第8話 ずっと共に生きていく

 翌早朝、社務所の板間にて。私と残花は布団を畳み、身支度を済ませた。猟は昨晩、ずっと境内の白兎の所にいたみたい。


「猟、大丈夫かな」

「……行くぞ」


 私の不安をよそに、残花は二刀を腰に差し、社務所を出る。


「あ、待ってよ」


 私も札入れを腰帯に結び付け、社務所を出た。境内には、でっぷりと座した白兎と、目を赤く泣き腫らした猟がいた。でも、その顔は明るい。白兎の太く短い首には、白い毛並みに映える苺色の首輪と手綱が着けられている。


「お早い出立しゅったつで。もう行かはれまっか?」


 猟はにかっと笑って、残花と私に話しかける。無理して笑ってる感じじゃない。


「ああ、急ぐ旅でな」

「せやろうなあ、なんせ世界はまだまだ灰だらけ。お二人の救いを待っとる人はぎょうさんおりますやろ」


 昨晩とあまりに違う猟の様子に、私は思わず話しかける。


「ね、ねえ猟。どしたの。何か吹っ切れた?」


 猟は一瞬黙って、静かに頷いた。


「タネ、ゆうべは心配かけてすまんかった。わいな、一晩ずうっと考えたんや。白兎様の横で、ずっとずうっと考えた。わいはどうすべきなんやって」


 猟は自分でうんうんと頷きながら語る。


「そしたらな、不思議なんや。これからのことを考えなあかんのに、頭に浮かぶのはぜーんぶ思い出やった。物心つく前から親父に抱かれ、一緒に背に乗せてもろた、黒兎様と白兎様との楽しい日々、頑張った日々、辛かった日々……」


 優しい顔でとうとうと語る猟に、私と残花はじっと黙って耳を傾ける。


「最後に思い出したんは……まだわいが七つの時分、親父が死んだ日のことやった。灰塵による肺の病気でな。弓の名手だった親父がすっかり弱りきって。布団に横たわる親父の最期の言葉は、『猟、待つもんと行くもんは、どっちが幸せやと思う?』ちゅう優しい問い掛けやった。易しくはない。意味がわからんかった。わいが七つやったからやない。いくつになっても、ずうっとわからんかった」

「……難しいね」


「どっちも幸せかもしれんし、どっちも不幸せかもしらん。答えなんかないやんと思うとった。せやけど、これは親父の遺言や。大事な親父が、大事な息子に最期に遺したかった言葉や。きっと何か意味があるんやろうと思っとった」

「……うん」


「あれからもう十年になる。母はわいが産まれた時に行き、親父が行き、黒兎様が行き。今、白兎様はあの世ではないが、遠くへ行こうとされとる。わいは今更になって、ようやくわかった気がするんや」

「……なに?」


「親父はきっと、こう伝えたかったんやないやろか。『待つ者と行く者は、身は離れても心はずっと共にある。せやから、どっちも幸せなんや』、と」

「……!」


 思わず、ぐっと息を飲む。脳裏に、母上と根助の見送る顔が鮮烈に浮かんだ。猟は込み上げる想いにだんだん声を震わせながら、言葉を続ける。


「親父はとうに行った。でもわいは、今親父と会話しとる。大事な言葉がずっと胸に残って、わいは一生懸命その意味を考えた。十年前に親父が遺した言葉が、今のわいを救おうとしとる。わいは、幸せや……!」

「……猟……!」


 猟は優しい笑顔で、止めどない涙を流す。


「せやから! わいは白兎様を喜んで送る! わいは待つ。白兎様は行かはる。せやけど、心はずっと一緒や! わいの心にはずうっと白兎様がおる。たとえ身は離れても、数えきれないほどの思い出が、わいを幸せにしてくだはる!」


 白兎は、猟の言葉がわかるのか、はたまた心が伝わったのか、その柔らかな毛並みを擦り付け、優しい顔を浮かべた。


「大きに、大きに……! 白兎様、お気を付けて……!」


 猟は白兎の真白い毛並みに顔を埋め、ぎゅうっと抱きついて泣いた。何度も何度も笑おうとしてぐしぐし涙を拭っては、やっぱり泣いた。


 やがて猟の涙が収まる頃、猟は白兎を一撫でして身を離し、私と残花に向く。真っ直ぐな瞳で。


「……もちろん、残花はんとタネも、心におる。どうか、お気を付けて」


 猟は、深々と礼をした。残花は黙って頷く。私は、頭を下げる猟の手を優しく取った。


「私も。心に、猟がいるよ」


 猟は顔を上げ、手をしっかりと握り返す。


「……大きに!」


 猟は笑った。頬には涙の跡、目は赤く泣き腫らし。それでも、にかっと笑った。だから、私も笑う。きっと、雲の上のお日様のように。


 白兎は猟の様子に安心したのか、でっぷりした身をもふりと起こす。猟の横を離れ、残花のもとへ。残花は懐かしむような目をしながら優しく一撫でし、ぐんと背に跳び乗った。右手で苺色の手綱を握り、左手を私に差し出す。


「さあ、行くぞ」

「……うん!」


 猟の手を離し、もう一度にこっと笑いかけてから、残花の手を取って背に跳び乗る。残花の前身と腕の中にすっぽり抱かれるように、前側に股がった。残花は猟に一声かける。


「猟、有り難く借りて行く」

「白兎様をよろしゅう頼んます!」


 残花は猟に一礼し、手綱を軽く引いた。白兎はゆっくりと歩き出す。猟は大きく手を振った。


「白兎様! 残花はん! タネ! 皆、お達者で!」

「猟もねー!」


 白兎は徐々に速度を上げ、境内を離れく。私は白兎の背から身を乗り出し、大きく手を振り返した。残花は首だけ振り向いて猟に会釈する。


 ――こうして、私と残花は獣ノ山を発った。


 芽ノ村を出て半月、狩ノ村の滞在はわずか二泊三日。でも、すごく濃い三日間だった。もっと長い間いたような気がする。猟と会ってまだ三日だなんて信じられない。それくらい、私の心に、猟がいる。


 風を切り、白兎はびゅんびゅん大草原を駆けていく。大苺の枝がそこら中に這う獣ノ山が、だんだん遠く離れて。


「ねえ、残花。絶対無事に返さなきゃね」


 私は見上げるように振り向き、背後の残花に話しかけた。


「ああ、勿論だ」


 残花は力強く頷き、手綱をぐんと引いた。白兎は速度を上げ、草原を飛ぶように駆けて行く。大きな大きな獣ノ山が、あっという間に遠ざかって行く。


 私、これからまだまだ遠くへ行く。残花と一緒に、地の果てどころか天までも。でも、どんなに遠く離れても。ずっと、一緒だ。母上も、根助も、猟も、みんな、みんな――……。

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