第二章 どうしようもなく最低な俺と君。

第6話

 昔どうしようもなく好きな子がいた。


 今思えば狂気的なまでに俺はその子のことが好きで、呼ばれればすぐに会いに行ってを繰り返しているうちにその子の両親とも仲良くなっていた。

 上手くいっている、そう思っていた。だがそれは俺の方だけだったようで、ある日突然急にその子に振られたのだ。


 俺を振った理由、それは『好き』と言葉に出してくれないことで不安になった、そんな今思えば幼稚な理由だ。

 思い返す、確かに俺はその子に直接好きだとか言葉に出すことはしなかったし、毎日会っているのだから言葉にせずとも伝わるだろうとも思っていた。


 別れた次の日、その子の親から連絡があった。

 曰く、その子が夜中に男と二人で家出したというのだ、何故、そんなことも思ったがその時俺が真っ先に思ったのはその男が羨ましいと言う浅はかな感情だけだった。

 結果的にその子は見つかり、無事に家に帰った、その日以来その子の両親から連絡が来るようになっていた、遊びに来なさいとか、その子に会いに来るんじゃなく私達に会うために来なさい。

 その連絡が来るようになってから風のうわさで聞いたのだが、その子と一緒に家出した相手とはもう別れたとのことだった。


 数か月たって、その子と二人で遊ぶ機会があり、所謂デートという物をしたことがあった、言い出したのはその子から、だが俺のその子に対する異常なまでの愛情はとっくの昔に消え去っていた。

 デート終わり、その子からあの日のことについて謝罪をされた。そして今更なのは分かっているけどヨリを戻したいとも。


 その後どうしたかはあまり覚えていない、気が付けば俺は一人だった。




 ************




 カチャカチャと台所から音がしてその音で目を覚ます。

 最初は何の音かわからなかったが少し思案してから思い出す、そうだリカが朝飯を作っているのだと。


「おはよ! あと少しでできるからコーヒー飲んで待ってて」


 そういって手渡されたマグカップに入った入れたてのコーヒーを体に流し込む。

 そしてここ最近の事を思い出す、あの日、サキさんとの関係を解消した日、玄関先にリカがいた。

 さすがに寒い中追い出すのは気が引けたので中に入れて俺はそのまま布団に入り眠りにつこうとした、のだが案の定リカが話しかけてくる。

 独り言のように話し始めたのはサキさんから聞いた話と似たようなもので、ごめんだとか後悔しているとかそんな言葉を延々と、泣きながら俺につぶやく。


 正直に言うと、俺はリカと一樹が関係を持っていたことに何か思っていたとかそういうのは全くない。いや、最初は少なからず思っていたのかもしれない、只その感情が極わずかだっただけで。


 恐らくリカは自分のやったことを悔いて俺に謝罪をして、そしてあわよくば戻りたいと思っている、そんな気がした。

 本音を言うと早く寝かしてほしい、そんな気分だったが寒い中待っていたリカの努力を考えると相手にしないのも少し罪悪感がある。


 結論から言うと、俺はリカを許し、そしてその日俺とリカはセックスをした。

 俺に抱かれているリカの顔は付き合っていた当初よりも幸せそうな顔をしていて、複雑な気分になったことを覚えている。


 目の前のこの女性はなぜ俺に抱かれてこんなにも幸せそうなのか、と。


「はい、できたよ」

「ありがと、……相変わらずリカ料理うまいよね」

「まぁ、練習してたからね」


 何のために? と聞くのはさすがにやめた。照れながら俺を見つめる仕草で理解できたし、ここでそれを言うのは野暮という物だろう。

 リカが作ってくれたご飯は卵焼きと、なめこの味噌汁、そして舞茸の炊き込みご飯。健康的な朝ごはんといった感じだ、朝起きたらすぐにご飯が出てくることが今までは考えられなかったので新鮮な気持ちになる。

 自分の家で誰かと一緒にご飯を食べることすら新鮮でそれも相まって不思議な気分になった。


「おいしいよ、ありがと」

「嬉しい、毎日でも作ってあげるからね」

「おいおい、居座るつもりか」

「そりゃそうだよ、でも邪魔しないし負担にならないようにするし、一人になりたいときは言ってもらえればすぐに出ていくから」

「まぁ、無理になったら言ってくれ」


 今の俺とリカの関係を一言で表すとすれば恋人だ、結局なし崩し的にヨリを戻すことになった。だが俺はリカに好意を持っているわけでもないしましてやヨリを戻すつもりも全くなかった、のだが。

 強いて言えばタイミングが良かった、サキさんと終わって、アンニュイな気分になっているときに俺が承諾すれば一緒にいてくれる女性。それがリカだっただけなのだ。


 辺り障りのない会話をしながら朝食を済ませる。

どれだけ面倒でも仕事にはいかなくてはいけないので支度を始める。

 俺の仕事はサラリーマンなのでくたびれたスーツに袖を通そうとクローゼットにしまわれたスーツを取り出すとき、あることに気が付いた。


「もしかしてアイロンかけてくれた?」


 シワだらけだったシャツはシワ一つないほどきれいになっているし、くたびれたスーツもきれいにアイロンがけされている。


「うん、ちゃんとアイロンがけしないとダメだよ?」


 ふと、リカはいい奥さんになるんだろうなと他人事のように思った。

 綺麗にアイロンがけをされた仕事着に身を包み仕事に向かうため外に出る、家を出る際に行ってらっしゃいと言われるのも新鮮だった。




 ************




 午前中の仕事を済ませて今は昼休憩中、俺は基本的に平日は昼飯を食べない主義だ、食べると眠くなるしやる気がそがれるのが主な理由だったりする。

 だから昼飯時はほとんどの確率で会社近くのカフェで本を読みながらコーヒーを飲むことにしている。


 特に興味もない小説をぺらぺらとめくりながら文章を読む、会社の事務員におすすめされた本で、内容はよくある恋愛物、トラウマを持つ主人公がヒロインと出会い、親交を深めながら恋に落ちる、そんな物語だ。

