第二章 武ノ里

第9話 いざ参る武家の里

「うひゃーっ、はっやあーーい! ひゃほーっ! しかも毛並みがもふもふ、気ん持ちいいーっ!」


 灰積もる地を飛ぶように駆ける白兎の背で、後ろから残花にすっぽり抱かれながら、私は心のままに叫んだ。


 獣ノ山を発ってまだ五日。白兎の足は、人の徒歩とは比べ物にならないくらい速い。川はぴょーんとひとっ飛び、深い灰地も何のその。山越え谷越えびゅんびゅん走って。あっという間に大きな大きな獣ノ山は見えなくなり、いよいよ次の目的地、武ノ里の山が遠くに見えてきた。残花が言うには、武ノ里の御神木はあの山の頂にあるらしい。


「……ねえ、残花。また山? 御神木って、何でいっつも山頂にあるの?」


 振り向くように見上げ、ふと湧いた疑問を投げた。芽ノ村の山、獣ノ山と来て、武ノ里の御神木も山頂にあるなんて。残花は苺色の手綱を引きながら答える。


「山は、故郷のどこからでも見える。ゆえに、人は故郷を思う時、山を思い浮かべやすい。即ち、山は愛郷の象徴であり、そこに祈りが集う。だから御神木は山頂にあるのだ」


 残花は丁寧に説明してくれた。ふーん、そう言うこと。八割くらいはわかった、気がする。


「が、武ノ里の山は一味違うぞ。きっと気に入るだろう」

「え?」


 呆けた顔で見上げる私に、残花は「ふ」と笑いをこぼした。


「武ノ里の山は休火山でな。温泉が湧くのだ」

「えー、温泉!? 私入ったことない! ちょー楽しみっ! あ、そうだ、白兎も一緒に入ろうよ! 灰地をいっぱい走ってもらってるからさ、綺麗にしたげるっ!」


 白兎の背を撫で撫でしながら話しかけると、白兎はぐんと速度を上げた。


「わわっ!? あは、白兎も楽しみみたい! ひゃほーっ!」


 うー、ワクワクしてきた、期待が止まらない! 白兎、びゅんびゅん行けーっ! いざ、ほっかほか湯けむり、きっと絶景、心まであったまる温泉(妄想)の待つ武ノ里へ――!


 ◆


「はあ? 山の温泉? あんなもん灰で埋まって入れないよ! それに明日はいよいよ【天下一てんかいち御前試合ごぜんじあい】だ! そんじゃ、私は忙しいから!」


 あれから駆けること一日。里に着くなり人に温泉の場所を聞いてみたら、まさかの一蹴。思わず残花に文句を言う。


「残花あ~……。どうなってんの、三百年前の旅行記でも読んだわけ?」


 もう体中何から何までがっくりして、長いため息を吐く私。隣で白兎もぶふうと大きなため息をついた。


「……すまん。そう言えば二年前に寄った時もそうだった、失念していた」


 残花が本当に申し訳ない顔をして頭を下げたので、可哀想になって悪態を止める私。


「……よし! そんじゃあ早速御神木を治して、灰を消しちゃお! そしたら綺麗な温泉に入れるよねっ!」


 白兎に明るく話しかけると、もっふもっふと毛並みを揺らし頷いた。同意してくれてるみたい。残花が残念そうに首を横に振る。


「……時期が悪かった。そうも行きそうにない」

「へ?」


 残花は顎をくいと山にやる。残花が指す先を見れば、里の武士や奉公人達がせっせと大荷物を山の麓に運んでいく。武ノ里は、武家屋敷や奉公人の町家が並ぶ大きな里だ。それが祭でもあるかのようにざわめきたっている。


「……何してんの、あれ」

「準備だ。天下一御前試合のな」

「天下一御前試合?」


 聞き覚えのない単語に首を傾げる。そう言えばさっきの人もそんなこと言ってたっけ。


「年に一度、天下の武人が集い、腕を競う大会だ。御前とはすなわち御神木の面前。山を舞台に行われ、期間中は参加者以外立ち入れない。あれは応援のため各武家が陣を敷いているのだ」

「えー!? 何とかならないのそれ!」


 頬を膨らませて文句を言うと、短髪の大男が急に会話に割り込んできた。


「ならねえよ。待ってたぜ、残花」


 男は身の丈六尺半、母上ほどじゃないけど十分デカくてがっちり体型、筋骨隆々。年は残花と同じ二十代くらいかな。あちこち擦れた全身黒の道着袴は、山篭りでもして鍛えたかのよう。


 何より目を引くのは、背に負う黒鉄の極大刀――いや、刀と呼ぶのもはばかられるほど荒く武骨な、鈍く光る鉄塊。丈は身の丈ほど、刀身幅は私の胴くらいあって、灰人すら一撃で叩き潰しそうな代物だ。ただし、まともに振るうことができれば。私だったら、持ち上げようとしただけで潰れちゃいそう。


断十郎ダンジュウロウか」


 残花が断十郎と呼んだ男が、にいっと口角を上げる。


「相変わらず目立つ頭しやがって、すぐお前だとわかったぜ。二年前、てめえに負けた屈辱は忘れねえ。昨年は雑魚だらけでつまらねえ試合だったが、今年は楽しめそうだ」

「……戦闘狂め。俺は出るために来たわけではない」

「ああ? 何言ってやがる。だったら何しに来たってんだ。やかましい小娘にでっけえ兎連れて」


 断十郎がじろりと私を見下ろしたので、私は会話に割って入る。急に入ってきてやかましいとは何だ!


