加筆修正版(作業おわり)

トンネルの中はずっと雨だった。そのトンネルを私が歩いている。


雨宿り、という言葉はよく考えてみると、変だ。軒先に雨宿り、という場合、軒先に、雨が宿っているのならば、軒先の中だけずっと雨のはずだ。急の土砂降りの中、雨が降ってしまっている中、雨が降っていない軒先に、雨宿り、する、というのは、変だ。言葉というものを、あまりに、人間を主格に据えて扱いすぎていることに慣れているからこんな変なことになるんだ。変だ。と私は思う。


なので、雲ひとつない晴天の下、なぜか、軒先の下だけ、ずっと、雨が降り続けている、というのが正しいんだ。


と、思っていた矢先、ただただ、歩いていたら、ずっと、ずっと、ずっと、雨が降り続けている、みたいな、らしい、トンネルに、出くわした。まるで、滝が身を横たえて、分厚い毛布でもかぶって不貞寝でもしているみたいに、そのトンネルは、ずっと、ずっと、ずっと、雨の音がしていた。先っぽから突端までずっと雨が降っていて、その雨の音が反響している。よし、とりあえず、入ってみよう、と思った。入ってみた。傘もささずに入ってみた。傘なんて持ち合わせていなかった。服が濡れた、体が濡れた。何をしているの?と私の影を追いかけて歩いてきた女の子が言った。私は何をしているのだろうか。強いて言えば探検だろうか。できるだけ、カーウォッシュのことは考えないようにしながら、雨宿りをしているトンネルの中で雨宿りをしていた。私はしばらくそこにいて、ぼんやりしていて、ずっと雨に濡れていて、ここのトンネルは本当に雨が宿っていて、降り止むことはなさそうなのだな、ということを、全身の毛穴が縦列に結合して、全身に細かい排水溝ができて、その排水溝を私の体に降りしきる雨が流れとなってつつつつつと流れて、行くのを感じるくらいそこにいながら思った。私の跡を追いかけてきた女の子は、片手にコッペパンを握っていてそのコッペパンがすごくぐっしょりしてしまっていた。私はというと右手に桃色の綿飴を握っていたので、すごく溶けて、匂いと棒だけの綿飴になっていた。一方左手にはリンゴ飴を握っていたので、表面の飴は全て溶けてただのリンゴになっていた。コッペパン、綿飴、リンゴ、唯一食べられそうなものは、リンゴくらいのもので、私と女の子とは二人でリンゴを食べた。リンゴは食べられたくなさそうな顔をしていた。その顔をまず私が齧りとると、別のところが顔になって、また、リンゴは食べられたくなさそうな顔をした、ので、その部分も私がかじりとってあげると、また、別のところが顔になって、そこは、さらにもっと食べられたくなさそうな顔になったので、私はそこも齧りとってあげたところ、今度は、また別のところが顔になったはいいものの、食べられることを諦めたような顔になっていたので、残ったリンゴは女の子に渡した。女の子はリンゴの顔にキスをした。キスをしたけれども、女の子は、やっぱり、りんごを食べた。食べている最中、女の子の歯がぜんぶ顔になって、リンゴの顔とずっと見つめ合っているみたいだった。しゃりしゃりしゃりしゃりとずっと音がしていた。おとがいで音がしていた。音がおとがいで音がしていた。と、私は感じた。ゆっくりとゆるやかに風が流れていた。おとがいとは顎のことです。「さてと」と私は台詞を言いました。おとがいはおたがいと似ているなと思いました。私は女の子のおとがいに触れてみました。触れると溢れるも似ているな、とも思いました。というよりも、私はいつも、何かに触れると、触れる時、震える、と溢れると、を言葉として頭の中で感じます。私は、触れているのだろうか、溢れているのだろうか、震えているのだろうか、言い換えてしまうと、私は、何かに触れている時、私は、その女の子に触れて/溢れて/震えて、いる、という表記を身に宿している感じがします。しかし、ながら、実際に、溢れている時は、ありふれているな、とも感じます。溢れてしまって、も、良いものもあります。言葉とか。言葉には手足があります。手足があるので、よたよたと、口の中から出てきて、
「さてと」と私は言いました(私の口の中から出てきた「さてと」さんは、私の左肩まで這っていってそこに腰を下ろした。そして「さてと」は私の台詞にか去らないように小声で「どっこいしょ」と言いました。)。「そろそろ、このトンネルを抜けますか。すっかり、何もかも、ずぶ濡れになってしまいましたし」と私は言葉を続けました。女の子はこくりと頷きと同時に、その場でバク宙をしました。その子は、頷く代わりにバク宙をし、首を横に振る代わりに側転をする子でした。だから、意思表示がとってもはっきりしています。でも、電話ボックスの中などで、ついつい、その子が話をしてしまうと大変です。ちょっとした相槌のたびに、びょんびょんバク宙をするからです。だから、私は、よく、その子と電話でお話をする折には「今、どこなの?もしかして電車の中じゃないよね?あるいは電話ボックス?ちゃんとたとえばがらんとした人気の薄い屋外駐車場のようなだだっ広い周囲には特にあなたを見つめてびっくりして腰を抜かしそうなお婆さんとかおじいさんとか神経質そうな人とかいない?今どこ?」などと尋ねます。電話の向こう側で、びょんびょんびゅんびゅんという風を切る音がした後で、ふっと彼女は、とあるビルの名前とその屋上にいることを教えてくれたります。私は、楽しく想像します。いつも右手にコッペパンを握りしめた女の子が携帯電話も同時に握りしめながらも誰もいない、誰も知らないビルの屋上で、びゅんびゅんびょんびょんバク宙と側転とを繰り返しているところを。「そっか、周りに誰もいないし、狭い場所じゃないんだね?そっか、よかったあ。うん。すごく安心した。で、何か用かな?」などと私はさらに彼女と電話をする場合には、いうのです。今は電話じゃなくって、一緒に雨のずっと降っているトンネルに並んで座っているのですが。トンネルなので、私が先ほど言った言葉が視聴者にも思い出しやすいようにリフレインします。「さてと」と私は言いました。「そろそろ、このトンネルを抜けますか。すっかり、何もかも、ずぶ濡れになってしまいましたし」私たちは並んで歩いて、入ってきた方とは反対側の出口へ向かって歩きます。女の子は流石にそこまでバカではなかったので、反響してきた私に声にまでは、バク宙をして頷きの意思表示はしませんでした。そこは、ゆっくりとすらっとした足で、すたすたと、歩いています。私たちは歩いている、そして、トンネルを抜ける。

