第8話

 最近よくアイカさんに会うことが多い、多いといっても平日の、それも俺が昼休憩中のわずか一時間程度の時間なのだが。

 いつものカフェに行き、適当な席に座る。最近は壁際の席によく座るようにして壁際側の席を一個外して座る、別にこれと言って深い意味があるわけではない。その方が知らない客が座る可能性が少ないだろうと思っての行動だ。

 本を読みながら待っていると気が付けば開けておいた席にアイカさんがいる、小説を読んでいる間は何故か周りが見えなくなってしまうのは俺の悪い癖だと思う。


「最近よく会いますね」


 アイカさんがそういって微笑んだ、いや、会うようにしてるんだろ。とはさすがに言わなかった、そもそも俺もどこかで昼休憩中のこの時間を気に入っている訳で、それをアイカさんも何となく察してはいるだろう。

 願わくばアイカさんも平日の昼時のこの時間を気に入っていればいいと、ふと思う。


「まぁ、ほとんど昼のルーティンみたいになってるよね」


 これは本心で、この昼の時間は俺の毎日の日常になっているし仮にこれが急になくなると変な気分になるとは自分でも思う。

 俺がそんなことを言うとアイカさんは不思議そうな顔で俺を見つめる。


「……思ったんですけど、それって素ですか?」

「ん? どの話の事?」

「いや、わかってないならいいです。今日は何読んでるんですか?」

「え、気になるんだけど」

「何もないですって」


 痺れを切らしたのかアイカさんは俺のタブレットをのぞき込んでくる、そうなるとアイカさんと俺の距離も自然と近くなる。それ自体嫌なわけではない、だが何となく体をよけて距離をとってしまう。


「へぇ、こういうジャンルも読むんですね……」

「まぁ、ほどほどにオタクしてますから」


 俺が今読んでいるのは所謂ライトノベルと言うジャンルで、主に美少女と主人公が出てくるファンタジー、ラブコメ、日常系と幅広い作品が多くあるジャンルだ。

 確かにあまりなじみがない人種からすればこの手のジャンルは色物に見えるだろう。


「私そういうの読んだことないんですけど、何かおすすめありますか?」

「え、てっきりアイカちゃんはこの手の小説毛嫌いしてると思ったのに」

「はっきり言えば得意じゃないです、なんか現実味がないというか感情移入ができない気がして」


 確かにアイカさんの読む小説のジャンルは現実世界を舞台にしたものが多い、それと比べれば感情移入がしずらいと言う感想もわからなくはない。

 ただ正直今のアイカさんの言葉に少し驚いた、まさかラノベに興味を持ってくれるとは。


「まぁ、読んでみたいなら今俺が読んでるこれとかどう?」

「面白いですか?」

「面白いよ、アニメ化もされて評判も中々いい。何ならアニメの最終回は普通に泣ける」

「そこまで言うなら読んでみます」

「シリーズ物で巻数も多いからほんとに時間余った時にでも読んでみてよ」


 正直少し、と言うかかなりうれしかった。

 俺の周りにはオタク文化に寛容な人があまりいなかったしあからさまに態度に出すわけではないがこの手の話をすると微妙な顔をされてしまうことがほとんどだ。

 だからアイカさんがこの小説を読んで、それであわよくば好きになってもらえれば素直にそれはうれしいと思う。


「じゃぁさっそく……」

「あ、今読むの?」

「あれ、ダメでした?」

「全然だめじゃないしむしろ読んでくれって感じ」

「じゃぁ読みます」


 そういってアイカさんは俺の隣で読書を始めた、俺もそれにつられて途中にしていた本を読み始める。

 俺がアイカさんに進めた小説、要は戦争物で主人公は表情がまるでないが実は仲間思いでそれを表に出さずに陰ながら自分のトラウマと戦っている、そんな物語だ。

 ライトノベルと言うのは確かに普通の小説と比べて感情移入がしにくいと言えばそうだと思う、だがライトノベルの良さと言うのはもう一つの自分ではできない、もしくはあり得たかもしれない妄想を全開にできるという部分にあると俺は思っている。