「私は小娘じゃなくて豊穣タネ! 私と残花は世界中の御神木を治す旅をしてるの、物見遊山じゃないんだから! この子は白兎。私と残花を乗せて、一緒に旅をしてくれてるの」

「……! んだな?」


 断十郎は残花を見、急に真剣な顔つきに変わった。残花は頷く。


「そうだ」

「待ちくたびれたぜ。ようやくこの【斬灰刀ざんかいとう】を振るう時が来たか」


 断十郎は背に負う大刀の柄に右手をかけた。やっぱり、あれは灰人と戦うための武器なんだ。断十郎はクイと顎で背後を指し、言う。


「来な。どうせ山にゃ入れねえし、この時期ゃ宿も空いてねえ。ウチで色々聞かせてもらおうじゃねえか」

「いいだろう」


 残花は勝手に承諾し、振り返り歩き出す断十郎に続く。えー、ついてくの? 私この人ちょっと怖いっていうか、乱暴そうで好きくないんだけど。……っても残花が着いていくならしょうがない。白兎に「行こ」と声をかけて後に続いた。


 ……てくてく……


 断十郎と残花に続いて歩くこと十分。歩けど歩けど、漆喰の白塀が続くばかりで、一向に断十郎の家に着く気配がない。


「……ねえ断十郎、まだ? 結構遠い?」


 断十郎は首だけ振り返り、言う。


「ああ? ずっと見えてんだろが」

「へ?」


 断十郎が歩きながらこんこんと塀を叩く。


「これがウチの塀だ」


 私は思わず高い声を上げる。


「ええーっ!? この長ーい塀が? 断十郎のうちどんだけでかいの!?」


 驚く私に、残花が歩きながら首だけ振り返り話す。


「断十郎の家――仁道ニドウ家は武家の総本家だからな。都にもここまでの屋敷はそうない」

「えーっ!? えーっ!? 武家の総本家って……! 断十郎ってすごい人なんだ!」


 私は純粋に驚いた。断十郎が前を向いたまま、少し機嫌悪そうに舌打ちする。


「……やかましいガキだ」

「え……ごめん」


 えー、私いま何で怒られたの? 褒めたんじゃん。やっぱり断十郎苦手。


「おら、着いたぞ」


 やっと門に着いた。両袖に立つ門番がぎぎいと大きな門を開ければ、芽ノ村がすっぽり入りそうなほど広大な屋敷が現れた。もちろん茅葺きじゃなくて全部瓦屋根だし、道場や枯山水の庭園まである。ひえー……とんでもないとこに来たぞ。これに比べたらうちのボロ家なんか犬小屋だよ。


 白木の立派な玄関で履物を脱ぎ、だんと屋敷に上がる断十郎。私達も続こうと思ったけど……。


「あ、残花。白兎どうしよ」

「問題ない。白兎、頼む」


 残花が白兎に声をかけると、なんと身の丈八尺の白兎がしゅるしゅると小さくなって、あっという間に手乗り兎になった! ええー!? 小さくなれたのあんた!! 驚きのあまり声を失った私に、残花が話しかける。


「白兎は神の眷属だ。神力さえ戻れば、体を小さくするぐらいのことは造作もない」


 手乗り兎になった白兎は、するすると残花の体を登って懐に潜り込み、着物の合わせからひょこと顔を出す。えー!? きゅんきゅんするんだけど!


「か、可愛い……! ねえ白兎、私んとこ来ない?」


 私は白兎に顔を寄せ話しかけるも、白兎はぶんぶんと首を振って、残花の胸に頬を擦り付け、再び懐に潜り込んだ。あれー……、来てくれない。残花が大好きだね、白兎は。ちぇっ。


「何してんだ。さっさと上がれ」


 奥から断十郎の声が響く。私と残花は履物を脱ぎ、断十郎に続いた。断十郎はどかどかと長い廊下を歩いて奥の間へ向かう。……でも、何か様子が変だ。家の者達は断十郎を出迎えどころか声もかけず、隠れるようにひそひそと話している。


 ――帰ってきたぞ、あのうつけ者が……

 ――来る日も来る日も剣ばかり。いつもどこをほっつき歩いてんだか……

 ――前代様も草葉の陰で嘆いておられる……


 あれ、もしかして断十郎、家で除け者にされてる?


「ねえ、残花……」

「黙っておけ」


 私の目線に気付いた残花は、しっと指を口に当てた。


「……ん、わかった」


 断十郎は屋敷奥の居間までどかどか歩き、がっと襖を開け、私達を通すなりばんと襖を閉めた。斬灰刀を床の間に置き、だんと畳に胡座をかく。


「座れ。さあ、教えてもらおうじゃねえか。【黄泉】をぶった斬るいくさの状況をよ」


 断十郎が真剣な眼差しで残花を見る。この人、母上と同じ人だ。考えてみれば武家の総本家、灰人と戦い続けてきた人達のど真ん中。私は何故だか急に身震いした。本当の合戦が、いよいよ始まる予感がした――……。

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