雨が降っている。というのも、雨宿りをしているトンネルをとてもゆっくりと歩いてしまったからだ。振り返ると、トンネルの中は空っぽ。晴れ、というわけではなく、雨が降らなくなっただけの、ごくごく普通のトンネルだった。雨が宿っていたトンネルは、雨が宿らなくなったトンネルになったのである。じゃあ、どうなったのか、というと女の子と私との間に、雨が、宿り変わっていたのだった。雨が、宿り先を変えてしまったのだった。私から、彼女へと、雨が降った。私から、私の後を追いかけてきた女の子めがけて、ぽつりぽつりと横殴りというか、まるで横書きの便箋みたいに真横に真っ直ぐに、その女の子へ向かって雨が降っていた。大変だ、と私は思った。大変だ、けれども、この大変は、大変、変だ、くらいの、大変だ。大変な大変だ、って感じじゃない。すごく、すっごく、すごく、変、ってだけ。変ってだけで同級生をいじめちゃいけない。それと同じように、すごく、すっごく、すごごごごごごご「すごごごごごーく」と私は言った。せっかくなので、心内語の盛り上がりを、口にして、叫んでみた。叫ぶと、びっくりすることに、雨脚もすごく強くなって、びしばしびししししってくらい女の子の表面を弾ける音がした。「痛いですか?」と私が尋ねると、その子は、バク宙をしたと思いますか、側転をしたと思いますか、私は、「痛いですか?」などとは尋ねなかったので、その子は、ただ、その場に突っ立ったままでいました。そして、静かに、「ちょっと痛いな、これ。どうしちゃったのかな。困るなあ」と言いました。「ごめんごめんごめん」と私がいうと、雨足が途端に弱まって、ほっと胸を撫で下ろします。きっと、ひとしきり雨が降ったのでしょう。私から女の子への方向の雨はだんだんと弱まり、そして、止まり、今度は、その女の子の全身に吸収されていた雨が、今度は、私の方向へめがけて、しとしと、ぱらぱらと降ってきました。私は、思わず、ぎょっとして、逃げようと、あたふたしましたが、全然ダメ、飛び跳ねても、泥だらけになって寝転がっても、すごく必死に逃げ惑っても、ずっとずっと雨が降ってくるのです。人生で初めて自主的に反復横跳びをしたというのに雨は容赦なく、追尾してくるのでした。すっごいなあ、と思いました。雨宿りってすっごいなあ、と思いました。私は、雨宿りを、ほんの少しだけ、舐めていました。だから、そっと思い出すと、雨宿りの舌触りの記憶が、私の口の中の舌の上にはほんのりと広がっています。したなのに、うえだなんてね。うえだくんのしたのうえにわたしのした、みたいだった。ところで、これは、映画の脚本で、映画なので脚本なので、ちょいちょいsceneが変わるのでした。scene1では私たちが雨宿りに出会い、私たちが雨宿りになるのでした。いい絵が撮れているといいな。その映像を生み出すために、きっと私たちは、なんどもなんどもトンネルを行ったり来たりしながら、ずっとびしゃびしゃになるんだろうな。あの女の子は、リハーサルも入れると、何回バク宙と側転を繰り返すんだろうか。こんなことの繰り返し、人生で一度きりだろうな、だから、私は映画が好きなのです。映画を撮ることが好きなのです。ずっとずっと同じ雲の下にいたいな、と思う。でも、雲はぐんぐん流れていく。同じ、ぐんぐんでも、ひまわりがぐんぐん成長を遂げていく、のぐんぐんならば、ずっと同じ場所にいるぐんぐんなのに、ずっとそばにいてほしい雲が流れていくの方の、ぐんぐんは、ぐんぐん、遠くへ遠ざかっていく。やぶさかではない。やぶさめも、やぶさかではない。人生で、一度は言いたい台詞だなって思う。私たちは映画をとっており、それぞれが人生で一度は体験したいことや、一度は言ってみたいことを、一度は伝えてみたいことなどを、それぞれの立場で、詰め込んでいる。最中だった。かき氷みたいだった。しゃりしゃりと、高密度で、しゃりしゃりとしている。
山田さんが、どこからともなくやってきて、私の体をタオルで拭いてくれます。優しい感じがして、タオルの生地の向こう側の山田さんの指と指の間に、私が入り込んで、河童の指と指の間の膜みたいに私がなって、私が「私が今日から山田さんの指と指の間の膜になるから、山田さんは、どうぞ安心して、もっともっと河童みたいになってもいいんだよ」と叫んでもいいかなって思った。女の子の役をしているのは、当然、女の子で、だって、女の子の役を男の子がやるのは、やりにくいよねって話で、だから、女の子の役をしているのも女の子で、その女の子も私の隣で、山田さんにタオルでゴシゴシされている。山田さんは腕が四本ある。だから、こういう時、私と女の子二人分を一緒にタオルでゴシゴシできる。きっと、イチローにだって腕の本数では負けない山田さん。だから、白鵬にだって腕の本数では負けないことだろう。イチローと白鵬がコンビを組んでかかってきてようやく山田さんと腕の数で対等になれる。私は、山田さんがメジャーリーグでイチローに腕の本数で勝つところを、見たいし、山田さんが、国技館の土俵の上で、白鵬に腕の本数で勝つところを、見たい、と思う。その時流石に、白鵬は「どひょう/どひょー」などという感嘆詞で驚きを表意したしはしないと思うけれども、白鵬の史上最多の連勝記録を、山田さんの腕の本数で止めていたとしたら、なんてすごいことなんだろう、と思う。でもね、山田さんは、腕が四本もあるくせに、