 勿論そんなことはないという人もいるだろうし、感性は人それぞれだ。だからこそこの手の趣味で意見が合う人と言うのは何よりも貴重でかけがえのない存在だ。


 タブレットに視線を落としながら読書をする、気が付けば結構時間がたっていた。

 ふと隣を見る、するとアイカさんが俺の方をずっと見て何とも言えない顔をしていた。


「え、と、なんかあった?」

「いえ、珍しく私そっちのけで読書に集中してたので少し眺めてました」

「なんかごめん」

「あ、いえいえ! 攻めてるわけじゃなくて、集中してるから時間が来たら教えてあげようと思って!」

「そうなの? なんか気を使ってもらってありがと」

「普通そこはごめんが主流じゃないですか?」

「何となく、謝られるよりも感謝された方がうれしくない?」


 確かに、普通なら気を使ってもらってごめん、と言うのがよくつかわれる言葉だ。

 だが今俺が感謝したのはアイカさんの貴重な読書時間を俺のために割いてくれてありがとうと素直に思ったからそういっただけで、何か意図があってそういったわけではない。


「そういうとこ、素敵だと思います」


 右ストレートを食らった。

 そんな気分だった。


「好きなものを一緒に好きになってくれようとしてくれるとこも素敵だと思うよ」


 カウンターを返す。

 アイカさんはその言葉の後、少し赤面していた、無事に決まったようだ。


「また明日、って明日土曜日だから会社休みか」

「ち、因みに明日って予定有りますか?」


 少し考える、きっと休日だし家にはリカがいるだろう。

 だが明日はバーのバイトがある、だからなんだかんだ理由をつけて外出することは可能だろう。


「ないよ?」

「じゃぁ、この間言ってた映画……もしよかったら行きませんか?」

「いいよ、時間とかは後で連絡するね」

「はい! じゃぁ連絡待ってます」


 そういって満面の笑みで微笑むアイカさん。

 スナックでもこの表情をすればたちまち人気者になれるだろう、だけど今この笑顔は俺だけに向けられていると考えたらほんの少しだけうれしいと思った。




 ************



 仕事が終わり家に帰る。

 家に帰れば当たり前にリカがいてそして作り立てのご飯がすでに用意されているこの状況、最初こそ感謝していたが今では当たり前の光景と化している。


「お帰りー!」

「ただいま、毎日ありがとね。たまには休んでもいいのに」

「んーん、私がしたいだけだから気にしないで」


 どうせそう言ってくると思っていた、この女は人の言葉の裏を読むことを知らないのだろう、俺が言った、たまには休んでいいのに、がたまには一人でいさせてくれと言う意味だとは一ミリも思っていないだろうし疑っていない。

 別に騙しているわけではない、その意図は全くない。

 だがあまりにも純朴なリカを見ていると騙している気分になってしまう、事実騙しているに近いのだろうが。


 今日もこまめに掃除されているし、風呂も沸かしてある、おいしいご飯もある、大方全てある、筈なのだが何か足りないと感じてしまう。

 無いものねだりであるのは重々承知しているし、リカに対して最低だとも自覚している。

 ここで俺がリカだけを見ていれば全て解決なのだ、俺がリカを好きになりさえすれば、リカも幸せになれるし俺も幸せなのだろう。

 ふとリカを別の誰かに置き換えて想像してみた。


「あれ、顔赤いよ? 大丈夫?」

「んえ? あ、うん。何でもない」

「そう? 食欲ある?」

「ほんと大丈夫、ちょっと昼に見た小説の内容思い出して想像してた」

「そっか! 小説好きだもんね、……エッチな小説だったりして」

「官能小説は馬鹿にできないぞ」


 官能小説は本当にすごいと思う、人を文章だけでムラムラさせることができる小説家の先生には頭が上がらない。下手なAVよりも官能小説の方が興奮できるまである。


「ハイハイ、その手の話なると長いから先にご飯食べよ!」


 リカはパンッと手をたたいて会話を強制的に終わらせた。

 なんだ、これからリカに官能小説のすばらしさを説いてあげようとしたのだが、なんだか消化不良だ、もしこれがアイカさんだったらどんな風に返してくれただろうか?

 きっと嫌そうな顔をしながらも読んでくれる気がする。


 そんなことを考えながら俺とリカは向かい合ってご飯を食べ始める、相変わらずリカが作ってくれた料理はどれも美味しい、本当に最低だとは思うがこれがもしアイカさんなら、と考えてしまう。

 何となく、アイカさんは料理が苦手そうな感じがした。


 ご飯を食べ終わり、食器を片しながらふと今日の昼休憩中の事を思い出す。

 そういえば明日アイカさんと映画を見に行く約束をしていた、そしてまだ時間の連絡をしていなければリカにその件も伝えていない。

 恐る恐る隣で食器を洗うリカを横目で見る、相変わらず期限が良さそうなのだがこの話をしてその顔が曇る様子が言わなくても想像できる。

 だが言わずにいるのも悪手だ。


「あー、明日なんだけどさ」

「んー? どうしたの?」

「明日ちょっと友達と出かけてそのままバイト行くから一日戻らないかも」


 さて、リカの様子はどうだろう。


「そうなんだ! 前もって言ってくれてありがと、じゃあ明日は自分の家にいるね」


 リカは本当に何ともないようにそういって洗い物を続ける、少し意外だった。

 予想では無理して笑顔を作って、そして不安そうに行ってらっしゃいと告げる、そんな風に予想していたのだが案外素直に受け入れてくれた。

 少なくとも前まではこんな感じではなかったし、そのイメージしかなかったので少し不思議に思えた。

 だが何もないのであればそれに越したことはない。


「うん、たまには家でゆっくりやすんで」

「ありがと、そうするね」

「うん、先にお風呂入ってくるね」

「はーい、行ってらっしゃい!」


 リカにそう告げて俺は脱衣所へと向かいながらアイカさんにメッセージを打つ。


『遅くなってごめん、明日十一時に駅前の映画館前に待ち合わせでどうかな?』


 メッセージを送ってからすぐにアイカさんの既読が付く


『忘れられてると思いました(笑)了解です、それじゃまた明日ですね』

『ごめんって、お詫びに昼ごはん奢るよ』

『ほんとですか!? じゃぁ店は私が決めておきますね!』

『うん、お願い』

『楽しみにしておきますね』


 俺も、と途中まで入力してやめる。

 楽しみであることに間違えはないのだが、ここでそう返したらなんだか負けた気になる気がして送ることはせず、既読をつけてスタンプで返す。


 携帯を閉じてそのままリカの入れてくれた風呂につかることにしよう、明日の事はそれから考えても遅くない。


 その日の夜、俺はリカとセックスせずに眠った。

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