 最近映画化もされていて泣ける映画として有名らしい、確かに面白いし登場人物に共感してウルっと来てしまったシーンもあったがふと我に返ると笑えてくる。

『お前みたいな人間が感動してなくんじゃねぇ』

 自分の中のもう一人の自分がそう言ってくるような気がして感動しきれないのだ。


「……タバコ吸お」


 なんだか冷めてしまったので喫煙所へと向かい、ポケットからタバコを取り出して火をつける。喫煙所は透明なガラスに囲まれていて店内から丸見えとなっている。まるで非喫煙者に喫煙者の姿をさらし上げるかのようなつくり。

 そんな構造だからタバコを吸いながらふと店内を眺める、そして数人のお客さんの中で一人見知った顔の女性がいることに気が付く。

 夜とは全く印象が違う、眼鏡をかけているアイカさんの姿があった。

 何となくじっと見ているとアイカさんがこちらの存在に気が付いたのか目が合った、無視するのもあれだろう、俺はタバコを灰皿に押し付けてアイカさんのもとに向かうことにした。


「偶然ですね、お仕事中ですか?」

「そうだね、社畜の衣装を身にまとって毎日頑張ってます」

「似合ってますよ、なんかできる男って感じです」

「そういうアイカちゃんもまるでキャバ嬢の休日みたいな恰好でとても似合ってますよ」

「それ全然褒められてる気がしないんですけど……」


 少しむっとした表情をするアイカさん、スナックにいるときのような作り物の表情じゃない気がした。きっと今の彼女は本来の彼女なのだろうと思った。


「ごめんって、邪魔じゃなければ少しいい?」

「いいですよ、お仕事大丈夫なんですか?」

「まだ休憩中」


 アイカさんが快く隣を開けてくれたので遠慮なく座る、スーツに入れていた小説が邪魔なのでテーブルの上に置く。


「あれ、この小説読んでるんですか?」

「ん、まぁおすすめされてちょっとね」

「因みに、どうでした?」

「んー、面白いよ。それなりに」

「どこが一番良かったですか?」


 食い気味に質問してくるアイカさん、もしやアイカさんもこの本の読者なのだろうか。

 そしてかなり困る質問、どこがよかったか。少し考える、そして強いて言うならここだろうというシーンが思いついた。


「……主人公がヒロインに始めて悩みを打ち明けたところかな?」

「わかります!!」


 一瞬店内がざわつくほどの大きな声でアイカさんが興奮気味にそう言った。

 それに気が付いたのかアイカさんは小声で謝りながらわざとらしく咳ばらいをする。


「誰も信じられない主人公がヒロインに初めて自分の弱みを見せた部分、あそこ本当に良かったです」

「わかる、ずっと孤高気取ってたのに唯一素直になれる人に出会えてなんかぐっと来たよ」

「ほんとにわかります、ってことは映画も見ましたか!?」

「いや、まだなんだよね。見に行きたいとは思ってるけど一人で映画館に足運ぶのも面倒でさ」

「めっちゃわかります、別に一人が嫌なわけじゃないんですけどわざわざ映画館に行かなくてもちょっと待てばサブスク解禁されるしって思うと」


「「家で見る方が楽」」


 偶然、俺とアイカさんの言葉がハモる。

 その数秒後俺とアイカさんは吹き出して笑ってしまった。


「いや意外、アイカちゃんが小説読むなんて」

「こっちも意外ですよ、全然イメージないです」

「うそ? 割と見るよ、俺結構タイトル買いしちゃう人だからジャンルバラバラだけど」

「もしかしてB型だったりします?」

「だね、そういうアイカちゃんも?」

「B型です、そんな感じしました」


 アイカさんが本当に楽しそうに笑う、ここまで感情的に笑う子なのかと驚いてしまう。少なくとも店で愛想を振りまくアイカさんよりも今のアイカさんの方が魅力的に見えるし、こっちのアイカさんの方が話しやすい。

 ふと時計を見ると休憩時間残り僅かなことに気が付く。


「ごめん、もう戻らないとだ、急に邪魔してごめんね」

「あ、いえ、楽しかったので大丈夫ですよ」

「お店にも今度遊びに行くよ」


 そういって席を立つ、のだがなんだかアイカさんがずっと俺のことを見ている気がした。


「あの、よかったら何ですけど。今度映画、見に行きません?」


 思わぬ誘いにびっくりする。

 ただ何となくアイカさんに誘われた事がうれしかった。


「いいよ、空いてるとき教えてよ。時間合わせるから」

「よかったぁ、断られるかとおもいました」

「アイカちゃんの誘いなら断らないって」

「その言い方、なんか慣れてますね……」

「めっちゃうれしいけど感情隠してるだけ」

「主人公みたいな事言いますね」

「じゃぁ、ヒロインはアイカちゃんってこと?」

「は、早く仕事戻ってください!!」

「ハイハイ、それじゃまた今度」


 そういってカフェをあとにする、なんとなく午後からの仕事が頑張れる気がした。

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