私はそこで考えるのをやめた。考えるのをやめないと、現実の山田さんがどんどん化け物になってしまう。現実の山田さんは、ゴシゴシと分厚いバスタオルでゴシゴシと私を擦っている。擦るのと拭くのとは、違うのになあ。


次のsceneです。scene2です。私はそこにいます。scene2の真ん中に立っています。scene2の真ん中には私がいて、私に照明が当たっています。明るいです。私はピカピカ光っています。しかし、です。それは照明ではないのです。蛍みたいにお尻を光らせている地蔵菩薩がごろごろと転がっているのです。夏です。水質の汚染などによって、蛍が死滅してしまった、やや都会の小規模な河川に、蛍の代わりにお尻をピカピカとやや紫色にダースベイダーみたいな紫色に光らせているお地蔵様がごろごろと転がっていて、その紫色の光に、私が、照らされています。笑っていてください、と言われました。どんなふうに笑えばいいんだろうか。私は、にこにこしました。私はいつもにこにこしていました。だから、ここでもにこにこするのだ、と思いました。お地蔵様はあとで食べることができるように飴細工でできております。この映画では、食べ物を粗末にすることはありません。後でみんなで食べるのです。しかし、それは違います。他のsceneにおいて、私が、ばりばりとお尻を光らせているお地蔵様を食べる映像を撮影する必要があって、そんななので、全部お地蔵様は飴細工でできているのです。しかし、私だって、健康上の都合もあるわけですから、そんな飴細工ばかりバリバリ食べたくありません。なので、そこはスタントを用意しておこうかなって話し合いが進行しています。でも、
これは、私の心象風景の撮影なんだ。だから、私以外そこには誰もいないし、さっき私たちが獲得した雨宿りという性質もここでは反映されていない。ただ、私が立っていて、夜で、川の中で、お地蔵様がたくさんいて、お地蔵様のお尻が、蛍みたいに、微紫色に光っているの。どうしてなのかな。わからない。でも、これが、私の心象風景なんだって。心の風景。

