ眉間を更にぐりぐりと捏ねて考えるが、これ以上やると目付きが悪くなってしまう。諦めかけた瞬間に、ぱっと頭の中で閃光が瞬いた。

『島根県の美保神社から分祀されて、主祭神は事代主神』

 阿須賀神社の説明書きだ、朝比町資料館で読んだのだ。だからどうという訳でもないが、小さな達成感を味わった。祀っている神が一緒なので、折角だから事代主神についても調べてみる。

 事代主神ことしろぬしのかみ、別名八重事代主神とも言われ、日本神話にも登場する古い神の一柱である。鶏を嫌うという伝承があり、参拝人の中では卵を食べることを戒める人もいるらしい。

 朝比町では各所で鶏肉を食べる機会が多かった。養鶏場が新設されたため、新たな名物になりつつあるという。分祀先ではさぞ居心地が悪かろうと同情した。

 居心地が悪い、自分の言葉がさざ波のように心の中に広がっていく。そんな状態では万全に力が発揮できないはずだ、事代主神が朝比町で果たす役割とは何だったか。

 そこまで考えて愕然とした。鈴木の言っていた結界、あれが機能していなければ、誰でも山に入れてしまう。

 今すぐ確かめねば、もしこの仮説が正しければ、朝比町は大変なことになっている。

 メッセージを打ち込む手が震えた。私の言うことを理解できて、今すぐ動ける人物、そんなのは一人しかいない。あまり頼みたくないが父にお願いしよう。鑑定から返ってきた木仏と田牧町長に関する仮説、それに安川の夢について伝える。現場を見てもらい可能であれば、田牧の事情聴取もお願いする。彼がクロならば、小春の仇ということだ、もちろんその事も伝えた。以前は信用してくれなかったが、どうだろうか。

 ようやく、謎の本丸に迫ってきている。あとちょっとだよ、と心の中で小春に呟いた。



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