第18話 寄せては返す波間に

「うえぇ~、気持ち悪いよう……」


 波立つ灰海を行く帆船の甲板にて。私は初めての船旅で酔いに酔い、船べりにぐでーっとよりかかる。浜ノ村に着いて三日後、出航の準備を終えた海の民と共に、沖ノ島へ向かって陸を発った……のはいいんだけど、私は早速海の洗礼を受けていた。


「まだ出航したばかりだぞ、タネ。沖ノ島まで半月はかかる」


 残花は船べりにもたれ、煙管キセルをぷかあとふかす。


「それ! 往復で一月も海の上なんて。ぐう……耐えられるかなあ……」

「直に慣れる」


 海の広さを甘く見ていた。なんと沖ノ島までは片道半月もかかるらしいのだ。ゆらゆら揺れる呑気な船旅……なんてものではない。なにせ――


「お頭あ! 右舷前方、大型灰魚の群れを発見! やっちまいましょう!」


 帆柱の物見台から、遠眼鏡を覗く船員が叫んだ。操舵輪を握る江良が続けて指示を出す。


「よし、面舵いっぱぁーいッ! 右舷、鎖銛砲さてんほう用意ッ!」

「「応っ!」」


 江良は勢い良く操舵輪を右に回し、威勢良く応えた船員達のダミ声が船酔いでぐったりした私の身に響く。帆船はやや傾斜しながら向きを変え、右前方に進んでいく。ぐぇ~、しんどい。


「撃てぇッ!」


 ――バスンッ! ジャラララッ、ガキィンッ!


 接敵するなり江良は指示を出し、帆船の側壁に並ぶ射出口から固定式大型弓台で鎖銛が撃ち出される。銛は船に突撃せんと迫る灰鮫を次々に撃ち砕いていった。放たれた銛は、ガラガラと大きな音を立てて鎖を巻き上げられ、再び射出口の中に戻っていく。


 帆船の周りを行く小型手漕ぎ船の船員は、撃ち漏らした灰魚に向け綱付きの銛を投げ、あっという間に灰魚の群れを殲滅した。


 強い。これが三百年間戦い続けてきた、海の民か。でも……一斉に撃つので、船が反動で揺れるし、大きな音と揺れで私は限界……。


「タネ、無理せず船室で休んでな! 海上でアンタの出番は無いよ! 取舵いっぱぁーいッ!」


 灰魚を倒し航路を戻す江良が、私に声をかけた。江良、操舵輪握ると人が変わるみたい。ありゃ間違いなくお頭だわ、お言葉に甘えよう……。よろよろと船室に向かって歩く私の手を、残花がすっと取り、優しく引く。


「大丈夫か」


 こういうことさらっと自然にするからさあ、江良に気を持たせちゃってるんじゃないの? なーんて悪態をつく余裕もない。もう素直に甘えきって残花に寄り掛かる。


「ぜぇんぜんだいじょぶじゃない」

「……今夜は嵐にぶつかると江良が言っていた。今のうちに寝ておけ」

「ひええ~……」


 これ以上揺れるっていうの? 海、無理! 正直なめてたよう……!


 ◆


「……ん……」


 残花と二人部屋の、暗く狭小な船室。寝台に横になっていたら、いつのまにか眠ってたみたい。上体を起こし、うーんと伸びをする。丸い船窓から見える外の景色は、真っ黒な海――もう夜か、あれ? 全然凪じゃん。昼間の揺れが嘘みたいに穏やか。眠れたおかげか、気分もすっかり良くなった。


 見れば、残花は腕を組んで丸椅子に座り、壁に背を預けて眠っていた。……ずっと、私に付き添ってくれてたのかな。


 静かに寝台から足を下ろし、腰掛けたままそっと残花に近付く。船室には、穏やかな波音と寝息だけが響いている。


 小さな船行灯が、残花の横顔を優しく照らす。すぐ隣で、じっと見つめた。思えば、芽ノ村で残花と出会ってから、ずっと忙しい旅を続けてきた。こんな風に戦いと移動を人に任せて、ゆっくり休ませてもらうなんて無かったなあ。


 出会っていきなり、抱き締められて。すっごくドキドキしたっけ。初めて見た桜花の剣は、あまりに綺麗で。視野いっぱいに舞う桜の花弁に、凛と構えた残花――絶対、一生忘れられない。あの時に、持っていかれちゃったんだよなあ……。


 ふと、残花と再会した江良の様子が浮かぶ。涙を浮かべて「待ってた」なんて、どう見ても、残花の言う「ただ一緒に戦っただけ」の関係じゃない。はーあ、何だかなあ。


「……家族じゃなかったら、いいのに」


 思わず声に出てしまい、ハッと手で口を覆う。残花が、パチと目を開けた。ヤバい、聞かれた!? どうしよう、何て言えば――!


 目が、合う。残花の目は、少し悲しそうに見えた。私の目は、今どんな風に見えているだろう。バクバクと鼓動が止まらない。ほんのわずかの沈黙の後、残花が口を開く。


「俺は、大事な家族だと思っている」


 それは優しく言い聞かせるような、とても落ち着いた声で。残花は立ち、船室の扉に向かった。取手に手をかけ、背を向けたまま言う。


「もう平気そうだな。そのまま休んでおけ」

「あ、ちょ、待っ――」


 ――バタン


 残花はそう言い残し、出ていった。私はひとり船室に残されて、動けなかった。


 ……あああ、やっちゃった……私何で声に出しちゃったんだろう。だって、だって。そう思っちゃったんだ。本当に兄妹かもわかんないなら、いっそハッキリ他人だったら。このモヤモヤも、晴らせるのに……。


 残花、嫌な思いをしたかな。残花からしたら、妹と思っている相手に「家族じゃなかったらいい」なんて言われたら嫌だよね。


 ……ああ、もう! やりきれない想いに、バンと布団を叩いた瞬間――


 ――ドオオォンッ!!


 突然激しい衝撃が船を揺らす! 思わずよろけて、どんと寝台に倒れ込む。


「な、何!?」


 ――お頭あ! 大変だ、右舷に――!

 ――左舷にも――!


 甲板では大声が飛び交い、船室の外でバタバタと船員が走る音が響く。いったい何事!?


 ――ドォンッ! ドンッ!


 その後も何かが船にぶつかるような衝撃が続き、その度に揺れる。私は船の揺れによろけながらも船室を出て、甲板に上がった。ただ事じゃない、私も船室で休んでなんかいられない!


 甲板に出た瞬間、暗雲に閃光がはしる。


「何、あれ――!」


 黒海に雷光が照らし出す。船を囲むようにいくつも天に伸びる、帆柱よりも巨大な灰色のうねる大足――!


「【灰王カイオウ烏賊イカ】だッ!」


 操舵輪を握る江良が叫んだ。


 ――ドドォオオオンッ!


 雷鳴が轟き、大気が震える。暗雲は大粒の雨を甲板に打ち付け、大海はにわかに波立つ! 揺れ出す船に思わずよろけ、船壁にどんと背を打った。


 ――最悪だ。真っ暗な海の真ん中で、激しい嵐。大きな帆船よりもさらに巨大なイカの灰魚……! こんなの、どうにかなるの――!?

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