心の風景が5時間分記録されたビデオ。心の風景が5時間分記録されたビデオ。心の風景なんて言われたってさ、心に風景なんてあるわけがないのにな。


金玉のキーホルダーが、ちりんちりん、と揺れている。


別の場面で、私は出てこない。

男の子と、女の子がいる。

女の子は、魔法使い。

私と一緒に雨宿りしている女の子とは、別の女の子。

この映画には、たくさんの女の子が出てくるんだ。

女の子も男の子もこの世の中にはたくさんいる。

役者には、困らない。

女の子は言います。

「今、SEXによって合体をしている男女の、全てを、その男根の根元から、切断して、一つだったものをまた、二つに分ける魔法を私はいま唱えます」

「うん」

男の子はそれにそう答えます。この男の子はバク宙はしないようです。そんなひょいひょいバク宙できる役者を集めてくるって大変なんだよ。

なんで、そんなことをするんだろう?って私は思います。

でも、私は、ただの主人公だから、なんで、そんなことをするんだろう?って疑問に、即時に答えられるほどの全体を俯瞰する視点を持ち合わせてはおりません。


場面は翌日の学校になります。

なんと、その男の子と魔法使いの女の子は高校生で学生でした。

私も高校生で学生のようで、同じ教室の中にいます。椅子に座っている。

その教室には、その男の子以外男の子がいません。

でも、座席の半分は空いています。

座席の残り半分には、女の子たちが座っています。

女の子たちは、さっと学生鞄をどこからともなく取り出します。

その学生鞄には、ちりんちりんとやや乾涸びたちんちんと金玉でできたキーホルダーがぶら下がっています。

ただし、魔法使いの女の子の鞄にだけはそのキーホルダーはありません。

私のカバンにも金玉とちんちんのキーホルダーが揺れています。


私は学生のようだった。しかも、高校生。しかも、同級生には魔法使いがいる。ところで、ふっと思った。音に一本、縦にぐにょって力強く一筆書き加えるだけで、竜だ。すごい。今まで気づかなかった。たった一画で音が竜になる。なぜ?そんなことがあっていいの?例えばだけれども、「ー」ってのがある。音をながーく伸ばす時の記号。例えば、私が「あ」って言う音を出す。その時、その「あ」に「ー」を足して「あー」って言う。それはまさしく、音に一本棒を付け足したようなものだ。ってことは「あー」も竜。「うー」も竜。「えー」も竜。「だいすきー」も竜。「ところてんー」も竜。「最近抜け毛が多いー」も竜ってことになるよね。なにそれ。竜ばっかりだ。竜ばっかりだ。竜ばっかりだ。すごい。死んじゃえ。すごい。すごいって思う。「あーーーーーーーーーー」って言いながら、走ってくださいって言われたので、走っている最中、私は、ずっとそんなことを思った。たくさん走った。カメラマンとかも走った。すごい走った。「うわー」って気持ちになった。気持ちがよかった。誰かのことを大好きになりそうだった。なってしまってもいいのかもしれない。「ところてんたべたいー」って叫んでいたら、それは台詞にないので、と言われた。そっか、と思った。そんな感じだった。撮影が終わったら山田さんがやってきて、またゴシゴシと私をバスタオルで拭いた。今日は、濡れてないんですけど、と思った。でも、拭かせておいた。私の体が摩擦で赤くなった。山田さんは、撮影が終わるごとにバスタオルでわたしたちのことを拭きたがるんだ。犬が、人間をことあるごとに舐めたがるのに似ている。山田さんがいつも抱えているごわごわしたでっかいバスタオルは、山田さんから分離した山田さんのべろなんだ。それで、ごしごしと私を舐めるのだ。他の出演者は、山田さんに拭かれるのを拒んでいる。というのも、濡れていない時に拭かれても困るからだ。今回の撮影では、雨が宿るという設定ありきで原案が編まれたため、きっとみんな濡れてしまうだろうと言うことで、濡れた人を拭く用の係の人として山田さんが呼び寄せられた。普段は、みんなから見向きもされてないタオルお化けの山田さんだけれども、こんなふうに、濡れ場の多い映画撮影には、しばし駆り出されては、タオルを抱えて、ずっと撮影現場の端でおろおろしているんだ。人を拭きたくて拭きたくてたまらない人なので、周囲の都合などお構いなしに、撮影がまだ終わってもいないのに、カメラが回っているのに、いきなり、わっと現れて、役者たちをわしゃわしゃと拭いては、みんなから怒られる前にその場から走って去るってことがしばしば繰り返されるんだ。だけど、山田さんにはなにか都合があるかって言うとそんなことはなくって、


撮影の合間に私は言った。

「これ、本物みたいですね」

そしたらみんな笑った。

金玉とちんこのキーホルダーのことだった。

私はそれらをつんつんと突きながら言ったのだった。

ちなみに、カメラには写っていないが、映画の場面で私たち役者が金玉とちんこのキーホルダーを突くたびに、すぐそばに控えている高校生くらいの男の子たちが「ちんちんちんちんちん」と涼やかなボーイソプラノで効果音を発するという妙な演出が施されているのだけれども、撮影の合間なので、誰も効果音を発することはなく、ただ、ころころと私の手の中で金玉とちんこのキーホルダーが揺れているだけだった。それぞれのキーホルダーにそれぞれの男の子たちが割り振られており、厳密ではないけれども、あるキーホルダーが突かれるたびに、その男の子がそのキーホルダーになりきって、効果音を発するよう命じられているのだった。一体どんな超越的な権限を持っていたらそんなけったいなことを一方的に命じられるのか、と思うけれども、それが現実だった。私たちは奴隷や凶器で脅されているわけでもないけれど、その命令に対して、そんなものか、と思って従っていた。別に、嫌な気持ちは湧かなかったし、監督が一体何を表現したいのかは、皆目わからないのは正直なところだけれども、でも、何を表現したいのだろうか、というか、その表現の中で一体私はなにをしてゆけば良いのだろうか、と言うことは、配役が決まってからずっと、というか、出演を希望して以降ずっと、私なりに考えて、考えているつもりなのではあった。皆目わからないんだけれども。ほんとうに、わからなかった。わからないことでも、考え続けていいんだと誰かに昔教わった気がするし、私自身そう思いたいから、ずっと、考えているんだと思う。

ところで、私がその、金玉とちんこのキーホルダーをつついて「これ、本物みたいですね」と言ったら、みんな笑ったんだけれども、と言うのも、

「いや、全然、本物はこんなんじゃないよ。本物そっくりのタマタマとチンチンをそんな大っぴらに模って映画に載せるわけにはいかないよ。これは、あきらかに、チンチンとタマタマ以外の何者にも見えないけれども、でも、本物のタマタマとチンチンはこんなんじゃないんだよ。まあ、個人差はあるけれども」

「そうなんですか」と私はきょとんとしてしまった。

「だって、ほら」山本木さんは言った「このチンチン、目があるじゃん。いくらなんでも、目はないよ」

「そうなんだ」と私は言った。

「うん、うん」となぜか山本木さんは頷いた。「チンチンに、目は、ないんだよ」


でも、私のおまんこには目があるのだった。


なぜなのかな。わかんないや。わかんないことは、謎。


ときが流れている。泣かせておけば、いいじゃないか。しばらく泣かせておくと、ときが止まった。そうだ。ときは、止まるのだ。何にもない世界。真っ白な世界。女の子がいる。例の、私の後をついてくる方の女の子だ。三つ編みをしていることの多い女の子だ。三つ編みが解けて、髪の毛が緩く八岐大蛇みたいな様相を呈している女の子がピッタリと、私にくっついてくる。相変わらず、雨が宿っているので、私と女の子の間には、雨がぴしぴしと行き来しているのだけれども、肌がほとんど隣り合わせなので、私から女の子への雨女の子から私への雨がほとんど隙間のない私たちの間を、静電気のように、ぴしぴしとほとんど間断なく、行き来している。往来の激しい交通道路、みたいだ。なぜそんなことをしているのかと言うと、試しにやってみたかったからだ。でも、一度やってみると、自分からは離れたくなくなった。私の体、私の服、女の子の服、女の子の体。雨がその四層を行き来している。すごい勢いで、洗濯機の中なんかよりも激しく、あるいは、精密に、私と私の服と女の子の服と女の子が洗われていく。というか、擦り切れていく。もともと毛糸だったはずのものや、化繊だったはずのものが、すごくすごく雨が降るから、擦り切れていく。それでは、別の実験ということで、私たちはいろいろなものを私たち二人の間に置いてみました。例えば、ただ針の穴のような小さな、穴が、空いいただけの水を通さないプラスチック製の小さな穴が空いた傘、雨は当然、その小さな穴めがけて降って行き、その穴を通過すると、また拡散して、例えば私に向かって降ってくる。穴はすごい勢いで破れて、破れちゃった。私たちは、それが、すこし楽しくなっちゃったので、私、穴のある壁状のもの、女の子という並び方を何度もした。例えば、自動扉。私が、なんらかの建物の中に入り、そして、自動扉が自動的に閉まっていくと、その閉まってしまった自動扉の隙間にぎちぎちと雨が、雨が密集、襲来、する。自動扉が歪む。ぶわんと、破裂する。破裂したら警報が鳴る。警報が鳴ると、警察がやってくる。警察がやってくると、警察はびっくりする。雨が宿っている私たち二人を見て、びっくりする。私はそのびっくりした顔が好きで微笑む。警察の人って、あまりびっくりしないようにしていて、その表情は冗談に対して、動かないことが多いから、びっくりしているなあ、と思うと新鮮で、気持ちが緩む。あと、もともと雨が宿っていたトンネルにも伺った。もともとそこには雨が宿っていたけれども、その時は、天井から床への雨だった。でも、今は、違うのだ。私が、トンネルの出口に立ち、女の子がトンネルの入り口に立っていると、トンネルという穴めがけて私たちの雨が降って、その雨の向きは、もともとのトンネルでの雨宿りの雨の向きとは垂直に逆。トンネルの中の空気が雨の勢いによって一掃される。ここでも、ぶわん、ぶぼんと音が鳴る。トンネル全体の籠った空気が、女の子からの雨と同時に、私めがけてやってくる。そして、しばらくすると、私からの雨がトンネルの空気を女の子めがけて吹き飛ばすものだから、巨大な吸引機のように、トンネルの出口へと屋外の空気が吸い込まれて、私の髪の毛とかが、はたはたとなる。「すごいねー」と私は呟いた。そのつぶやきは一匹の竜になった。女の子は、うん、と頷いた後、思い出したみたいに、急いでバク宙をした。私から女の子めがけて飛んでいた雨は、ふっと、戸惑ったように空中に静止しつつも、バク宙が一旦終わるのを待って、そして、女の子へと降っていった。ところで、ちなみに、私と女の子との間に宿っている雨を演じているのも別の女の子で、雨を演じているのは双子の女の子で、双子の女の子がさっきから私と女の子の間を、すごい勢いで、行ったり来たりをしているのだ。そして、その子たちに雨っぽさを出すために、カメラマンの横から監督が、家庭用のホースを使って、その子たちに向かって水をふりかけている。だから、その子たちは、ずっと濡れていて、そして、走っている。なにやってるんだかな、と台詞にはない言葉を、アドリブで言ってしまいそうになるをグッと堪えて、アイドリングストップならぬ、アドリビングストップをしつつ、私は、ふっと、いたずら心を起こしたくなる。向かい合っている女の子に目配せをした。女の子も私の意思がわかったみたいだった。私と女の子とは、雨を演じる双子を挟んで、そっぽを向いた。背中と背中を向け合った。そして、「よーい、どん」と私がいうでもなく、ほとんど一緒のタイミングで、正反対の方向へと走り出した。私は、そんなに足が速くないけれども、頑張って走ったらそこそこ速い。そして女の子も同様に走る。私と女の子とはどんどん距離が離れていく。さっきまで、私と女の子との間を、雨となって、わあわあと走り回っていた双子たちが、びっくりする。「うわー」と竜。双子が言う。だんだんと女子二人分の速力で距離をとりつつある私たちの間を、雨が一生懸命に降っている。思わず、応援したくなる光景だろう。私は、思わず、応援したくなった。「がんばって」私は言った。それでも、現役の陸上部らしい双子たちは、頑張って、走っていた。私と女の子は相当足が遅かったらしく、しばらくの間は、双子たちに追いつかれていた。しばらくしたら、双子の一人が私に抱きついて「もうだめだよ」と言った。私は仕方がないから雨に抱きつかれたまま立っていた。雨はすごい勢いで私を抱きしめ、逃すまいとしているみたいだった。女の子にも、もう一人の双子が抱きついて「もうやめてください」と言ったところ、当然だけれども、バク宙もしくは側転をしようとしたので抱きつかれた状態でバク宙をしようとしたらすごいプロレスの技みたいになって、大変で、一時は救急車を呼ぼうかと言う話になったけれど、あたりは監督の撒き散らした水によって泥田のようにぐじゅぐじゅで地面が柔らかくふやけていたので、後頭部から落下したにもかかわらず、女の子は平気そうな顔で泥だらけの顔で立ち上がった。双子たちの間をテレパシーが行き交っている。私のおまんこには目があり、その目から涙がぽたぽたと溢れる。そう、私は、おしっこというものをしない。ただ、ときが流れるんだ。おまんこの目から。すごい勢いで迸ったじかんが、水洗便所の中の水と混ざり合って、さらに透明になった。「壁に耳あり、おまんこに目あり」とつぶやくと、「壁に耳なんてあるわけないじゃない」と思っちゃう。片一方にだけリアリティの偏りがあると、想像が滑稽になるのだ。女の子は結局、その後一日休んだ。お見舞いにゆくと女の子は窓際で寝転んでいて、私は、それを、

女の子はふっと思い出したみたいに「指輪物語で知られる、トールキンのキンはキン玉ののキン。だから、トールキンとは背の高いキンタマ。」などと言った。ほとんど台詞のない子がふっと口にするには、お似合いの言葉のようにも思うし、思わず、なんだかやっぱりまだ、映画の中なのかなと思う。でも、そんなことはないのです。

「だいじょうぶ?チン子」私が彼女の名前をそっとつぶやくと、
当然、バク宙もしないで、

「うん、だいじょうぶだよ。おまんこ子」とお返しみたいに私の名前を呼んだ。私は私の名前を呼ばれたくないと思った。自分や自分の名前について、忘れられるのは、映画の中だけ。だから、私は映画撮影が好きです。とはいえ、映画の終わりのエンドロールが流れる時出演者名一覧において、私たちはいつも、悪目立ちをする。私たちは、いつも、エンドロールがこわい。エンドロールのない映画が好き。でも、昔の日本の白黒映画なんか見ていると、エンドロールの代わりに開幕一番、監督とか役者とかの名前が画面いっぱいに大書されていたりするから、それよりかは今の映画の常識は遥かに私たちに優しい。どうか、私たちの演技を好んで見てくれる人たちには、彼ら彼女らのことをファンと呼んで良いのならば、どうかエンドロールまで見ずに映画館を立ち去ってほしい、って、いつも思う。今回の映画は、私たち二人が二人で主演だから、いつもより遥かに大きな反響があるだろう。流行語大賞になる可能性さえあるのだ。

「田川さん」と私はそっと彼女を彼女の苗字で呼んだ。

「中野さん」と彼女も私を私の苗字で呼ぶのだった。そうだ、それでいいのだった。

「田川さん」念を押すように、私はもう一度、彼女の苗字を呼ぶ。

彼女は一瞬ためらいつつも、やっぱりどうしようかなとでも言うような表情をしつつも、「うん、中野さん」と言います。素直じゃない子なんです。

芸名は使わない。だって、偽名だなんて、卑怯な感じがする。


「田川、田川、おまん子さーん」誰かが呼んだ。

しばらく、私と、女の子の沈黙という、鍔迫り合いが続いて、

まあ、私の方が実質年上だからさ、

折れちゃうんだよね。

「その、組み合わせ、逆だよー」叫ぶように叫んだ。鮭だって叫ぶことがあるだろうけれど、水中で叫ぶことは難しい。でも、いかにも、叫びそうな、鳥の嘴みたいな顔してるでしょ。

監督の雑用とかをする人が、私に視線を向けて、叫び返した。

「えー、あのー、田川おまん子さんのおまん子さんの方でした。ごめんなさい。もうしませんから。えー、あのー、撮影始まりますー」

私は、槍のように走っていって、指先を、彼のケツの穴に欠って感じで、両手の指を人みたいにして、槍先みたいに突き入れて、そのまま、走って、弓矢の矢のように、監督の元まで走って、監督の鼻の穴に、両手の指を入りみたいにして、矢尻のように突き刺した。でも、あれ、どうしてだろ。矢尻って矢の飛んでいく方についている殺傷能力のある部分だよね。どっちかっていうと先頭って感じだけれども、昔の人は、ヒップアタックみたいな気持ちで、弓を引いて矢を射当てていたんだろうか。それとも矢尻が食い込んだ肉の穴は、なんだか尻の穴みたいで、尻の穴を増やす道具って意味合いで、矢尻っていうんでしょうか。私は、監督を暴行した。でも、監督は、大丈夫だった。

監督の尻の穴は、まだ、一つ。

たぶん。


ところで、撮影が始まった。


どうしてだろう、撮影が始まると、私は、普通の女の子みたいになる。どうしてだろうか。


どうしてだろうか。撮影が始まると、私は、普通の女の子みたいになり、普通の女の子が、そこを歩いている。そこを歩いていると、そこが道みたいに思えてくる。


ずっとまつ毛が生えている、女の子みたいな気持ちになる。


私のほんの少しの体温を測るための温度計。本土決戦のために私のほんの少しの体温を測るための温度計。ほんの少しの体温。ほんの少しの水銀。水金地火木。水銀を持ち上げるなんて、力持ち。私は時折、覚えたての台詞を間違える。だから、監督が、大丈夫だよ、という。大丈夫だよという。もう少しだから。もう少しだから。ひっひふう、という。ひっひふうという。監督がちょっと離れたところで、妊婦さんが結婚じゃないや出産する時にする呼吸で私を見つめている。私は、しばらくして、「うわーうわーうわー」などと言った後、ようやく、「あ、そうだった」と言って、台詞を思い出して、言うと、「少し違うよ」と監督が言うので「もうすこしがんばるわたし」と言って、がんばて、「あ、わかった、句読点の位置が、逆だったんだね」と閃いて、セリフを言った。ところで、私はさっき肛門に人の形をした指を突き入れた。それはまるで閃きのようだ。正確には、肛閃き。落雷のような、稲妻のような、閃き。そんなふうにして、撮影が始まると、私は、まるで、普通の女の子みたいになって、台詞とか、忘れちゃう。でも、それでいいんだよ、と彼女が言った。彼女とは、監督のことあれ、この映画撮影の現場には、まるで、鉢合わせしたみたいに、女の子ばかりだ。まるで、女の子を閉じ込めた、江戸川乱歩の鏡地獄みたいに、女の子ばっかりだ。どうしたんだろう。どうしてだろう。どうしても。鏡合わせの私たちみたいに、女の子たちが、ずっといる。カメラマンの女の子の髪の毛が、すっごく長くてびっくりした。だって、地平線の向こうから風に靡いてやってきた髪の毛を引っ張ろうとしたら、それ私の髪の毛だから、引っ張らないで、って言うのだ。まるで、それを引っ張ると、とても痛くて死んじゃうみたいに、切迫した声で、引っ張らないで、お願いだから、って言ったから、私じゃない誰かがその髪の毛を引っ張って、そしたら、いたいいたいいたいいたいいたいいたいのです、と言いながら、カメラマンがあれ、カメラガールが、カメラの人が、痛みに悶えて走り出したので、髪の毛を掴んでいた人は、地平線に向かって、あれーとか言いながら、飛んでいってしまった。そんなに痛いのならば、途中で切ってあげたらいいと言う話になって、走り続けているカメラの少女の髪の毛を、根本から三メートルあたりで、大きな鋏で切ってみたら、地平線に向かって飛んでいった女の子がそのままの勢いで、慣性にのって、ながいながいながい髪の毛を握りしめたまま、ずっと、ずっと、ずっと、地球の引力に対して垂直の方向へ、すごい飛行機みたいに、すっ飛んでいってしまった。長い長い長い髪の毛が、黒い飛行機雲のように、空をいち直線に走っていて、その先端に、錘のように、彼女が飛んでいた。どこまで飛んでいくんだろうか。そんなに、飛んだら危ないよ、って昔、私は思い出していた。映画の撮影現場におけるアクシデントというものには想像がつかずはなれずの空想的で、なんでこんな奇跡みたいなことが起こるんだろうって偶然が、ただみんなが真剣に仕事をしているだけなのに、発生して、まるで、ここが、奇跡の奇跡の、奇跡の、って感じ。私は飛んでいった人が、ヘアスタイリストだったことを思い出した。そうか、ヘアスタイリストだったか。すごく長い髪の毛を握って飛んでいった彼女は、ヘアースタイリストだったか。空に向かってみんなが葬式を投げた。空に消えてしまったならば、せめて、葬式を空に打ち上げて、追走というか、そんな感じの後追いをしなくっちゃって思ったんだ。映画がずっと、映画みたいだ。監督はずっと、カメラを回し続けている。


こんなことがあった後じゃ、どんなsceneだって、霞んでしまうね。女の子の死体が、大好きだった。猟奇的な殺人事件。何にも美しくはないんだ。美しいという幻想。愛情の表現。愛情の、青い部分。愛情の赤い部分。映画の撮影が、始まった。もう私たちには、ヘアースタイリストの予備はいない。でも、いい。だって、ヘアースタイリストがいなくたって、私たちにはまだ、髪の毛があるから。ヘアースタイリストが、いなくったって、髪の毛はあるんだ。だから、いいじゃないか。私は、手櫛で、髪をばさばさと解きほぐした。ヘアースタイリストがすごい髪の毛にしてしまっていた髪の毛をごりごりと、解きほぐした。みんなの髪の毛が、垂直に伸びていた。それが天井で繋がって、髪の毛ドームが出来上がっていた。野球もできそうなくらい、大きかった。それをぼりぼりと解くほぐして、ボルボックスからのクラミドミナス、群体からの個体への固体。

「しせつに入ったおばあちゃん」私は言った。

「きせつに入ったおばあちゃん」私も言った。

「はる、なつ、あき、ふゆ、おばあちゃん」

「ふゆが終わったら、おばあちゃん、おばあちゃんがおわったら、また新しい春だね」

「私たちの国でおばあちゃんな時、南半球では、おじいちゃん」

「親戚の、別のおばあちゃんもきせつに入ったよ」

「だから、はる、なつ、おばあちゃん1、あき、ふゆ、おばあちゃん2」

「しせつに入りきらなかったおばあちゃんが、どんどんきせつに入っていった」

「だから、はる、おばあちゃん1、おばあちゃん2、なつ、おばあちゃん3、おばあちゃん4、おばあちゃん5、あき、おばあちゃん6、おばあちゃん7、おばあちゃん8、おばあちゃん、9おばあちゃん10、おばあちゃん11、ふゆ、おばあちゃん12」

「今ここに、きせつに入るおばあちゃんが12人、既設の季節が、春夏秋冬、これらの順列組み合わせを求めよ。という計算が、私に課されている」

私は、大学入試問題の入試現場なのだ。

そこは、日本福祉大学の入試現場なのだ。

福祉の大学だから、数学の問題までもが、おばあちゃん。

「おばあちゃんは、区別しなくてもいいものとします」と但し書きがしてあった。

「そして、やがて、きせきに入ったおばあちゃん」私はさらにそう言った。

そのように、脚本に書いてあり、そのように覚え、そのように私は言った。


私はゆっくりと階段を登った。


どうして、あんなsceneが必要だったんだろうか。ひつよう。ひつじと羊。ひつ羊。私は考える。それは葬式の場面だった。死んだばかりのお婆さんを借りて、死んだお婆さんの役につかって、白と黒の垂れ幕を下ろして、下ろして、下ろして、下ろして、みんな黒い格好をして、そして、私が、一人、台詞を言い続けていて、ちなみにいうけれども、監督は決して、寺山修司は読まないんだけども、匿名の善意って何?私は思った。匿名の善意って何?募金なんて、匿名じゃないか。なんだか、すごく、でも、それが善意ってこと。わからないな。私は、わからないことをふと考え始めて、わからなくなっていた。でも、おばあさんはやがて溶けて、小さな一つの女の子の死体になった。そう。おばあさんは、雪みたいに溶けて、中から、小さな女の子の死体が現れた。そのsceneの撮影の最中も、ずっと、私と女の子の間には雨が宿っていた。雨がずっと、葬式の現場を降りしきっていた。ねえ。私たちは死ぬまで、こんな感じなのだろうか。ずっと。ずっと。ずっと。私とあの女の子の間には、ずっと、雨が行ったり来たりを繰り返すんだろうか。いつか、別の何か、雨が宿り先を変えたりしないでしょうか。しないでしょうか。してくれませんか。雨。と、頼むように、頼むように、コカコーラを飲み干した。炭酸が、喉。炭酸が、喉を、ぱちぱち。のどちんこの正式名称は。


私はゆっくりと階段を降りた。


もう面倒だった。何もかも一緒にしてしまえ、と思った。哲学書も、小説も、詩も、絵も、映画も、書も、なにもかも。何もかもをだ。全て、一緒にしてしまえ。そう思って、私は、そう思って、歩いていた。そう思って、実際に、そうなって、何が、わるいの。あなたがいるわ。わるいあなたがいるわ。私は暗闇にして、それから色を思い出すようにして、光で照らした。いろがいろいろある部屋だった。不思議だった。雲の中身を取り出してみたら、すごくいっぱいの鳥が、そこにいることがわかった。例えば、台風の中にはすごい数の鳥がいて、羽ばたいているんだね。私はうたた寝をした。監督が私を起こすまで、畳の上で、寝ていようと思った。私は、その人のことは知らないけれども、竹中直人主演の「三文役者」がすき。だから私も、役者でありたい。私は、役者。でも、演技をしない間は、ごろごろ寝ていることも多い。私は今寝ている。おしっこだってする。寝ていない時にだけれども、お風呂に入ることもある。お寿司を食べたり、ご飯を食べる。そんな合間合間に撮影がある。どうしてだろう。私がご飯を食べたり、寝ていたり、おしっこをしている間も、撮影してくれていていいのに、どうしてだか、カメラが止まってしまう。証明が落ちてしまう。ゆっくりと優しい気持ちが消えてしまう。私にはそういう気持ちがあるんだ。と思う。


私はゆっくりと階段を、階段の上でゆっくりと立っていた。あたりを見渡した。階段から見渡せる景色が見渡せた。そうだ、それが見えた。そのように、教えてあげた。教えてあげるということは。なんだろう。わかんないや。試み。


私は、そう、疲れた。私は、疲れた。疲れちゃった。でも、燃えている。熱っている。頻りに。


私は、ゆっくりと階段を、階段を、疲れた。疲れちゃった。でも。燃えて。


たばこの花が咲いている裏庭で、私は江口寿史の絵見たいな感じのガニ股で座り込んでいる。


女優業も、女優業も、そんな、かんたんじゃ、かんたんじゃ、疲れちゃう。疲れた。疲れちゃうのよ。疲れちゃった。


でも、うん。まだ、これからなんだ。愛している作品のために、私はもう少しごろごろした後で、すっくと立ち上がるんだろう。


主演女優がお昼寝をしてしまったので、もう撮影は先へ進めない。だからみんなで、お昼寝をします。


私たちは眠った。


私たちは、目を、覚ました。目を、覚ましたんだ。次のsceneへ。


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そs


そし


そいt


そして、


そして、やがて、撮影は終わって、映画は完成して、こんど、これから小規模ですけど、自主上映で、映画館で、小さな映画館で、私たちの作品が、全国で、上映されまる。

ぜひ、見にきてくださいね。

私は脱いでおります。裸が見れます。


おっぱいが、揺れている。


おっぱいが、揺れている


おっぱいが、ゆれている


おっぱいが、ゆれていr


おっぱいが、ゆれてい


おっぱいが、ゆれて


おっぱいが、ゆれt


おっぱいが、ゆれ


おっぱいが、ゆr


おっぱいが、ゆ


おっぱいが、ゆう


おっぱいが、ゆうr


おっぱいが、ゆうれ


おっぱいが、ゆうれい


おっぱいが、幽霊


おっぱいが、優麗


おっぱいが、優麗d


おっぱいが、優麗で


おっぱいが、優麗でs


おっぱいが、優麗です


おっぱいが、優麗ですk


おっぱいが、優麗ですか


おっぱいが、優麗ですかr


おっぱいが、優麗ですから


おっぱいが、優麗ですから!


はい、見にきてください。私は主演女優だった。


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